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    アニメ・ラノベの同人小説倉庫

    □ 魔法少女まどか☆マギカ □

    恭介さやか仁美のSS 最終稿「ヴァイオリン弾きと人魚の森」

    メモ

    プロット

    肉付け

    推敲 

    完成  ← now!!


    目標の二万字にちょい足りないぐらいの1万八千字です
    とりあえずこれで完成!

    第一稿との変更点

    ・寝取られの恭さや分、フェラだけでなく本番も追加
    ・恭介×仁美のリリカルえろポエムも本番追加
    ・クライマックスの泣きのシーンをわざとらしくマシマシ



    *********








    Eitler Prunk und bunt Geschmeide
    sind nicht deiner Scho"nheit Zier,
    in dem einfach blauen Kleide
    prangst du edler als Saphir.

    Lass mich wie die blauen Blu"mchen
    immer sanft sein,fromm und gut,
    dir,Maria,stets zu Ehren
    leben unter deiner Hut.

    軽薄な華やぎや色とりどりの宝飾が
    お前の美しさを飾っているのではない
    その簡素な青い衣装が
    お前をサファイアよりも高貴なものにしているのだ

    私のこの青い花たちのようにしてください
    常に穏やかで、敬虔で善良に
    御身、マリア様、その栄光で
    御身の護りのもとで生きさせてください

          ――ヨゼフ・ミュラー作『スミレ』より




    さやかさんへ

    あなたが消えてしまってから、もう二年が経とうとしています。
    今どちらにいらっしゃるのでしょうか。
    私は今でも、あなたの軽やかな笑い声を覚えています。

    ふとした瞬間に、あのときのままのあなたが帰ってくるような気がしてなりません。

                  志筑 仁美

    [newpage]



    「さやか……」

     私――志筑仁美はとっくに気がついていた。

     恭介さんは、いつも必ず観客席を見る。

     真っ黒い燕尾服の背中がすっと動いて、緋色の重たい緞帳をかきわけた。
     暗い舞台裏に光が紐のように差し、ほこりがもうもうと舞う。

     丁寧に整え、固めた頭が、コンサートホールの観客を隅から隅までチェックし、ため息をひとつ。望みのものは見つけられなかったらしい。

     私は気づいていながら知らない振りで、祈るようにして送り出す。

     小さな地方公演のホールに、たくさんの人影がひしめきあっている。紺色の制服の生徒、黒いパンツスーツの女の人。関係者らしき灰色の一団。
     学生の割合が一番多い。

     全日本のコンクールは都道府県が持ちまわりで開催する。
     今日はその最終日だ。この演奏で最優秀賞が決まる。

     ホールの頭上でスポットライトがぐるぐると蠢く。
     昆虫の複眼のよう、それらが様々な色の照射テストを終え、光の帯を彼に投げる。

     舞台の中央が純白に輝く。
     スポットライトの中心で、恭介さんが舞台に立つ。

     会場のどこにもさやかさんの姿が見えないことを確かめてから、恭介さんはようやくヴァイオリンに手をかける。弦を定め、肩肘を張り、優雅な動作でひとつづきの音をつむぎだす。

     自由曲には必ずある曲を選んでいること。それが小さなころからずっと得意にしてきた曲であること。さやかさんが一番好きだと言っていたことも、私は残らずみんな調べつくしていた。それでも、何も知らないふりをして舞台袖で待つことにしていた。


     ――Ave Maria, gratia plena,


     バッハ/グノーのアヴェマリア、その始まりの音が滑り出し、氷上のように甘くつるん……と、シルクの上を女の肌がこすりたてるみたいにして、淡い夢幻の糸口が踊る。

     無声の歌が朗々と響き渡る。


     ――ひとの身、女の胎にて生享くる者よ、祝祷せよ。


     神のようなと激賞される、壮麗なヴィヴラート。
     ひとの心のうちに、世にも美しい波紋を呼び覚ます。


     ――Sancta Maria mater Dei, ora pro nobis peccatoribus,


     情感ゆたかな弦のオペラ。
     鳴り響き、コンサートホールをざわめかせ、音の粒を、震える大気をたたき伏す。

     ――臥所に死の瀬、ひそやかに忍び寄る時も、あはれみ給え、


     暗いホール、白い指がほのかにスポットライトを弾く。
     きぃん……と金属光沢のような甘い瞬きが、見るものを晦ませる。

     色っぽく濡れる黒いタキシード、その袖が軽快なエッジを刻んで踊る。
     ほの青い燐光さえ放つ、真白いカフスが、鮮やかな残像をきらめかせる。

     カフスボタンは青い青い、純正のアクアマリン。
     ベリルのなかでも、特に深いマリンブルーが定着したものをこう呼び習わす。


     サンタ=マリア。


     似合わないから、と着けるのをやめさせようとした。
     でも恭介さんは笑って否定した。これはお守りみたいなものだから。


     誰に守られていたいの?


     聞くことさえできなかった。私は負け犬だ。


     ――Amen.


     重音が空気の層をバラけさせ、再構築し、揺れるヴィヴラートが、ふっ……と吹き消される蝋燭の火のようにゼロの世界を描き出す。
     舞台からこぼれた音のミルクが、とつとつと滴って流れていく。

     無音とは、神のいます世界への最大の敬礼。

     かすかな咳払いの音だけが、座席から、さわさわと伝わってきた。

     色褪せた静寂に、グリーンの非常灯だけがぽつぽつと並ぶ。

     奥の席、非常口にほど近い位置。
     目の覚めるようなアイスブルーのカクテルドレスに釘付けになった。

     どきりとして目を凝らす。
     それが誰なのかを確認できないうちに、その人影はそっと会場の外へ消えた。






     最優秀賞のトロフィーは、クリスタルの小さな置物だった。
     ミルク色の彫刻は、フォルテシモに似ている。ヴァイオリンのf孔だろうか。




    [newpage]





     ホテルの部屋には簡素なものだった。お決まりのソファとベッドとライティングデスク。すべてが間接照明の薄闇に沈んでいる。

     窓ガラスの向こうには夜景があった。サンライトイエローのシャンデリアをぶちまけたような光の洪水があって、テールランプがすうっと箒星のようにいくつも流れていく。

     せっかく獲得したトロフィー、その夢のように透き通った石英の置物をごろりと、まるで何でもないようにナイトテーブルの上に放り出して、彼はバスルームに消えて行った。
     プリズムが頬や瞼に刺さる。まぶしくてたまらなかったので、私はそれをそっと置きなおした。

     それから、抱えてきたヴァイオリンケースをそっと紐解く。

     楽器鞄の内側は、すこしだけ獣の口蓋の中身に似ている。

     真紅のヴェルヴェットがよじれる。白い艶と深いボルドー、軽やかなビビッドレッド。いくつもの鮮烈な赤色がグラデーションを成す。まるで血の海の底のよう。

     その美しい棺にそうっと横たえられるのは本日の主役だ。
     いく度も念入りに弦をくびき、木目の歌姫のご機嫌を取る。
     官能的なボディラインにあわせてくりぬかれたベッド。
     そこにすっぽり収めて、ヴァイオリンを眠らせる。

     ヴァイオリンの弦の、ゆたかな飴色に輝くスティックを握り締める。
     セーム革を手に持ち、そこに艶出しでもするように、念入りに磨きを入れた。
     表の指紋を拭い、インサイドの松脂をていねいに、ていねいにくるくるとこすり落とす。
     円を描いてゆっくり鹿の革をすべらせつづけると、重く緻密な布がなめらかなニス塗りの表面と拮抗し、きゅっ、っと、あまく泣く小動物のような音を立てた。
     こそげ落とした松脂の粉末がぱらりと散り、私のひざに、カーペットに降り積もる。
     クリーニングに出すとはいえ、制服に残ってしまっては恥ずかしい。
     プリーツをはらって、それも床に全部落としてしまった。

     くつろげたフロッシュに傷みがないのを確認して、それもベルベットの海に沈めてやる。

     本体をそっと抱き寄せる。弦が張られた指板をはらい、松脂の粉をふるい落とす。縞めのう のように残る、白い指紋のあとを、革できゅっきゅと拭い去っていく。

     ニスと木目の美しい調和をめでてから、本体も箱の中に封印した。





     彼がバスルームから出てくる。暗い室内に、バスルームから縦長の光が落ちる。


     熱と蒸気が篭もり、ほのかにオードトワレの香りがした。
     それは夜眠る前につけてやすらぐための香りだ。
     彼はそうやっていくつか香水を使い分けているようだった。

     他にいくらも男を知っているわけではないけれど、そんなことに気を使う男の子なんて彼しか知らない。

     肉厚のタオルで髪をこすりたて、まだ濡れた体で、フラットに仕立て上げられたベッドに腰掛ける。

    「僕の演奏、どうだったかな」
    「とてもよかったですわ」
    「うそだ」
    「ほんとうよ……よかったわ、すごく」
    「仁美はいつもそうだ」

     ハシバミのようにもの柔らかな茶色の瞳が苦笑し、ランプシェードから漏れる黄金の光が輪郭を照らす。はにかむような甘い色だ。

     有線のスイッチを入れるついでに、見慣れないボタンのスイッチを押した。
     ミラーボールが天井で輝き、六角の光がじゅうたんを、シーツを切り取る。





    「……っ、は……」

     透徹した音色を操る奏者の指が私の上を這っていく。
     唇、のど、鎖骨、あばら、横隔膜の下。

     アンバーの香りが降ってくる。
     女性的な彼がものするにはくどすぎるくらいの力強い香りが、私は好きだった。

     まさぐり返す私自身の指から、つん……と松脂の芳香がする。
     テレピン油で滑らかになった指の腹で、強くこすりたてた。
     
     喉の奥、くわえ込んだ深いところで、胡桃のような塊が粘膜を圧した。
     噎せる暇もなく、肉を食らい、飲み込み、搾り取った。

     息ができなくなる。
     湯上がりの肌が、すき間なく私の口蓋に張り付く。
     熱さに頭が朦朧とした。

     見上げた先に、とろけた顔がある。
     ひそやかに閉じた目がうなされるようにまつげを揺らし、焦点を失くした目が虚ろに私のくちもとを見やる。

     はだけた胸を、ランプが淡く立体にする。
     なめらかな腹筋に、真珠のようなぬめりが飛び散る。

     舌で受けたそれは、深海のように苦かった。

     彼の指が服をくつろげ、頬を、二の腕を、腿をくすぐる。
     暴きたて、もぐりこませ、強いるようにして、ときほぐす。

     あらゆる音を統べる指が私の口の中をこじあけ、至宝のような指に、まさか噛み傷をつけるわけにもいかず、私はだらしなくよだれをこぼす。

     もみくちゃにされる舌、濡れた皮膚。

     半内臓のなまなましい肉の色。
     割り開き、捏ね回す。

     尾てい骨を執拗にまさぐられ、犬のように屈従させられた。
     何をかを知らず、胸のうちが引っかき傷で赤く爛れていく。

     痛みか歓喜か、分からない涙が私を汚す。
     焼き鏝よりも鮮烈に、私の皮膚を焼く。

     重たく腫れ、たまらなくうずく。
     触れられぬ肌が、中毒患者よりもキツく私を苛ませる。

     たった数本の弦で、あらゆる人間的な情緒を紡ぎ出す指だ。
     私の体一つ演奏できないわけがない。
     彼が操る楽器よりも、私はずっと原初のつくりをしている。

     私はあっけなく泥を飲む。
     こいねがい、熱烈に欲し、はしたなく服従する。

     獣を突きたて、楔を穿つ。
     ひとたまりもなくはじけ飛びそうになる。
     無慈悲な狩りの手が私を追い詰め、泥沼にはめこんでいく。

     すがるように回した手が、彼の硬い肩甲骨をすべる。
     愕くべき柔軟な筋肉と、しなやかな腱が、細い肩に集約している。

     薄く堅い腹の肉が、私の胎を、胸を押し潰す。
     深く繋がれ、えぐられ、壊されていく。

     ぐち、と、きつく濡れた音がした。
     私は純白に染め上げられながら、その音をはるか遠くで聞いた。

     赤く、甘く、星が瞬く。






     電話があったのは深夜の3時を回ってからだ。
     こんな時間に……眠い頭で受話器をつかみ、なんとか応対する。

     自分の裸の腕と、キャミソールが滑り落ちる胸を見てぎょっとした。

     あられもない格好をしている理由がしばらく思い出せず、まじまじと自分の格好を見やる。
     絹を模したトリコットの生地がつるつると胸の上をすべる。
     エッジのきいたハイコントラストのパイピング、現代的なミントグリーン。ローライズのきわどいパンツに黒レースのトリミング。
     見せるためのデザインが誰のためのものだったか、隣で眠る彼の姿を見てようやく思い出した。

     娼婦まがいのナイトウェアだ。自宅ではこんな格好で眠ったりしない。

    「美樹様よりお電話が入っております」

     どきっとした。
     すぐに思い直す。さやかさんのお母様からに違いない。

     そうであってほしいと強く願った。

    「……もしもし」
    「ひと、み……? 仁美、そこにいるの?」

     きゅっと、世界が狭窄した気がした。

     目を凝らした先で、クロックのディスプレイだけが煌々と光り輝いている。
     目に突き刺さるようなフルーレセントグリーン。
     またたく間に分数が入れ替わる。

    「……さやかさん!?」

     私の問いかけを聞いているのかいないのか。
     さやかさんは独り言をぶつぶつぼやく。
     そっか、仁美が。そうだよね。

    「恭介に伝えて。コンクール、おめでとう、ってさ」
    「お、お待ちください――今どちらにいらっしゃるんですの!?」
    「いいとこ。天国……っていうほどでもないかな? まあ、そんなとこ」
    「生きてらしたんですのね!? お戻りになるんですわよね!?」
    「あー、それは無理だなぁ。あたし、もうそっちの世界のヒトじゃないし」

     私のただならぬ剣幕に、隣の恭介さんも目を覚ました。

    「どうして――」

     私はひと息に言葉をたたきつける。
     それはこの二年間、繰り返し繰り返し、彼女に問いかけた言葉だったから。
     眠気とショックですべてが吹き飛んだ頭に残ったのは、その問いだけだった。

    「どうして、
     どうしていなくなってしまったのですか!?」

     さやかさんは、にひひっ、と笑うと、底抜けに明るい声で、歌うように、

    「わかんない」
    「……っ!」

     ふざけるのもいい加減にして!
     怒鳴りつけそうになった。
     絶句する私から受話器を手繰り寄せ、恭介さんががなる。

    「もしもし。さやか? さやかなの?」

     恭介さんの目に喜悦がともる。
     声が弾み、涙さえこみあげる。

     その愛しい横顔を、この時ばかりは愛情以外の狂おしさで見つめた。胸をかきむしりたくなった。

     恭介さんが何かを必死に言っている。
     けれどももう聞こえてこなかった。ほかならぬ私自身が、聴くことを拒否してしまったからだった。

     頭ががんがんする。奥のほうで楽器でも鳴らされているみたい。ピアノ曲のテンペストが、どこかで演奏されているような気さえした。
     楽聖が紡いだ激情の旋律。
     それが私の視界を、思考を、世界すべてを揺らして、崩落させていく。

     どうして突然いなくなってしまったのですか。

     ――どうして恭介さんの心を攫っていってしまったのですか。

     叫びだしたかった。
     けれども、そうするには、私は臆病すぎ、そして計算高すぎた。

    「さやかが、仁美に代わってくれって」
    「……もしもし」

    「ごめんね。あたし、あのままいなくなるつもりだったのに。
    今日の演奏聴いてたらさ、いてもたってもいられなくなっちゃって。
    ひとことだけでも伝えたかったんだ。
    あんたの演奏が大好きだったよって」

     うそつき。
     私はなじってやりたくなった。
     さやかさんが本当に言いたいことは、きっとそれじゃない。
     二年前にも言わずに逃げ出したくせに、今さらそれを言いにきたなんて。
     卑怯だとも思うし、憎たらしいとも思う。

     それでも、さやかさんは私の大事な友達だった。
     恭介さんにとってもそのはずだった。

     感情を理屈でねじ伏せて、私は震える声でそれを告げる。

    「さやかさんには、思いを伝える権利がありますわ」
    「ないない、ないよそんなの!
    ……なんかさ、ホントにごめん。そんなつもりなかったのに、
    余計な気ぃ使わせちゃったね。あたしって、ホント考えなし」

     さやかさんが強がりを口にしているのが、手に取るようにわかった。
     二年前から何も変わってない。

     本音と真逆の正論ばかり口にするくせに、腹の底では少しも割り切れてなくて、ひとりで空回って、周りはハラハラしながらそれを見守るしかなくて、結局なにもかもダメにしてしまう。

     明るくて、元気で、一生懸命で、調子に乗りやすくて、要領が悪くて、でも、とてもやさしい子だった。

     私はこの子が大好きだった。
     あんな形で失うのでなければ、ずっと親友でいてほしかった。

    「……もう会わないよ。合わせる顔もないしさ」

     嘘ばっかり。
     本当は、会いたいって思ってるくせに。

    「お断りしますわ」
    「……へ? 何を?」
    「もう会わない、というのをです」
    「……えっと……」

    「私は、ヒトの顔色ばかりうかがうのはもうやめたんですの。
    ほしいと思ったら言うし、したいと思ったらするんです。
    だから私はさやかさんにも私の本当の気持ちをお伝えしますわ」

     私自身、何が本音で、何が嘘なのか分からなかった。

    「……帰ってきてください。
    私も、恭介さんも、どんなに心配したか……」

     電話の向こう、かすかにさやかさんが泣いているのが伝わってきた。
     私もずっと耐えていたのに、それで我慢ができなくなった。

    「……あたしたちさ、やり直せるかな?」
    「当たり前ではありませんか」
    「また前みたいにさ、三人で」

     さやかさんがひどい鼻声で言う。
     私もきっと、ひどい声をしているのだろう。

    「私、協奏曲も覚えましたのよ」
    「ヴァイオリンとピアノの生演奏?
    っかぁー、あたし、タダでそんなもん聴いちゃってほんとにいいの?」
    「もう、そういうところ、本当に変わりませんわね……」

     三人で会う約束をした。
     しじゅう笑顔で話し続けられたことに、自分自身も驚いた。


    [newpage]




    「さやかはさ、どうして突然いなくなったりしたんだい?」
    「んー。もう人間じゃなくなっちゃったからかな?」

     あはは、とやけに軽い笑い声が上がる。


     レストランはわざわざ個室を用意してもらった。
     ただでさえ未成年だけの出入りは目立つのに、今からする話はあまり人にきかれていいものじゃなかったから。

     キャンドル風のテーブルランプ、埃を薄くかむった造花の一輪挿し。
     ロココ様式の猫足に鏡のような白テーブル、お互いの顔がよく映りこむ。

     センタークロスはプラスチックなのか、ボビン・レース風の布は、汗をかいた壜を置いても変色しなかった。
     

     テーブルマナーに苦労しながら、さやかさんが言葉を紡ぐ。

    「あたしってバカだからさ、騙されちゃって。
    お嫁にいけないカラダにされちゃったんだよねー」

     あはははは。はは。
     ショックを受けた顔の恭介さんと私を交互に見やり、ようやくさやかさんはそれが失言だったと気づいたらしい。

    「あーっ、なんかやらしいこと想像したでしょ!?」
    「いや、だって! そんなこと言われたら」
    「違う違う、違うって!
    詳しくいえないんだけどさ、とにかく想像してるようなのとは全然違うから!」
    「そう、なんだ……」

     恭介さんがさやかさんをまじまじと見る。

     私はなぜだか憂鬱な気持ちになってきた。

     二年ぶりに見るさやかさんは、すっかり大人へのきざはしを昇り始めていた。
     むかしは活発そうだという以上の印象を与えなかった頬にも、女性らしい甘い落ち着きが匂っている。

    「あーっ、難しいなあ。なんて説明したらいいんだろ」

     さやかさんが無頓着そうにショートカットをわさわさ揺らす。
     無造作な短髪のように一見見えるが、実は繊細なカット技術を駆使して作り上げられていたりする。

     女の目で見れば、横顔のスキや鼻筋の欠点をうまくカバーしているのがよく分かるが、男性はそんなことまで気にしない。

     ボーイッシュなふりをしているだけで、さやかさんの女子力は相当高い。

    「あの時は変わっちゃった自分のカラダが嫌で嫌で仕方なくてさ。
    二人に合わせる顔もなくて。
    今はもうほら、なんてーの?
    しょーがないかー! みたいな感じでさー」

    「……大変だったんだね、さやかも」

     同情以上のあわれみをこめたその声が、私はたまらなく嫌だと感じた。

    「いやいやいやいや、もうぜーんぜん!
    いろんな人が助けてくれたからね。おんなじような境遇の子とかさ」

     さやかさんはふとそこで、虚飾のはげおちた、素の声を出した。

    「本当に、どれだけ感謝してもしたりないぐらい」

    「……分かるよ。僕も、ずいぶんさやかに助けてもらったから。
    あの時のこと、ずっとお礼を言いたいと思ってたんだ」
    「そんな、お礼とか! あたし、自分が好きでやっただけなのに!」
    「それでも、僕は嬉しかったよ。ありがとう、さやか」
    「そん……っ、……っく、……あ、あれ……?」

     さやかさんは、そらいろの涙をぽつりと零した。

     ずっと言われたかった言葉だったに違いない。

     私はスクリーンの向こうで展開されるドラマでも見ているみたいな気持ちだ。

     海の底から見上げている人魚姫、と形容したほうが正しいだろうか。


     さやかさんの、日焼けした肌にいくつも涙が伝っていく。
     バーバリーのハンカチで押さえてやる恭介さんの顔は見られなかった。

     うつくしい涙だと思った。
     ほだされ、あわれみ、愛さずにはいられない、かわいい女の涙だった。






     親が私の交友関係を調べるのに、しょっちゅうその探偵社を使っていることは知っていた。

     渡された書類と資料をざっと流し見る。

     該当する番号のICレコーダーのヘッダを探し出し、スイッチを入れた。
     ざあっと、隠し撮り特有の摩擦音がする。



     (鼻をすする音。さやかさんの泣き声)

    「さやかは綺麗だよ」

     (衣擦れの音)

    「お嫁に行けないだなんて、そんな風に言うやつは、僕が許さない」
    「……きょう、すけ……」
    「恥ずかしがらないで。見せてみて……」


     ぶちり、とちぎった。
     それ以上再生する勇気はなかった。

     見上げた先にある銀色のミラーウォールには、なまなましい殺意を浮かべた私の目があった。
     どうして大衆向けのレストランはどこもかしこも鏡面にしたがるのだろう。
     見たくなくて、資料に目を落とした。


     一ヶ月前。
     私に内緒でCDショップへ行く。
     頻繁に電話とメールをやりとり。

     三週間前。
     メールの内容が過激になっていく。
     添付されている記事の中身に、頭が痛くなった。

     二週間前。
     県外へ、オーケストラを聴きに行く。泊まりがけ。
     このころから急に携帯を使っての連絡が減る。
     (鍵つきのソーシャルサイトに移ったらしい。
     その内容も全部印刷されていた)


     あとはもう、何月何日、何をどうしたのか、淡々と記録されているだけだった。


     ICレコーダーをスキップ。
     適当な位置で、一瞬だけ再生する。


    「んく、んく、くぅ、くふっ……」


     あられもない嬌声が、心臓に悪い大きさで流れてきた。
     無我夢中の本人には悪いけれど、豚の鳴き声のようだと思った。


    「きょうすけ、きょうすけぇっ、すき、すきだったの、ずっと、」





     さんざん迷ってから、イヤフォンを付け替えた。
     ICレコーダーから、ノートパソコンへ。
     証拠には、動画まであるのだという。

     見たくはなかった。
     なのに、再生しなければ負けてしまうような気がした。



     動画は奇妙なアングルではじまった。隠し撮り特有の、目隠しがカメラアイの上下に黒く映りこんでいる。

     一瞬、自分が、衆目の中にいることを意識した。思わずディスプレイを閉じ、あたりを見回す。隅に陣取ったから、誰かにモニターを覗かれることはない。
     分かっていても、後ろめたかった。

     荒い画素数の、のっぺりした肌色の女性がいた。
     ショートカット、美しい目鼻立ち。かろうじてそれでさやかさんだと分かる。

     さやかさんの手が、彼の下着の中へ。
     手首まで入れ、上まで引いて露出させる。
     肉の塊、といった感じの棒状のものが、くたり、と垂れ下がった。
     さやかさんは口を開けて、彼の股間へ鼻先を突っ込んだ。
     可憐な唇に、舌に、柔らかな肉が飲み込まれていく。
     なめらかな頬が動き、舐めて、すすって、頬張ると、それはあっという間に大きくなった。



     なぜこんなものを、私は見ているのだろう。



     彼女の愛らしい小動物のような瞳が、彼と微笑みをかわす。
     にこりと笑んだまま、彼女は口で吸圧しながら、ゆっくりと先端を口に含む。笠のくびれを何度も何度も唇で往復しながら、しつこく舌と唇で刺激しつづける。

     ひざまづき、彼の目を見上げながら、すっかり硬くなったものを、唇で上下にしごいた。甘く深くねっとりと絡みつくように。唇の肉でぴっちりと輪を作って、唾液と舌でかき回した。

     先のほうだけをこれでもかというほどいやらしく舐め上げ続けて数分もした頃、彼は彼女のショートカットに手をやった。
     後ろ首に手をかけたのだ。
     そしてその手でさやかさんの頭を押さえつけた。
    「んんんっ……!」
     彼女が苦しそうに眉を寄せる。喉の奥まで一気に押し込められ、えずくように喉を鳴らす。
     深く咥えさせられたまま、彼女は苦しそうに吸いあげた。頬の肉がぷるりとへこむ。先端まで絞りあげるようにして、間抜けな顔をそのまま晒して、ひたむきに奉仕を続けていく。

     ぐちゅ、と音を立てて、彼のものをすべて飲み込む。
     じらしながら先端まで抜いていく。
     彼の手に押さえつけられ、揺さぶられ、半ば強制的に、ただひたすら口を頭を動かす彼女の顔は、これまでに見たどんな女の顔よりも醜かった。


     醜い、けれども、男をそそるというのは、こういうことを言うのだろう。
     私はなんだか泣きたくなってきた。
     屈辱なのか、悲しみなのか、それとも恥じ入りたいのか。
     女としてお前は劣っていると、そう突きつけられたような気さえした。


     棒の部分がこれでもかというぐらい張り詰めて、ひくり、ひくりと脈動しているのが分かった。限界が近いようだった。
     さやかさんは彼の細いおなかに鼻先をくっつけ、目を閉じてひたすら舌を使う。
     彼はがむしゃらに喉の奥まで自分のものを突っ込んで、声も息も押し殺し、絶頂に達した。
     体がはげしく脈打ち、どくどくっ、と大量の粘液が彼女の唇から溢れた。放出は長く続き、ごく、ごく、と彼女の喉が動く。

     ようやく彼は脱力した。
     開放されたさやかさんは、少し咳き込んだ。
     まだ舌の先に、濁った白いものが残っている。


     動画は続く。残り10分以上もある。


     彼が覆いかぶさる。背中ばかりが映し出される。均整の取れた背筋がうねり、腰までが脈動する。
     拡がらせられた陰唇に、棒状のものがぬろっ……と出入りを繰り返す。それをしか知らないように、硬い棒ががむしゃらに突き入れられ、肉の器が形を変える。柔らかなそれが激しい責めを受けてひくつき、粘る。てろてろと光るそれを割り、黒く充血した棒が何度も何度も何度も突きいれられ、動物的な脚と腰の動作がそれを支える。

     背中に回された彼女の指がいびつに開かれ、頑健そうな筋肉に、凧糸のように白く食い込む。
     浅ましい女の悲鳴があがり、あがり続け、気味の悪い動物の鳴き声じみていく。

     恭介さんが身体を起こし、さやかさんの裸体が映り込む。
     ゆたかな胸が律動のたびに揺れ、震えて、爆発しそうな呼吸が脾腹のあたりをふいごのように上下させる。
     重たく柔らかげな乳房が、たぷたぷたぷ、と零れそうなほど跳ねる。
     オパールのようになめらかにつや光る彼女の肌がみだらにうねり、彼の打ちつける腰とぶつかり合って、ぱつぱつと音を立てる。


     結局最後まで見てしまった。


     絶頂だろうか、おなかを激しく震わせるさやかさんに、かすかに官能を揺すぶられた自分がいた。

     それがなによりのショックだった。
     涙も出ない。ただただ、打ちのめされた。



     この間のレストランを予約した。

     真っ白いラタンの椅子、華美な装飾の白テーブル。
     宮殿のような白い柱。ローズレッドの美しい壁紙。
     壁にかかるのはピエタの模写と、マリーアントワネットの肖像だ。

     少女趣味全開の食卓に、肌色の写真がばら撒かれているのは、ギャグか何かのようだった。

     健康的な顔色を真っ青におびえさせて、白いくちびるで、さやかさんが身を縮めている。

     さやかさんはレースあしらいのパーカーの上見ごろをぎゅっと抱きしめた。

     パーカーなんて、一見地味なようでも、さやかさんが着ているものは完全に若い女性向けの品だ。
     だからウエストはくびれて見えるし、標準より大幅にゆたかな胸も、さらにサイズアップして見える。
     フードの裏地のドット柄だって、今風のセンスでちりばめられている。


     恭介さんはさきほどから私を見ようとしない。
     センタークロスのニードルレースを穴が開きそうなほどしつこく目で追っている。

    「ごめん、ごめんね、仁美、あたし」
    「仁美……」

     謝られたって困る。

    「いいえ。過ぎてしまったことは仕方ありませんわ」

     最初から、こうなる予感はあった。
     さやかさんが恭介さんを好きだったのは言うまでもなく、恭介さんだって本当のところは憎からず思っていたのだ。

     私に悪いと言いながら燃え上がる恋は、さぞや楽しく甘かったことだろう。

     どんなに正しくあろうとしても、気持ちがぐちゃぐちゃのどろどろに混ざり合って、最後には流されて負けてしまう。

     さやかさんがそういう人だって、私は最初から知っていた。

     そして私は、どこまで行ってもうわべだけ取り繕うことしか知らない。
     どんな窮地に立たされても、汚くもズルくもなれない、従順で愚鈍な小心者だった。

     なるべくしてこうなったのだとしか、言いようがなかった。

    「さやかさんは、どうお考えですの?」
    「……ごめん、あたし、ホント最低だった」
    「恭介さんと、お付き合いをなさりたいのですか?」
    「……ちがうの……あたし……」

     泣きたいのはこちらだと言いたかった。

    「僕が悪いんだ。さやかを責めないでやって」

     ぐさっと、刺し貫かれたような感じがして、胸を抑えた。
     今までのやりとりの中で、その言葉が一番突き刺さった。

     恭介さんにとってのさやかさんが、どれだけ大きくなっているのか、まざまざと思い知らされた。

    「……では、恭介さんはどうお考えですの?
    私とさやかさんと。どちらをお取りになるのでしょうか」

     恭介さんは答えない。
     それだけでいっぺんに分かってしまった。

     もとから、恭介さんは、私のことをつまらなく思っていたのだ。
     中学生のときは分からなかった女心も、私との付き合いで掌握するすべを覚えたのだろう。
     さやかさんは素直で可愛らしい人だ。
     当時は手に余ってしまったかもしれないけれど、今の恭介さんなら話が違う。


     私は、いただいた指輪をすっと指から抜いた。
     プラチナのリング、高校生が身に着けるには大人びていすぎる洒脱な装身具を彼の手に押し付けると、せめて精一杯の笑顔を取り繕った。


    「さようなら」
    「待って、仁美、あたし――!」
    「仁美……!」


     追いつかれないよう、流しのタクシーにそのまま乗り込んだ。




    [newpage]






     緑色の海だった。
     海水が、森のような色をしていた。

     たゆとう莫大な水は、まぎれもなく生物の揺籃だった。
     森も、いのちの産土であるという点では、あるいはどちらも同じだったのかもしれない。それは奇妙に眩しくて、エメラルドのように高い透明度をたたえていた。

     ぎんいろの砂を踏み、ざくっと言わせて立った。
     私の髪が逆巻いて、海草のようにあたりを漂った。
     視界をさえぎる長い髪を、手でぎゅっとひとつにまとめる。
     
     見上げたはるかな高みに、太陽があった。放射状の白い槍が、ゆらめくエメラルドを串刺しにしている。


    "殺せばいい――"

     どこか遠くから声がする。

    "邪魔ものは殺せ――"

     異国の言葉のような響きなのに、なぜか意味は分かった。

     海底には、屹立する食卓がたくさん並んでいた。
     やけに小高く、まるで林のようにいくつもそびえたっている。

     子どものころ、親に連れられていったパーティ会場の心象風景だと気がついた。
     あの時の私は親の三分の一ほども背丈がなくて、はかされた窮屈な靴に始終もじもじしていた。

     白いテーブルクロスがどこかで泳いでいた。
     ごぼごぼと、口から白い泡が出る。

    "邪魔ものは殺せ"

     大人がかがみ込み、子どもをあやすための声と笑顔で、そう語りかけてくる。
     見覚えのある男性だと思ったら、それは叔父だった。
     大量の泡を吹き零す、カイゼル髭のくちもと。

     あのとき、私はなんと答えたのだっけ。

     泡が、ごぼっ、と私のふかみどりの唇からこぼれ出た。
     太陽へ向かって、くらげのように昇っていく。





     クラスメイトがいる。制服の襟ばかりが映っていて、顔は見えない。

     私と、それを取り囲むマゼンタの障壁と、ピエロの仮面。
     その後ろにようやくクラスメイトが透けて見える。

     森のような海の底。
     マゼンタの色だけが毒々しく目立つ。

    "お前はいつも除け者にされてきたじゃないか"


     バリトンのような、ソプラノのような、奇妙な声が語りかけてくる。


    "羨ましい。美人だ。裕福だ。どれもが一つとして褒め言葉ではないことぐらい、気づいていただろう?"

     青い色の竜巻があった。
     それだけは毒々しいマゼンタの色をしていなかった。
     でもそれも、ある日を境にあかむらさきに染まり、やがて消えていった。


     魚眼のようにいびつな教室が、きゅうっと収縮されてひとつの球体になる。
     それを手にする禍々しい長爪は、悪魔の徴だろうか。


    "仕返してやればいい"


     握りつぶすことだって、わけはないのだ。


    "拒め"








     次に気がついたとき、私の目の前には、仮装のさやかさんがいた。
     ハロウィンだろうかと、場違いな感想が浮かぶ。

     ごうっ、と、エメラルドの海が逆巻いた。
     海底の銀岩をめためたに切り崩す。


    「志筑仁美のナイトメアが――」
    「馬鹿さやか……っ!」
    「だめよ、美樹さんっ!」


     ガラスを滑り落ちるしずくのように、蒼い炎が奔った。
     いくつもの剣が抜かれてはうち捨てられ、瓦礫となす。

    「仁美いぃぃぃぃぃっ!」


     美しく躍動する脚が地を蹴った。
     細身の装飾剣がまるでランチャーのように使い尽くされていく。

     インペリアルブルーのつるぎがいくつも、いくつも海を泳ぐ。
     弾丸のように直進し、迷いなく一つの目標を串刺しにする。

    「不定形ね」
    「斬る、突く、じゃ埒があかないわ」
    「さやか、戻れ! マミの大砲かほむらのランチャーで……」
    「無理よ、これ、水でしょう?」
    「さっきから銃が撃てないのよ」
    「あーもー、使えねぇな!」
    「そういうあなただって、浮力で撲る力の大半が殺されてるじゃない」
    「しょーがねえだろ!?
     ヌンチャク海ん中でぶんまわす予定なんてなかったんだからさ!」


     ピエロの仮面に、半透明の不思議なカラダがついている。
     毒のようにごぽり、とガスを吐き出し、波打つ皮膚。

     ピエロが操っているのは、指揮棒のような、ヴァイオリンのスティックのような、短い棒だった。
     一振りで緑色の竜巻が生まれる。
     いくつもの奔流が、さやかさんの衣服をずたずたに切り刻んでいく。

     海の中に、赤い血すじが流れて、飲まれていく。
     全身の傷から血が滲み出し、五線譜のように跡をひいた。

    「うおおぉぉぉぁぁぁぁぁぁっ!」

     やみくもに、剣が振り回される。
     くろい疾風がピエロを切り刻んでいく。
     いくつもの剣が、アイアンメイデンの茨の棘のように、突き刺さっていく。

    「斃れるまで叩くつもりなの?」
    「美樹さやかのソウルジェムが濁りきるのと、どちらが早いかしらね」
    「あいっ変わらず、辛い戦い方するよな」

     ざあっ、と、水が流れ、水流にいく百もの剣が乗る。
     魚の群れもかくやという剣、剣、剣。
     鱗のように、くろがねの刀身が鈍く輝く。
     水の推進力をも味方につけて、瀑布のごとき剣流がほとばしる。

    「これで、とどめぇ――ッ!」

     突きが正確にピエロの仮面をとらえる。

     ピエロは、さやかさんに断ち切られて、崩れ去った。







     その次に目を覚ましたとき。
     私は血染めのシャツを着せられて、さやかさんに抱きとめられていた。

    「仁美、仁美、仁美……!」

     さやかさんから、やさしい雨のように、涙が降ってくる。
     尾根の雪解け水よりもずっと透明で、冷たかった。

    「よかった……! よかった、あたし、仁美を助けられて、よかった……」

    「……私、さやかさんに、助けられたんですの……?」

     殺せばよかったのに。
     私がいなくなれば、恭介さんはさやかさんのものだ。
     どうして助けたりしたのだろう。

    「ちがうの、きいて、仁美。全部あたしのせいなの。
    あたしさえあんなことしなきゃ、仁美は……
    あたし、やっぱりもう二人とは会わないことにするよ。
    ホント、馬鹿だよね。せっかくいい思い出で終われてたのに、みんなぶち壊しちゃってさ……」

     でも……とさやかさんが微笑む。
     マリア像を思わせる、清らかな笑みだった。

    「……最後に、仁美を助けられて、よかった。
    あたし、本当に、心から、助けたいって思えたんだ。
    二年もかかっちゃったけど、あの時とはもう違うんだって、今なら胸を張って言えるよ」

    「……あの時?」

     うすらと霞がかる記憶の隅に、廃工場がよみがえった。
     あの時も、ひるがえる彼女のマントの幻影を見たような気がしたのだ。
     お医者様は集団幻覚だとおっしゃったけれど。

     シャツはもう使い物にならないぐらいぼろぼろだったけれど、不思議と自分の体に疵はなかった。

    「……ちゃんと治したよ。あたし得意なんだ。
    傷跡も残らないから、安心して」

     ああ――

     そのときようやく分かった。
     神経系が断裂していた彼の手を、いかなる神の慈悲が治したもうたのか。
     奇跡も、魔法も、彼女だけが為しえたことだったのだ。


     さやかさんが、手のひらに鶏卵型の宝石を取り出した。
     古びた金の台座で装飾されたそれは、世にも美しいアクアマリンの色をしていた。

    「決別の儀式。馬鹿みたいって思うかもしれないけど、付き合ってよ」

     その宝石を握らされる。
     あたたかく、心の隅々まで薫風が吹きつけられたような気持ちがした。

    「それを毀していいよ。
    あたし、仁美の大事なものを壊しちゃったから。
    それでおあいこにしよ。恨みっこなしだからね!」

     大事なものであることは、鼓動するようにまたたく、やわらかな青空の光で察せられた。よわよわしく、今にも途絶えてしまいそうだ。
     闇が、青空の隅、わだかまる黒い虫のように棲みついている。

     さやかさんが夢見るように表を伏せる。
     不思議と、おだやかな顔をしていた。

    「……ずいぶん遠回りしちゃったけどさ。
    これで、なにもかも、おわりだから」

     これが何かは分からない。でも、すべての罪咎、穢れを拭い去られたような、晴れやかな笑顔が何を意味するのかは分かった。
     さやかさんは、これを、壊されたがっている。
     私に罰されて、許されたがっている。

     傷つきやすそうなくちびるが、強がるように歌まで紡ぐ。

     ――アヴェ、マリーア……グラーティーア、プレーナ……

     それなりに秩序を保った、きれいな歌声だった。
     人の心の闇を払い、明るい道へ戻してくれるような。
     どうして今、この時になって、そんなやさしい歌を歌うのだろう。


     手のひらに置かれた、その宝石を握り締める。


     触れたハープの弦が震えるように、波紋が波紋と共鳴するように、さやかさんの気持ちが流れ込んできた。



    "あたしが治してあげたのに"

    "告白すればよかった"

    "拒絶されたら、あたし生きていけなくなっちゃうもん"

    "仁美なんて助けなければよかった!"

    "恭介のためになんか、祈らなければよかった"

    "触らないで――ヴァイオリンを弾くための手で、そんな女に触らないでよ!"

    "恭介の演奏を聴きたかった気持ちは、変えない。変わらない。絶対に、譲らない"

    "……仁美なら、仕方ないか。お似合いだし"

    "また、友達に戻りたかったな"

    "バイバイ。あたし、仁美のこと、好きだった"

    "せいせいする。やっとこれで終われるんだ。
    あたしのくだらない呪いが、
    命をかけて救いたかったものまでめちゃくちゃにしてしまう前に"


     私は苛立ちで脳みそが焼けるかと思った。
     死にたがりの馬鹿につける薬はない。
     私から何でもひとつ自由に罰を与えられるのだとしたら、それは最後まで醜く生き抜くことだと言いたかった。
     それが一番彼女を苦しめ、そして救いあげるのだから。

    「……こわしませんわ」

     私はその宝石を、更にさやかさんの手へ握らせ返した。

    「こわしません。絶対に。
    こんな価値の分からないもの一つ壊したぐらいで、手打ちになんかいたしませんわ!
    私、これでもすごく怒ってますの。
    おあいこにしたいというのなら、私からはこうお願いします。
    私に罰されて許されようなんて思わないでください。
    一生それを背負い続けて。みにくくあがいて、生きてください」

     さやかさんが手のひらに力を入れないので、私は宝石と、その手のひらと、両方を力強く握り締めた。
     返品を受け付けてもらえるまで、そうするつもりだった。

    「恭介さんの腕を治してくださって、ありがとうございます」
    「……どうしてそれを」
    「癒しの魔法、お得意なんでしょう?」
    「あ……」

     白いグローブの腕を、恥ずかしそうに後ろに隠す。

    「まいったな……秘密にしとくつもりだったのに、ホント、かっこ悪い」

     私はつい笑ってしまう。

    「私も、どんな結末になっても後悔しないと決めましたの。
    その覚悟でさやかさんに帰ってきてほしいと願ったのですから。
    けして、ひるがえしませんわ」

     さやかさんが笑う。へっ、と、予期しない自体に、苦笑でもするしかないというように。

    「……なにそれ。カッコつけすぎじゃん?」
    「そうかもしれませんわね」

     でも……と、私の唇が、本音をぽろりとこぼす。

    「……恭介さんを寝取られたとき、殺してやろうかと思いましたわ」
    「……あー、うん。分かるわ。ナイトメア超手ごわかったもん。マジで殺されるかと思ってぞっとした」
    「でも、さやかさんだって同じでしょう? 殺してやりたいって思ったのでは?」
    「いいい、今は違うよ!?」
    「今はってことは、昔はそうだったのですわね」

     さやかさんはちょっとむっとしたようだった。

    「……仁美って昔からそうだよね。ほわほわしてるように見えて、気づいたら誘導尋問駆使して勝手に人の本音引き出してくんの。あれ、やられてるときは気づかないけど、後で気づくとめっちゃ腹立つんだよねー。ほんと、何回煮え湯を飲まされたか……」

    「さやかさんが単純なのですわ」
    「言うじゃんかよー。なんなら決着つける?」
    「望むところですわ」

    「……あのさ」
    「はい」
    「あたしたちさ、今はダメでもさ。
    五年後か十年後にさ、もしまた会えたらさ。
    そのときはさ、今みたいに笑って仲直りもできるかな?」
    「……できますわ、きっと」

     さやかさんは、真っ赤になった鼻を隠しもしないで、またみっともなく泣き始めた。せっかく落ち着いた美女へと成長しつつあるのに、この子どもっぽさはいつまでも抜けないようだ。

    「ひとみぃーっ……」

     すがりついて泣く、グラマラスな肢体を抱きとめながら、ああ、これは恭介さんがくらりときても責められないな、とぼんやり思った。時を経て、美女へと脱皮しつつあるその身体。

     あたたかく、やわらかく、抱きしめるとほのかに海のノートが漂う。
     ユニセックスな香りなのに、彼女がまとうとひどく女くさく感じる。



    [newpage]





     宣言どおり、さやかさんは旅立っていった。

    「あたしにはさ、大事な戦友が三人もいるんだ」

     だから、どこへいったって大丈夫なのだと。

     烏の濡れ場のような黒い髪の少女が、かすかに微笑んでさやかさんを迎えた。
     夕日にけぶるたてがみのような赤い髪の少女が、さやかさんの肩を叩く。
     蜂蜜を渦巻かせたような金髪の少女が、何かを語りかけた。


    「……さやか……」

     その背を切なそうに見つめて、恭介さんが呟く。

    「いっておきますけど、私、許したわけではありませんからね」

     恭介さんがびくりと肩を震わせる。

    「仁美……その、僕は……」
    「ふふふ、嘘ですわ」
    「僕が好きなのは君だけだよ、仁美……」
    「素直に信じてさしあげますわ。今回だけは」

     本当は、とっくに許すつもりでいた。

     あの日、上條さんのお見舞いにばかりかまけて、私との付き合いも疎遠になりつつあったさやかさんに、勝手な嫉妬と寂しさを覚えて、どうすればもっと仲良くなれるのかを考え抜いた末、もっと本音でぶつかっていけばいいのだと愚かにも結論付けたあの日のことを、私は今でも悔いている。

     さやかさんに嫌われるのが怖かった。
     他の大勢のお友達のように、私をお嬢様扱いしてかやの外に置かなかったのは、さやかさんだけだったから。

     もっと仲良くなりたくてカミングアウトしたはずの恋心だったのに、どうしてあんなことになってしまったのだろうとずっと思っていた。
     今なら分かる。

     私はどうしようもなく無神経で、馬鹿だった。

     恭介さんの袖元で、アクアマリンのカフスボタンが光っている。

     どうせなら、私も何か揃いであつらえようか、などと、図太いことを考えてみる。

     石の色はもう決めてある。

     サンタ=マリア。

     ベリルのなかでも一番上等な、ディープマリンの石だ。

     




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    Date:2012/03/01
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