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    アニメ・ラノベの同人小説倉庫

    □ 魔法少女まどか☆マギカ □

    夏の夜の、祭りの後(完結)

     まどほむが夏祭りに行っていちゃいちゃするだけ。





     ママが浴衣の着付けをしてくれている間中、私はずっとそわそわしていました。

     ママの手が行ったり来たりして、襦袢の前を合わせます。
     それから私に裾を持たせ、腰紐を次から次へと手に取って、何本も私の胴体にまきつけていきます。
     あっという間に分厚いタオルで簀巻きにされてしまった私は、鏡を見て、こういう姿のやつ、どこかで見たことがあるなあ、なんて思ってしまうのでした。

    「シャケみたい」
    「うはは、食うトコのないシャケだねえ」
    「ママ、ひどいよぉ」

     ママはたまにいじわるです。どうせ貧相でちっちゃいですよーだ。ぷいっとそむけた視線の先には時計がかかってあって、夕方の四時を示しています。

    「待ち合わせ、何時だっけ?」
    「五時に河川敷だよ」
    「おー、よし。急いで仕上げだ。ちょっとここ、持ってな」

     渡された兵児帯の端にも、きらきらきれいなラメがたくさんまぶしてあって、なんだか和装というよりも、お姫様のドレスみたいです。

    「この帯、やっぱり派手じゃないかなあ」
    「ばっかだねえ、あんたに似合うのはこーいうやつだろ。あたしの見立てに間違いなんかないよ」
    「そーかなぁ……?」

     オーガンジーで仕立てた帯は、つるつるで、さらさらで、すっごくふわふわでした。一枚だけだと透けちゃって、ぜんぜん締まらないような頼りない帯だけど、ママが言うにはそれがいいんだって。

    「こーやって、後ろで開いてやると……薔薇の花みたいになるんだ、よっと……」

     つつじ色の帯がふわふわもこもこしながら広がって、まるで半透明の花が咲いたみたいです。

    「うっし、できた。あたしってほんと何やらせても天才だな」

     ママはできばえに満足した芸術家みたいに頷きます。

    「次は髪だな。こっち座って。帯つぶさないように気をつけるんだよ」

     鏡には、髪をまっすぐに下ろした、浴衣すがたの私が映っていました。白い襟、白い浴衣のむなもとは、模様さえなければ結婚式の白無垢みたいにも見えます。

    「かっわいいだろお? あたしの娘なんだぜ、これ」

     上機嫌に鏡のなかの私を指差して、てきぱきとスタイリストみたいに動く手を見つめていたら、何だか落ち着かなくなってきました。

     すてきな浴衣を着せられた私は別人みたいだけど、でも鏡に映る私はやっぱりただの私です。いつもどおりの位置に目と鼻がついていて、ぼんやりした、特徴のない顔つきをしていると思います。

     かわいいのはママが選んでくれた浴衣だけだよね。でも、浴衣効果で雰囲気が大人っぽくなったみたい。なんだか、けっこういい感じかも? そんな風に思ってしまうのは、浮かれすぎだからかもしれません。

     不安と期待でドキドキしてきたわたしは、ついついドレッサーの小物をいじることに集中してしまいます。

     しだれて広がるプラスチックの帯飾りをみょいんみょいんと揺らしたり。
     ママのお下がりのかんざしを、いっぽんにほん……櫛が少ないほうから並べてみたり。長さを揃えて集めてみたり。さきっぽについてるとんぼ玉を、おうちの鏡にかざしてみたり。合わせ鏡で無限に殖えた、赤と黒の金魚がきらきら光って泳いでいるのを、いくつもいくつも数えてみたり。
     真っ白な蛍光灯のひかりに当てて、べっ甲がきらきら輝くのを、……琥珀からショコラの色に変わる境を、ぼんやりと眺めてみたり。

    「気に入ったかい? ぜんぶあげるから、どれでも好きなの選びなよ」

     ママがとってもニヤニヤしながら聞くので、ちょっと恥ずかしくなりました。

    「うへへ……自分じゃよく分かんないよ。ママが選んで」

    「そーかい? そーだなあ……浴衣も帯もパステルカラーなんだし、華やかさ重視でつまみなんかどうだ?」

     ママが選んでくれたのは、多重花弁の、黄色の房飾りがついたかんざしでした。タンポポの花にそっくりのボンボリが、先端にふたつついていて、そこからしだれ柳のように、ふさふさの枝葉が下がっています。

    「ええっ、すっごく目立たない?」

    「だーいじょうぶだって、背が高い子がやるとちょっと威圧感あるけどね。ほら、まるでまどかのためにあるかのようなフィット感じゃん?」

     ママが耳の横にしゃらんと飾ってくれますが、やっぱり派手すぎる気がします。

    「こっちじゃだめなの?」

     ひそかに気に入ってた、真っ赤な金魚のガラス玉を取り出してみますが、ママはとっても渋い顔です。

    「だーめだめ、絶対こっちのほうがかわいいだろ。これにしとけって。な。決まり」

     ママは目の細いコームを持ち直すと、熱心にくしけずる作業に戻ってしまいました。

    「あんたもさ、やっぱりちょっとねこっ毛だよね。ちょっと熱入れたほうがいっか」
     アイロンでくるり、くるりとママの手にひねり上げられる髪の束が、きゅきゅきゅっ……と一本にまとめあげられ、再度ていねいに櫛目をつけられて、やがてちいさなお団子に。

     ちっちゃなタンポポが二輪そえられ、そこから垂れるふさふさの飾りがうなじにあたらないよう、位置を慎重に調整して挿し込まれます。

    「できた!」

     あわせ鏡の前に立ってみると、すっきりした後ろ首のあたりに房飾りが散っているのが見えました。
     それがとっても嬉しくて、鏡の前でくるくる回ってしまいます。

    「んー、かわいい。あんたの彼氏もいちころだ」
    「いないってば、そんなの!」
    「うそつけ。本当は好きな男の子と行くんだろ?」
    「ち、ちがうもん! 友達とだよ」
    「隠しても無駄。浴衣なんていつも面倒がって着ないあんたがわざわざめかしこんでいくんだ、好きな子ぐらいできたんだろ?」
    「ちがうちがう、本当だって!」

     ママはじっくり上から私を品定めするように見つめると、『ま、いいか』と手を打ちました。

    「急ぐんだろ? 送ってくよ」

     さっと小物をかたづけると、ママは車のキーを指にかけました。もう四時半を過ぎています。走っていくより、ママに送っていってもらったほうが確実です。

    ***

     ぱっぱー。ママは運転中、とっても気軽にクラクションを鳴らします。あっちの道行くお年寄りに、小道を併走する自転車に、ぱっぱー、ぱっぱー、と注意喚起のベルを鳴らして、ちょっとびっくりするぐらい速いスピードで、なめらかに信号をコーナリング。

     サイドミラーをこっそり見ると、そこには白っぽい浴衣のちんまりした女の子がいました。華やかな髪飾りに縁取られた、とっても嬉しそうな笑顔の子。変なの、わたしが、違う人みたい。そわそわして落ち着かなくて、なんだか自然と背筋も伸びてしまいます。

     窓の外を見つめます。この塀の先を抜けたら、視界が開けて河川敷が見えてくるはずです。集合場所――見えた。ほむらちゃんだ! 藤色の浴衣に白い帯を締めたほむらちゃんが、はんなり、という感じで立っているのが見えました。

    「ママ、もうここでいいよ!」
    「ん? ああ、ここから降りてったら早いか。下駄なんだし、気をつけてな」
    「はあい!」

     信号待ちをする車から飛び出て、私はブロック塀の上から、下のくぼ地のほむらちゃんに精一杯手を振りました。

    「ほむらちゃあーん!」

     夕暮れ時、茜色から藍色にまじわるグラデーションが、空模様を複雑に変えていきます。土手の雑草から緑むした大気のにおいと、じめじめした夕立あがりの気配がして、あちこちからひぐらしの鳴く声が聞こえてきました。

    「鹿目さーん!」

     あかぬけた、落ち着きのあるきれいな声が、まっすぐ私に届きます。増え始めた浴衣の見物客の群れに紛れていても、ふしぎとそれだけは聞き分けられてしまうんです。

     いつも小さな声で話すほむらちゃんが大声をあげて答えてくれたのがうれしくて。

     土手の階段を転げるように降りていくと、ほむらちゃんはあからさまにぎょっとしました。すっきりとあげたおでこの下の、きりりとした眉根に深いしわを寄せて、さっきよりも凛とした声を張り上げます。

    「か、鹿目さん!? 危ないわよ!」

     ほむらちゃんは、ただ待ってることはしませんでした。反対方向の、土手の下から一目散に駆け上がってきてくれます。自分だって慣れない下駄を履いているのに、まるでスニーカーみたいに、すいすい段を飛ばしてあがってきます。

    「ほむらちゃん!」

     階段をかけおりる最後のほうにはほとんど転びそうになってしまい、勢いまかせにぎゅってしがみつくと、ほむらちゃんは切れ長のきれいな二重まぶたが見えなくなるぐらい、きゅーっと大きく目を開けました。

    「か、鹿目さん、大丈夫?」
    「大丈夫っ。ちょっと転びそうになっただけ」

     ほむらちゃんのすっとした白い手が、見た目よりもずっと強い力で私の体を支えてくれました。しがみついた浴衣や肌から、夏の草いきれとはあきらかに違う、みずみずしくてあまずっぱい香りがします。

     至近距離から見つめるほむらちゃんのうなじは、すこし湿っぽいような気配でした。シーブリーズみたいに、スースーする香料入りのシャンプーで洗ったばかりの髪を、乱暴に乾かしてまとめあげたら、こんな風にしっとりするかもしれません。

     すこーしだけ濡れた部分を残したアップは、どきどきするほど色っぽいです。

    「ごめんね、ありがとう」

     照れ隠しにあいまいな笑みを返すと、ほむらちゃんはとっても優しい顔つきで、

    「急いではだめよ」

     子どもに言い聞かすみたいにして、私の体をそっと離してくれました。それがまるでダンスの終わりみたいに洗練されててカッコよくって、私はついぽーっとなってしまいます。

    「美樹さんたち見なかったかしら。そろそろ時間なのだけれど」
    「え、えっと……さやかちゃんはおなかいたいって言ってて、ちょっと来れないみたいだよ。仁美ちゃんも、ちょっと具合が」

     ほむらちゃんはきれいな顔をすこしも動かさず、先生の質問にこたえるみたいに、つまらなさそうに『そう』と言いました。それが、いつものほむらちゃんの佇まいなのでした。

    「なら、あなたとわたしの二人だけなのね」
    「そ、そうなの。よ、よろしくね」
    「行きましょう」

     ほむらちゃんはくるりと私に背を向けて、からころと、階段を下りていきます。白い帯には瑠璃紺色の花薬玉が、黒や黄色の鮮やかなめしべをたくさん纏って咲いていました。大人っぽい文庫結びを添えた背中や、そのしゅっとしてしなやかな肉づきを、後ろ衿が撫で肩気味に強調しています。

     ほむらちゃんのきれいな後姿が、涼やかな動作で遠ざかっていき。

     藤色の浴衣がおしりの形をほんの少しだけ浮かせてよじれるのが偶然目に入ってしまい、私はなんだか居たたまれなくなって、あわてて後を追いました。

    「ま、待って!」

     四段先で足を止め、ほむらちゃんがこちらを振り返りました。
     あいかわらず表情はなくって、蝋みたいにとっかかりのない細面に、切れ長の印象的な瞳が、宝石みたいに象嵌されています。

     空はもう、朱色をほとんどそぎ落としていて、西のほうに真っ赤な雲があるばかりでした。

     ねずみ色の影をまとったほむらちゃんの瞳だけが、きらりと光って見えました。

     急いで下っていき、ほむちゃんのすぐ傍ではべると、

    「速かったかしら。ゆっくり歩くよう、気をつけるわね」

     淡々と、やっぱりどこか物憂げな調子で、つまらない学級日誌でも書くみたいにそう言うものだから、私はちょっとおかしくなってしまいました。

    「ちがうの、ほむらちゃんが、」

     きれいだったから。世間話のつもりで言いかけたのに、言葉に詰まってしまいます。別にこんなの、ふつうのことなのに。女の子が女の子をきれいって褒めたって、ぜんぜん変なことじゃないのに。

     笑いがこみあげたり、恥ずかしくなったり。
     今日の私は、なんだかとっても変です。

    「きれいな、浴衣を、着てたから」
    「あら、そうかしら。慌てて、その辺のデパートで買ったのだけれど」
    「ううん、すっごく似合ってるよ。大人っぽいけど、かわいい感じ」
    「自分ではよくわからないわ。久しぶりに着たから、帯が曲がっていないといいのだけれど」
    「ううん、大丈夫だよ」
    「よかった」

     それからほむらちゃんは、後ろをついて階段を降りる私を振り返り、おっきな目でじっと見つめてきました。
     大粒の、スワロフスキーのビーズみたい。
     日本人離れした、すこしふしぎな色合いの瞳の黒いところが、暗がりの猫みたいに真ん丸くなっています。明るいハイライトを載せた下まぶたの際が、白目のぬめりを強調するように、きらきらと光っていました。

    「鹿目さんの方こそ。とってもかわいいわ。その帯も、髪留めも」

     私はなんだか、胸のうちがちくちくしてきました。溶けやすいチョコみたいに、でれでれと頬がゆるむのが分かります。

    「うへへ、お母さんが、どうしてもこれにしろって」
    「そう。あなたのお母様はとてもよく分かってらっしゃるわ。鹿目さんは、華やかな飾りがよく似合うもの。女の子だからって誰でもピンクのかわいらしい小物が似合うわけじゃないわ。鹿目さんが特別なのよ」
    「そ、そんなことないよ。子どもっぽいってことじゃない?」
    「女の子らしくて、いいと思うわ。すこし、うらやましい」

     羨ましい?

     私はさいしょ、何を言われたのか分からなくて、ぽかんとしました。だってだってほむらちゃんは、すらっとしててきれいな顔で、頭もよくって運動もできて。
     そんなほむらちゃんが、私のことを羨ましいって思ったりするの?
     ハリウッド映画に出てくる和服の女の人みたいに、ぱっきりした顔立ちの美人さんなのに?

    「私は、ほむらちゃんのほうがよっぽど羨ましいんだけどな」
    「わたしが? どうして?」
    「お姫様みたいっていうか」
    「まさか。ありえないわ」

     お姫様みたい? ちょっと違う。どちらかっていうと。

     私のほうを気にしながら、ゆっくりゆっくり階段を降りる、ほむらちゃん。
     あいかわらずむすっとした無表情だけれど、怒っているわけじゃないのが、ほむらちゃんらしいっていうか。

     ちらっと、目線だけでこちらを振り返る、妖しく切れあがったまぶたの際が、とってもかっこよくてかわいいのです。

     お姫様をエスコートする、素敵な騎士にしか見えません。

     もともとが、抜けるように白い肌のほむらちゃんです。
     シャワーをざっとかけて、濡れたすっぴんの肌を無造作に乾かした――そんな風情のさらっとした頬は、夏の暑いさなかを動き回っても、汗ひとつ浮かべないかのように、涼しげな白さを保っています。

     うす青い血管さえ透けて見えそうなほむらちゃんの、きりっとした無表情を見つめていたら、だんだん頭がぼうっとしてきて、何を言えばいいのかも分からなくなってきました。

     どうしてこんなにキレイなんだろ。

     並んで歩く私の顔は、きっとほむらちゃんみたいに整っていなくて。となりに美少女の見本があるだけ、崩れたところがよけい際立って見えちゃうかも。

     ちょっぴり悲しい気持ちになりながら、わたしは最後の階段を降りて、さくっとグラウンドの土まじりの河川敷を踏みしめました。

    「気をつけて。ところどころぬかるんでいるわ」

     私の真横に立つほむらちゃんが、やっぱり感情が見えない声で言います。


    ***

     ざら半紙のお便りが皆の席に行き渡り、先生が終わりを告げて、その日のHRは終了しました。

     皆がまばらに帰っていくなか、隣のほむらちゃんはずっとそのお便りに見入っています。

     あんまり熱心に見入っているので、私もそのお便りを何気なく見てみました。

     それは寄付のお願いでした。花火大会が開催できなくなるかもしれない。学校からも寄付をするので、協力をお願いします、というようなことが、難しいことばで書いてありました。

     花火大会かあ。今年もさやかちゃんたちと一緒に行きたいなあ。

     そんな風に思いながらもう一度ほむらちゃんの方を見ると、ほむらちゃんはすこしうつむいて、まぶたをひとさし指でぬぐいました。

     どきっとしました。

     泣いてるの……? パニックになりそうな頭で、一生懸命理由を考えます。どうして? ほむらちゃん、花火大会に何か嫌な思い出でもあるの?

    「父兄の皆様にはご健勝のこととお喜び申し上げます。予算の縮小に伴い、開催が危ぶまれていた夏祭りですが、このたび正式に県をあげて開催する運びとなりました。つきましては、父兄の皆様にも寄付にご協力いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 記 開催予定日 七月某日 場所 河川敷にて 内容 三千発の花火の打ち上げ、並びに盆踊り大会を予定しております……」

     慌ててもう一度よく読んでみますが、どこにも悲しい要素はありませんでした。

     具合が悪くなっちゃったのかなあ?

    「あの、ほむらちゃん」

     声をかけられて、ほむらちゃんはすこしびくっとしたようでした。

    「鹿目さん。何かしら」
    「大丈夫? 気分が悪くなっちゃった?」
    「えっ、あっ、」

     ほむらちゃんはうろたえたように目を泳がせて、それからすこし涙の粒が残る下まぶたを隠すように手で覆いながら、なんでもないのよ、と言いました。

    「すこし、思い出しただけ」

     説明はそれだけでした。何を? どんなこと? 聞いてもいいことなのかなあ。

     気まずい沈黙をとっぱらいたくて、私は焦って言葉を続けます。

    「ほ、ほむらちゃんは、花火大会行くの?」
    「いいえ。予定もないわ」
    「私は、今年も行こうかな、って思ってて。屋台のとうもろこしって、どうしてあんなにおいしいんだろうねー。いっつも食べたくなるんだよね」
    「そうね」
    「ほっ、ほむらちゃんは、屋台の食べ物、なにが好き?」
    「いちご飴かしら」
    「そっかー、いちご飴もいいよね! りんごだとちょっとおっきいけど、いちごだとちょうどって感じ!」
    「そうね」
    「色もきれいでかわいいよね!」
    「そうね」

     私はどんどんすべっていくのに焦りながら、思いつくことをしゃべります。
     ほむらちゃんはほとんど、うなずいたり、そうねって相づちを打ったりするだけだったけれど、最後のほうにはちょっとだけはにかんでくれました。

    「でね、ママったら、まどかはピンク以外禁止! って言うの」
    「ふふ。見てみたかったわ」
    「ほむらちゃんはさ、青い浴衣が似合いそうだよね」
    「そうかしら」
    「そうだよ。きっと似合うよ」

     さすがに言葉が尽きて、私とほむらちゃんの間に沈黙が降りました。こういうの、外国では天使が通るって言うんだっけ?

     まだ降ろしたてで、繊維がつぶれていないぴかぴかの制服が、清潔そうなほむらちゃんの襟足をきっちりと覆っています。
     ほむらちゃんは、制服の着方もちゃんとしていて、ちょっとお嬢様みたいです。

     そんなところをばかみたいにじろじろ観察していたら、ほむらちゃんがふいに遠くを見ました。

    「そういえば、私、浴衣って着たことないわね」
    「ええっ! もったいない」
    「一度くらい、袖を通してみようかしら」
    「そうしなよ、絶対かわいいよ」
    「でも、着ていくところがないし」
    「じゃあ、今年の花火大会で……」

     そこまで言って、私はようやく気がつきました。


     ほむらちゃん、もしかして、一緒に行く人がいないんじゃない?


     そうでした。ほむらちゃんはずっと心臓の病で入院していて、歩けるようになったのもつい最近だという話です。

     ずっと寝たきりだった子が、いつ、どうやって浴衣を着るというのでしょうか。

    「……ほむらちゃんって、最後に花火大会に行ったの、いつ?」
    「……さあ。ずっと前だから。もう覚えていないわ」

     きっと、ずっと小さいころの話なんだと思います。思い出せないほど小さい頃に、お父さんとお母さんと一緒に行ったのが、最後だなんて。

     やだな、私、どうしてそんな簡単なことに気づかなかったんだろ。
     きっとほむらちゃんは、夏祭りぐらい行ったことがあって当然、みたいに喋る私が、疎ましかったに違いありません。

     友達と一緒に屋台を見て回ったり、好きな子の話を、花火の合間にこしょこしょしたり。

     そういう経験が、ほむらちゃんにはごっそり抜け落ちているのです。

    「……よかったら、今度の花火大会、ほむらちゃんも一緒に行かない? さやかちゃんと仁美ちゃんと、四人で回ろうよ」
    「……いいわ。あまり人ごみって好きじゃないから」

     ついさっき、じっとプリントに見入っていたほむらちゃんの顔が目に浮かびます。あんなに一生懸命見ていたのは、行きたくても行けなかった昔のことを思い出してしまったから?

     ほむらちゃんは、見た目はちょっと怖そうにしているけれど。

     話しかけても話しかけても、ぶっきらぼうなしぐさで追い払われてしまうけれど。

     ……本当はすごく、さびしいのかも。

    「ほむらちゃんの浴衣、すっごく見たいもん。だから一緒に行こ?」
    「……行っても、迷惑になるわ。いつ発作が起きるか分からないし」
    「私に任せてくれたらいいよ! だって保健係なんだもん!」



    ***


     結果的に、『転校生が来るならあたしはパス!』っていうさやかちゃんに押し切られるようにして、さやかちゃんと仁美ちゃん、そして私とほむらちゃんっていうペアの別行動が決まりました。

     でもそのことはほむらちゃんには内緒です。いやな思い、させたくないもんね。

    「人が多いわね」
    「はぐれちゃいそうだね」

     ほむらちゃんと私の前を、手をつないだ中学生ぐらいの女の子二人が行き過ぎます。

     こんなとき、さやかちゃんだったら、ぐいって手を引っ張って、ほらいくぞー、なんて言うのです。

     でも。

     半歩前を行くほむらちゃんをちらりと見ると、ほむらちゃんは、ぬかるみを避けて歩くことに夢中になっていました。漆塗りのつま先を器用に蛇行させながら、私には乾いたほうの道を行かせてくれます。

    「あっ」

     急にほむらちゃんの肩が私のほうに回されて、それで私は立ち往生してしまいました。ハーブのような香りを嗅ぎながら、何事だろうと思ってよく見ると、もう少しでほかの人にぶつかってしまうところでした。

    「歩きにくいったらないわね。泥、跳ねてない?」
    「ん……大丈夫みたい」

     ほむらちゃんは私の浴衣のすそ模様をよーく見て、小桜柄に泥が混じっていないのを確かめてから、人の流れに眼を凝らす作業に戻ります。

     ほむらちゃんの、和装用のバッグを持っていないほうの手がさびしそうに空いています。

     急に手、つないだら、変だって思われちゃうかな。

     私はさっきからずっとそのことをぐるぐる考えていて、またほかの人にぶつかりそうになってしまいます。

    「おっと」
    「ご、ごめんなさい!」
    「鹿目さん! ……申し訳ありません、お怪我は」
    「いえいえ。平気ですから」
    「すみませんでした」

     ほむらちゃんは背筋を深く折り曲げて、きれいなお辞儀をしました。
     軽く手を振り合って別れたあと、ほむらちゃんはこほんとひとつ咳をして。

    「……私と二人っきりなんて、あなたも災難ね」
    「えっ……」
    「緊張してるのでしょう」

     半歩前を行くほむらちゃんの表情は、確認できませんでした。でも、悲しませてしまったことぐらい分かります。私と二人っきりなんて嫌でしょう? ほむらちゃんはそう聞いてきているのです。
     なんて寂しい、一人ぼっちに慣れすぎた台詞でしょうか。

     ほむらちゃんは、髪をアップにしていて、ほんのりと青白いうなじを、その下に続くなだらかで均整の取れた肩を、……少し丸めた背中を、すっかり全部晒していました。いつも姿勢を正してまっすぐ前を見ているほむらちゃんのそんな姿は、初めて見たと思います。

     いつも顔色ひとつ変えずにいるほむらちゃんが、ううん、変えないように装っているほむらちゃんが、意図せず見せてしまったスキ。それが、そこにあるような気がしました。

     私はなんだか覚悟が決まりました。

     少し早足に、半歩の距離を縮めます。とぼとぼと足元を見て歩いているほむらちゃんに近づいて……

    「えいっ!」
    「きゃっ」

     ほむらちゃんの手を、両手でぎゅーっと握り締めました。
     ほむらちゃんはとってもびっくりしたみたいで、二重がなくなるぐらいおっきく目を開けています。

     私はどきどきしてしまって、耳まで真っ赤になるのが自分でもわかりました。ほむらちゃんの視線がちょっぴり刺さります。まともに見返す勇気もなくて、私はこぼれてもいない耳の後れ毛をかけるふりをしながら、ぜんぜんへっちゃらみたいに言いました。

    「手、つないでいこ。はぐれちゃうもん」
    「……ええ」

     次の瞬間にはほむらちゃんはいつものポーカーフェイスに戻っていて、ついっと前に向けた鼻先も、近寄りがたいぐらいきれいな横顔になっていました。ほむらちゃんの、すっきりきれいな鼻の線から、賢そうな唇の線までが、女の子なら誰でもあこがれてしまいそうなほど秀麗なかたちにつながっていて、ほっぺなんかちっとも笑ってないのにフェミニンで、ああ、ほんとにかっこいい。

    「私、ほむらちゃんの浴衣姿が見られるの、とっても楽しみにしてたんだよ」
    「……そう?」
    「やっぱり、とってもカッコいいね!」
    「……ありがとう」
    「こちらこそだよ。今日、来てくれてありがとう。来てくれないかもって思ってたから」

     ほむらちゃんは何も答えませんでした。

     でも、わざわざ会話をさがす必要は、もうありませんでした。

     何も言わなくても、熱くなった手のひらや、ぎこちなく握り返された指の加減が、痛いぐらいたくさん、ほむらちゃんのことを教えてくれるのでした。

    「……浴衣が」
    「うん?」
    「ぎりぎりまで、うまく着られなかったの。それで、お断りの連絡をしようかと思って」
    「これ、自分で着付けたの?」
    「ええ」
    「すっごーい! 私なんて、ママにやってもらったのに」
    「……最後の最後に、あっさりうまく行って。そうしたら、誰かに見てもらいたくなって」
    「うんうん」

     ほむらちゃんが途切れ途切れに語る気持ちが、私にもよく分かります。ほむらちゃんみたいな美人さんでも、浴衣を着たらそわそわしちゃうし、誰かにかわいいって言ってもらいたくなることだってあるんだよね。

     学校ではうかがい知ることのできなかった、ほむらちゃんの壊れやすい気持ちに触れられたみたいで、私はとっても嬉しくなってしまうのでした。

    「わたし、やっぱりほむらちゃんと二人っきりでよかったよ」
    「……え?」
    「もっとお話したいって、いつも思ってたんだよ」

     ほむらちゃんは、急に立ち止まりました。

     思いつめたような瞳が、すぐそばにあります。

     ぎゅっと握られた手から、汗ばんだ熱さが伝わってきます。

    「……知ってたのよ」

     いま、ほむらちゃんは大事なことを伝えたがってる。

     それが痛いくらいよく分かりました。

    「知ってたの。夏祭りのことを持ち出したら、あなたがかならず誘ってくれるって。病気がちなのを逆手にとって、かわいそうな子のふりをして、あなたの気を引いたりなんかして。何度も何度もその手を使って一緒に遊びに行ったのよ。私は……私は」

     ほむらちゃんは今にも泣きそうでした。

    「いつもそうやって、……に甘えてばかり」

     ほむらちゃんは、誰かの名前を呼びました。女の人の名前のようにも聞こえました。あるいはほむらちゃんのお母さんの名前かもしれないし、ほむらちゃんと仲良くしてくれていた看護婦さんの名前かもしれない。むかしのお友達の名前かもしれない。

    「ごめんなさい。私は、ズルいの」

     ほむらちゃんがぎゅっと手を繋いでいてくれるから、私は、その手を離さないでいていいんだって分かりました。

    「ズルくったって、いいんだよ」

     すっかり迷子になったみたいなまなざしで、ほむらちゃんが私のことを頼りなく見つめてきます。

    「ほむらちゃんの心臓は、ちょっと欠陥があって、それでいつもほむらちゃんのことを苦しめたかもしれないけど。その代わり、ほむらちゃんはとってもきれいな姿を授かってるんだもの。それでちょっとくらいほむらちゃんが得をしたって、ぜんぜんバチなんか当たらないんだよ」

     私はほむらちゃんの腕に、私の腕を巻きつけました。もっと近くで、ほむらちゃんの体温を感じたいと思ったら、しぜんと体が動いていました。
     蒸した夏の夕暮れに、ほむらちゃんのすべすべした肌の感触が、そこだけクーラーボックスに入れてたみたいに、ひんやりして感じられました。

     私がどんなに距離を詰めても、ほむらちゃんはいやそうな顔ひとつしません。

    「ほんとはね、私だってズルいんだよ。ほむらちゃんみたいにきれいな子と、クラスじゃ私だけが仲よくしてるんだもん。そういうの、けっこういい気分なんだよ。
     本当はほむらちゃんは、私なんかと仲良くしてくれなくったって、男の子だってより取り見取りで、友達だってもっとたくさん選べちゃうぐらいなのにさ。
     ほむらちゃんが病気でいてくれたからだよ。だから、私なんかと仲良くしてもらえたんだって、ちゃんと分かってる」

    「……私なんかだなんて……!」

     ほむらちゃんは苦しそうに眉を寄せて、ぽろりと涙をこぼしました。

    「あなたは、どうしていつも、自分のことを粗末に言うの? あなたは知らなさ過ぎる」

     ほむらちゃんはあわてて涙を人差し指で払いましたが、二滴、三滴としずくが頬を滑り落ちていきます。

    「……わ、たし、わたしは、」

     ほむらちゃんは一生懸命いつものポーカーフェイスを作りながら。

    「私は、まどかにあこがれているの。……うらやましいのよ」

     それがあんまりにも悲しくていじらしくて、つられて私も泣きそうになってしまいました。

     何の障害もなく、パパとママに愛されて育って、ごく平凡な学校暮らしを送る私なんかが、涙を流して焦れるほど羨ましいと言うほむらちゃんの、心にぽっかり空いた穴の深さや暗さが、私の足元も崩していくみたいでした。

     ブラックホールの手前で足踏みするような、深い深い酩酊感。

     くらくらめまいがしてしまって、私はなおさらぎゅっとほむらちゃんの腕にしがみつきました。
     ほむらちゃんの腕のしなやかな筋肉や、とくんとくんと脈打つ心臓のぬくもりを感じて、それがあんまりにも確かなので、ようやく私は楽に呼吸ができるようになったのでした。

     やがてほむらちゃんは涙の塊を飲み下しきったのか、しゃきっと顔をあげて、

    「ごめんなさい。行きましょう」

     といって、歩き出しました。

     ふたり、無言で手を繋ぎ、ゆっくりと屋台とちょうちんが立ち並ぶスペースへ向けて、歩いていきます。

     向こうから、烏賊が焼けるいいにおいや、笛や太鼓のBGMが、安い音割れのラジカセから流れてきました。

     少し先のほうで、ピンクやきいろやあかい色の、ど派手な龍文字の看板が、きんぴかの電球にギラギラ照らされて、光っています。

    「ほむらちゃんは、お好み焼きと焼きそば、どっちが好き?」
    「どっちもあまり……ソース味ってどうしてもキツすぎて」
    「クレープは?」
    「それなりに」
    「じゃあ決まり! いちばん最初は、クレープ買おう?」
    「もうおなかがすいたの?」

     ほむらちゃんが、不出来な妹をからかうみたいに、くすっと笑ってくれたので、私はそれだけで幸せな気持ちになりました。

    「うん!」
    「なら決まりね」
    「やったあ! チョコとイチゴのやつ売ってるかなあ? 生クリームもいっぱい入れてほしいんだけどなあ」
    「売ってる屋台が見つかるまで探せばいいわ」
    「じゃあ、いっかい一周しようね」
    「そうね」
    「ほむらちゃんは何味が好きなの?」
    「そうね……私は」

     もっとたくさんほむらちゃんのことが知りたい。私は夢中になって、調子に乗って、いろんなことを質問しまくってしまうのでした。

    ***

     焼きたてほやほやでぬくいクレープを受け取りながら、ほむらちゃんがすっと硬貨を差し出します。

    「ありがとうございます」
    「ま、まいどっ!」

     お店の人も、ほむらちゃんに見惚れているみたいです。ほむらちゃんの周りって、そこだけ光ってるみたいに目立つんだよね。

    「いただきます」

     はむっ、と噛んだ薄皮がぷつりと簡単に千切れ、中から温められたあまったるいフルーツソースの香りが弾けます。それがしっとりなめらかな卵っぽい生地と絡んで、ほろほろとおぼろ雪のように舌に溶けました。

    「あんまーい」
    「おいしいわ」

     二人で目と目で会話しちゃったりなんかして。クレープにかじりつくほむらちゃんの瞳が、三日月みたいにいたずらげに笑います。下まぶたのぷっくりしたところを白く浮かびあがらせて、ほっぺをもぐもぐとおいしそうに動かす姿が、とっても女の子らしくてかわいいです。

     いちごをぷちゅっと噛みつぶすと、もともと甘酸っぱい味の、くだものの酸味のところがさらに強調されて、口のなかいっぱいに広がりました。

    「いちご美味しい」
    「キウイもなかなかよ」
    「ちょっとだけ食べてみる?」

     クレープに挟まったいちごの部分という、ある意味もっとも美味しい部分をほむらちゃんに向けて差し出すと、ほむらちゃんは味わっていたものをいきなりごくんと全部飲みこんで、少しむせました。

    「……いただくわ」

     ほむらちゃんが、血みたいに真っ赤な唇を、クリームの油脂で滑らかに光らせて、クレープを小鳥のようについばみました。

     つばめのひなみたい。

     提灯まがいの電球に照らされたほむらちゃんは、髪の毛もオレンジ色なら、ぱくっと空けたのどの奥も、燃えるような夕陽の色になっていました。

     こういうのって、間接キスになるのかな……ううん、でも女の子同士なのに。
     近づいたほむらちゃんの衿のすきまに鎖骨がちらりとのぞけてしまって、私は一人で気まずくなってしまいます。

    「ちょっと、酸っぱい」
    「酸っぱいの嫌いだった?」
    「いいえ」

     珍しいお菓子をゆっくり味わうように、ほっぺに手を当ててじんわりと幸せそうな笑顔を浮かべるほむらちゃん。ながーいまつげの影が、不自然な位置からの照明に引き伸ばされて、ひらひらとちょうちょみたいに閃きました。

     ほむらちゃん、いつもそうやって笑っていたらいいのに。

     ほむらちゃんがそうやって笑うと、胸の奥が痛がゆくなります。

     あとを引くいちごの酸味みたいに、どきどきちくちく、心臓がうるさくなってしまうんです。

     どうしよう、私、ホントにヘン。

    「キウイも食べてみない?」

     今度はほむらちゃんが差し出してくれたので、私もぱくっと食いつきました。人の手からものを食べさせてもらうのって、なんだか動物になったみたい。

     ほむらちゃんがじーっと私を見つめてくるので、恥ずかしくてほっぺがちりちりします。キウイのざらざらした種が舌にひっかかりながら消えていき、するどいすっぱさを生クリームの甘さがじんわりと癒します。

     足の裏がくすぐったくなるような甘ったるさは、生クリームによるものなのでしょうか。

     それとも、ほむらちゃんが笑ってくれるせいなんでしょうか。

    「おいしい?」
    「うん! 甘いものって素敵だね。幸せみたいな味がする」
    「幸せみたいな……」
    「てひひ、変かな?」
    「いいえ。とってもあなたらしいと思うわ」

     ほむらちゃんは残りのクレープを、包み紙をすっかり破いて露出させると、さきっぽだけになった生地を、まるごとぱっくり食べてしまいました。

     今まで見せたことないような、ちょっとお行儀の悪いふるまいを恥ずかしがるように、ほむらちゃんが照れたような目つきでこちらを見てくるので、私もおんなじように、ぱっくり食べてみせました。

    「あー、おいしかった」
    「”幸せ”ね」
    「幸せだね!」

     私たちはまた、どちらともなく手を握り合って、次の夜店を冷やかします。

    ***

     射的の小屋が見えるなり、ほむらちゃんはあからさまにそわそわしはじめました。
     ポン! コルクが飛ぶ音が小気味よく響き、並べられた大小さまざまなおもちゃの、どれにも当たらず後ろの赤い幕にぽすんと当たります。

    「残念」
    「ちぇー!」

     小さな男の子が、夢中になって順番争いをしています。

    「射的、だね」
    「射的、ね」
    「ほむらちゃん、やったことある?」
    「やったことあるですって?」

     ほむらちゃんはふふん、と不敵に笑いました。悪役みたいなニヒルな笑みです。

    「さあ、鹿目さん。どれでも好きなのを選んで頂戴」
    「えっ?」

     ほむらちゃんはおもちゃを端から端まで指でさすと、自信たっぷりに胸を叩きました。

    「どんなものだろうと、必ず討ち取ってみせるわ」
    「じゃあ……あれ!」

     私が指差した先には、ピンク色の耳と緑色の目を持った、うさぎっぽい動物キャラクタのぬいぐるみがありました。

    「100円だよ」

     ほむらちゃんは渡された銃をひっくり返したり斜めにしたりしてじっくり見ると、『ずいぶん右曲がりね』と、専門家っぽいことを言いました。『でも、これなら』。

     ほむらちゃんはプラスチックのちゃちな銃を、かっこいい動作でまっすぐ構えました。立ち姿はとっても慣れているように見えます。ななめに開いた足を浅く曲げ、少し腰を落として、両手を使って慎重にポイントする箇所を見極めているようでした。

     ――っぼすん!

     コルクが炸裂する音が響き、頭に命中。ぬいぐるみはぐらぐらと揺れました。でもそれだけです。

    「重しをしてるじゃないの!」

     ほむらちゃんが珍しく大声で抗議すると、店主は豪快に笑いました。

    「打ちどころが悪かったんだろ。リトライするなら100円だぜ」

    「ちぃっ……!」

     ほむらちゃんはたもとからチャリっと小銭を出して、再びコルクを嵌めた銃を構えました。今度はせいいっぱい腕をつきだして、少しでも近くから当てようとしています。威力を殺さないようにするための方策みたいでした。

     ――ぼすっ!

     コルクはぬいぐるみのど真ん中にあたりました。でも、倒れません。

    「……そう。そう来るなら、こちらにも考えがあるわ」

     ほむらちゃんはなんだか完全に据わった目つきで、(そうなるとすごい迫力です)さらに100円玉をおじさんに渡しました。

     ――ぼすっ!

     もう一度コルクがヒット。するとぬいぐるみがゆれて、とうとう、

     ぬいぐるみが横倒しになっていました。……あれ? 今、倒れたんだよね? 気がついたら横になってた、ような……

    「……ちっ。ほら、景品だ」

     手元の箱から新品のぬいぐるみを放ってよこすのを、ほむらちゃんは片手でかっこよく受け取って、

    「あげるわ」

     私にプレゼントしてくれました。

    「ねーちゃん、すっげー!」

     周りで見ていた男の子たちも、ほむらちゃんにキラキラした賞賛のまなざしを送っています。

    「三回もたてつづけに当てるなんて、ほむらちゃんすごい!」
    「趣味はクレー射撃なの」
    「なにそれすごい」

     ますますミステリアスなほむらちゃんです。いったいいつ、どこでそんな趣味を覚えたんでしょうか。

     ほむらちゃんからもらったぬいぐるみの頭だけをちょこんと出して、胴体を手持ちの巾着袋にしまってあげると、ほむらちゃんはフフッとまた笑いました。

    「かわいい」
    「うん、とってもかわいい。ほむらちゃんのおかげだね」

     腰をかがめて、ぬいぐるみの頭を指でつんつんするほむらちゃん。浴衣の袖がしゃなりと揺れて、地面にくっつきそうになります。低い位置にあるほむらちゃんの頭の、やわらかそうなうなじのあたりや、日焼けしてない真っ白な頭皮(とってもきれいでした)が、私のすぐ目の前にきました。

     そこでふと、違和感に気づきました。

     ほむらちゃんの指はとっても細くて長いけれど。

     荒っぽい農作業でもしたみたいに、すこし指先が扁平になっていて、皮も硬く角質化しているようなのです。

    「ほむらちゃんって海外暮らしが長かったとか?」
    「どうして?」
    「それで射撃なんてやってたのかな、って」
    「ああ。そんなんじゃないわ」

     ほむらちゃんは苦笑して、『みんなには内緒よ?』って人差し指を立てました。その指先は、深爪するほど短く刈り込まれていて、爪の半球からはみだした指の肉のあちこちが、白くささくれだっていました。

     もともとはきれいな爪だったはずなのに、不摂生を示すように、いくつも太い縦筋が入っています。

    「ゲームよ。ゲームで射撃を覚えたの」
    「ほむらちゃん、ゲームするんだ!」
                ・・・・・
    「ええ。本物じゃないの。結界の中で銃を撃つのが得意なだけ。ほら、私って寝たきりだったでしょう? 他に趣味らしい趣味もなくって、ね」

     今日はほむらちゃんのいろんな秘密が一度に分かる日みたいです。

    「ね、こんど、私にもやらせてくれる?」
    「だめよ。あぶないわ」
    「だってゲームなんでしょ?」
    「ひどい世界なのよ。弱いものは容赦なく食い物にされるの。あなたが当たり前に持っている道徳観やフェアネスなんてぜんぜん通用しないわ。きっと気分を悪くしてしまう。ゲームで嫌な思いをするなんて、馬鹿らしいと思わない?」
    「そっかあ……」

     ゲームって、子どもの遊びだと思ってたけど、それだけ真剣に遊んでる人が多いってことなのかな。

    「ねえ、まどか」

     ほむらちゃんはやけに真剣な顔で、私の名前を――

     えっ? いま、まどかって呼んだ?

    「これだけは覚えていてちょうだい。ここではない、別の素晴らしい世界があると誘われても、けしてそれに惑わされてはダメよ。あなたが今いる世界を大事にして、そんな虚構は遠ざけてしまうのが一番いいわ。
     どんなに素敵な可能性を提示されても、けして乗ってはだめ。あなたを誘うのはなぜか、よく考えて。裏であなたを利用しようと考えているやつは、あなたが思っている以上にたくさんいるのよ」

     ほむらちゃんがせつせつと訴えかける声が、私の頭蓋の奥に染み渡ります。哀切でいて、それでいてロジカルな、何かが分かるようで分からないような。

    「う……うん」

     ほむらちゃんは、いったい何と戦っているのかな。

     あまりにも現実味を欠いたダークな人生観が、ほむらちゃんの出自に由来するのなら、それはなんて寂しいのでしょう。

     無愛想で、ちょっと不思議なクラスメイトがまっすぐに私を見ています。
     にくたらしいくらい整然と整った目鼻の奥に、うっとりするほどカッコよく引き締まった体の胸に、いったいどんな思いを抱えているのでしょうか。

    「ほむらちゃんは、じゃあどうしてそんなゲームをしているの?」
    「……約束だから」

     ずきん、と心が痛みました。

    「絶対に、クリアするって約束したから」
    「楽しいからしているんじゃないんだ?」
    「そうね。今は義務感で続けているわね」
    「変なの」

     私は、なんだか嫌な自分が出てきそうになっているのに気がつきました。
     だめ、こんなことを言ったら。

    「……楽しくないなら、やめちゃえばいいのに」
    「約束なのよ」

     ひとりぼっちで銃を撃つゲームに興じるほむらちゃんが、目の前にありありと浮かびます。誰かとの約束をばかみたいに律儀に守って、ほむらちゃんは来る日も来る日もゲームを練習したのでしょう。

     約束した子は、ほむらちゃんのことを、夏祭りに連れていったのでしょうか。さびしいほむらちゃんの気持ちを、少しでもわかってあげたのでしょうか。

     きっと、どちらもしてあげなかったんだと思います。
     そうでなければ、ほむらちゃんが泣いたりするはずはありません。

     そんな不義理でいい加減な子との約束なんて、もうやめちゃえばいいのに。

     理屈がいくつもつみあがっていきますが、本当のところは自分でもわかっていました。

     変なの。私、嫉妬してる。ほむらちゃんが大事な約束をしたっていうその子に、すごく嫌な気持ちを向けちゃってる。

    「その子は、約束のことなんてもう覚えてないんじゃないのかな。きっと、軽い気持ちで言ったんだと思うよ」
    「ええ。でも」

     しっかりと。
     十字架を握る敬虔な信徒みたいに、ほむらちゃんは胸に手を当てました。

    「私は、憶えているわ」

     誇らしげで、ちょっとさびしくて、でも強い意志を宿してる……そんな表情でした。

    「……が、忘れてしまっても。私は、けして忘れたりなんか、しない」

     やめて、そんな顔をしないで。

     私はなんだか胸が苦しくなってきました。いったい誰なんだろう。ほむらちゃんを、こんなにも悲しい笑顔にさせるのは、いったいどこの誰なんだろう。

     どうしてそれは、私じゃないんだろう。

    ***


     ほむらちゃんが『まどか』と私を呼ぶので、ぼんやりと嫉妬で胸をいっぱいにしていた私は、慌ててそちらの方を見ました。

     赤、青、黄色。ラメ入り、大きなもの、小さなもの。
     スーパーボールがたくさん水に浮かびながら、ぐるぐると流されています。

    「あれ、何かしら」
    「スーパーボールだよ。投げるとよく弾むやつ」
    「……きれいね」
    「取ってみる?」

     ほむらちゃんは遠慮がちに私を見ながら、それじゃあ、と裾をまくりました。若木のような腕があらわになって、金色の提灯明かりに、ぱやぱやとうぶ毛を浮かせます。

     私の、どこかもっちりした、ちんちくりんの腕とは大違いです。

     神様って意地悪だよ……なんとなく自分の両腕をまじまじと見ながら、私はしゃがみこむほむらちゃんの真後ろで、応援する構えを取りました。

     前向きにしゃがみこんだほむらちゃんの背中に、薄い木綿の浴衣生地がぴったりとはりついて、肩甲骨や背骨や下着や、すじっぽい背中の筋肉が浮かび上がります。

     ……って……

     私は思わずあたりを見回しました。道行く何人かが、じろじろとほむらちゃんを見ています。

     ほむらちゃん、透けちゃってる!

     浴衣を着たことがないほむらちゃんが、一生懸命自分で着付けたのだから、仕方がないといえばないのかもしれません。でも、そこには、和装では普通つけないとされるブラもパンツもくっきり浮いちゃってるほむらちゃんの背中があるのでした。

     ど、どうしよぉ……

     少しきつめのパンツを履いているのか、ローライズ気味に腰骨の辺りを覆うラインや、おしりの真ん中からやや下までしか覆っていないきわきわの逆三角形の二等辺が、ばっちり確認できてしまいます。

     私はそんなところを見てしまって、すごく申し訳ないような、情けないような気持ちになりました。

     心臓が、焦りと恥ずかしさと不安感でどくんどくんと強く波打ちはじめます。

     私はほとんどほむらちゃんの背中にくっつくようにして、寄り添いました。

    「ま、まどか!?」

     ほむらちゃんのうわずった声が聞こえます。

    「え、えっとえっと……」

     どうしよう、痴漢してるみたいになっちゃった。でも、教えてあげたほうがいいのかなあ?

    「がんばれほむらちゃん!」
    「あ、ええ……」

     さやかちゃんや仁美ちゃんなら、今すぐ教えてあげたかもしれません。
     でも、相手はほむらちゃんなのです。たった一時間前に仲良くなりはじめたばかりの、寄せ付けがたい雰囲気の転校生なんです。

     そんなことして、嫌われちゃったらどうしよう?

     でもでも、見ないふりしてたら、ずっとほむらちゃん恥ずかしい思いをすることになるし……

     迷っている間にも、ほむらちゃんのゲームは進んでいきます。

    「けっこうたくさん取れるのね」

     無表情ながらも、どこかほくほくした声で、ほむらちゃんが茶碗いっぱいにボールをすくってみせています。

     ほむらちゃんの丸めた小さな背中には、シンプルな形のストラップとホックが浮かんで見えました。見てはいけない、見てはいけないと思うのに、なぜだかすごくドキドキして、目が離せなくて。頭が、くらくらしてきました。

     ほむらちゃんって一人暮らしなんだっけ……

     お父さんもお母さんもいないのだったら、指摘してくれる人が誰もいなかったと見て間違いありません。
     一人で練習して、一人で浴衣も着れるようになっちゃうほむらちゃんは、きっと普段から誰かにものを教わるということがないんだと思います。

     女の子の友達がいたら言ってくれたりもするかもだけど……

     ほむらちゃんの友達は、いまは私しかいないのです。

     そう、他の誰でもない、私がその役目をしないと、ほむらちゃんはずっと間違えたままになっちゃうのです。

    「……ほむらちゃん!」

     すくったスーパーボールをおしゃれな袋詰めにしてもらって、ちょっと浮かれた感じのほむらちゃんが、小さく首を傾けてこちらに注視します。

    「なあに、まどか」
    「その……ほむらちゃんって、いいにおいするね!」

     うわあん、私のばかばかー!
     だって、言えないよ! ほむらちゃんに嫌われちゃうもん!

     ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけえっちな目で見ちゃったことも、私はすごく申し訳なくて、泣きたくなってきました。

     ほむらちゃんはくんくんと自分の袖のあたりを嗅ぎ、

    「……香りがきつかったかしら」
    「何かつけてるの?」
    「何か、っていうほどではないのだけれど」

     ほむらちゃんが取り出したのは、スプレー式の冷感制汗剤でした。

    「虫除け効果もついて新発売、のやつだね」
    「そう。よく知ってるわね」
    「最近、ドラッグストアでよく見かけるから。どんな感じ?」
    「そうね、体感温度マイナス10度がうたい文句だけれど、さすがに誇大広告ね。つけてみる?」
    「うん」

     ほむらちゃんはしゃかしゃかと液体を振ると、私の腕をまくりました。ほむらちゃんとは違う白さの皮膚が、とろけるメロンみたいな色の光にぽうっと照らしだされます。

     二の腕からひじにかけてワンプッシュ。ひじから先にワンプッシュ。

    「うひゃあ」
    「もう片方も」

     順繰りに冷たい霧の洗礼を受けて、すーっと肌が冷えていきます。ほむらちゃんとおんなじにおいが、私の体に染み付いていくんだと思うと、なんだか妙にどきどきしました。

    「ほむらちゃんの肌がひんやりしてたのも、これのせいなんだね」
    「そう? 言うほど違わないと思うのだけれど」
    「ううん。ほむらちゃん、なんで汗かかないんだろって思ってた」
    「背中にもかけると気持ちいいわよ」
    「わあ、それやって!」

     ほむらちゃんが衿の後ろをひっぱって、スペースを作りました。そこを覗き込まれることに、少し照れを覚えます。

     ぷしゅっ。冷たいアルコールとメントールの感触が、気化熱を伴って肌を焼きました。

    「ん~~、気持ちいー」
    「足もどう?」

     どきっとしました。だって、今日の私は。浴衣の下は。

    「えっと、つま先だけなら……」
    「太ももの裏ぐらいが一番気持ちいいわよ?」
    「いっ、いいよ!」

     恥ずかしがって付け根を押さえる私に、なぜかほむらちゃんはにやりと笑ってみせました。もとから少しきつめの目つきですが、そうやってまぶたを半分下ろすと、ふたえのくっきりしたラインが怒ったみたいに跳ね上がってるのがよく見えて、ちょっと怖いけどかわいいです。

     ほっぺをさも楽しそうに吊り上げて、ほむらちゃんは小悪魔めいたしぐさで私のほうへ近づいて……

     ぽかんと見とれていた私は、ぺろりと裾をめくられても、ただばかみたいに突っ立っていただけでした。

    「あっ、ほむらちゃん!?」
    「うふふ、太もも、まどかの太もも」

     へんなおじさんみたいな冗談を言いながら、ほむらちゃんはしゅっしゅっと念入りにスプレーを吹き付けて――

     びくん! と体をこわばらせました。

    「ま、まどか……」
    「……み、見た?」
    「どうして……」

     私は恥ずかしさと混乱とで頭がぐちゃぐちゃになりそうでした。
     まわりに聞こえないようこしょこしょと音量を下げて、

    「こっ、これが普通なの! 浴衣ははかないんだよ?」
    「えっ、でっ、でも、今は穿くのが普通だって、ネットでも」
    「それは和装用の特別な小物だよ! ラインが出ちゃったり、透けちゃったりしない専用のがあるの! ふだんつけてるやつはダメなんだって!」
    「えっ……」

     ほむらちゃんはいきなり腰のあたりを抑えて、固まってしまいました。

    「も、もしかして……」
    「……ほむらちゃん、透けちゃってるんだよ」

     かああっと、赤い絵の具でも落としたみたいに、ほむらちゃんの顔色がいっぺんに変わっていきます。
     さやかちゃんや男の子たちに意地悪を言われても平静なままやり返したあのほむらちゃんが、おどおどとあたりを気にし始める姿を見て、私はすごく悪いことをしてしまったような気分になりました。

    「ごめんね、私もさっきほむらちゃんがしゃがんだときに気づいたんだけど」
    「……そう、言いにくいことを言ってくれてありがとう」

     ほむらちゃんはちょっと泣いていました。それはそうです、いろんな人に間抜けな姿を晒していて気づいてなかったんだから、恥ずかしさで消えてなくなりたいぐらいでしょう。

    「……ほむらちゃん、浴衣の着付け、もう一回できそう?」
    「やり方は覚えたから、時間をかければできると思うわ」
    「じゃあ、脱ぎにいこ?」
    「でも……」
    「大丈夫だよ、襦袢を着てたら見えないもん」


    ***

     すこし気まずい空気のなか、私とほむらちゃんはお手洗いを探して歩きました。
     やっと見つけた仮設のお手洗いには、すごい行列ができています。

     うーん、仕方ないなあ……

    「ね、ほむらちゃん。河川敷を出て、道を二本行ったところに、林の小道があるんだけどね。人工の公園みたいになってて、ベンチも街灯もきれいなんだよ」
    「……そういえば、あったわね、そんなの」
    「花火は途中からしか見れなくなっちゃうかもしれないけど、そっちならあずまやがあって、めったに人も来ないから」

     『この時期のカップルの名所なんだよ、覗きに行かない?』ってはしゃいでいた、さやかちゃんの言葉を思い出します。ありがとうさやかちゃん。ヘンタイって怒ってごめんねさやかちゃん。こんなところで役に立つなんて。

     ……からころ、からころ……

     ほむらちゃんの手を引きながら――いつの間にか引く側と引かれる側が入れ替わっています――私はなんとなく月を見上げていました。

     三日月とも半月ともいえないいびつな球形が、スモッグにおおわれがちな鼠色の空に浮かんでいます。

     夜でもなんとはなしに明るいのが、見滝原市の抱える公害問題のひとつです。

     扇形のレンガの小路が、アスファルトの向こうに見えてきました。黒がちの枝葉の天蓋に覆われた、現代的なデザインの遊歩道兼公園通り。閑静なベッドタウンとして作り上げられたこの地域には、清潔で洗練された都市区画が、ほかにいくつもあるのでした。

     農家のあずまや風の、木板の座椅子があるだけの小さな屋根をくぐります。

     あたりに人の気配はありません。ときどき、遠くから祭りの太鼓ばやしやどよめきが聞こえてきます。風は草木の湿度をほどよく孕み、すずやかに吹き抜けています。

    「ここなら誰もこないから」
    「ええ」

     ほむらちゃんはくるりと私に背中を向けて――下駄の片方を脱いだところで、私は後ろを向きました。

     見てみたいと思う自分が、なんだかとっても恥ずかしくて、嫌でした。

     かこん。脱いだ下駄を裸足で踏みしめる音が続きます。

     ぱちん。下着のゴムが乾いた音を立てて弾けます。

     しゅるり。

     しゅっ。

     私はあたりを不安な気持ちできょろきょろしながら、早く終わればいいのにと思っていました。人を冷静な気持ちにさせるという、蒼い街灯が草木をまばらなセルリアンブルーに染めています。
     さわさわと風が渡ります。虫も鳥も鳴かない、すべてがコンクリートで調律された都会の闇が、百年来の孤独のようにわだかまっていました。

     誰か来ちゃったらどうしよう。

     ほむらちゃんの着替えは続きます。

    「……っと、」

     ためらいがちの吐息が聞こえてきます。しゅるしゅると、やたらに身ごろを合わせようとする衣擦れの音が聞こえて、それが少しずつあせりで早くなっていきます。

     しゅっ。

     しゅすっ。しゅ、しゅしゅしゅ。

    「ねえまどか、後ろのおはしょりを見てほしいのだけれど」
    「う、うん。振り向くね?」

     ほむらちゃんは衿元をたるつかせた姿で、胸紐を当てかねているようでした。
     人工灯の蒼い光に照らされているほむらちゃんは、まるで人形か、よくできたコンピュータグラフィックみたいです。

    「曲がっていないかしら」
    「ううんと、すこし右が下がってる。……あ、もう少し、左を……」

     後ろの長さをもぞもぞと調節して、改めて前身ごろを手で動かします。

    「……うまく行かないわ」
    「鏡持ってくればよかったね」
    「……ねえ、まどか」

     ほむらちゃんはちょっと言いにくそうにしました。

    「どうしたの?」
    「その……ここから、手を入れてくれない?」

     ほむらちゃんは両脇のスリットを……その奥にある襦袢と、白い木綿にうっすら透ける生の肌を……示してみせました。

    「それで、平らにならしてほしいの」

     つまり、浴衣の隙間から手を入れて、襦袢一枚のほむらちゃんの体に触っちゃうってこと?

    「う、うん……」

     意識してるなんて思われたら、恥ずかしくて生きていけません。女の子同士、女の子同士なんだから。それに、襦袢だってちゃんと着てるんだから。たるんだ浴衣の布と布のすきまに手を入れるだけなんだから!

    「いくよ」

     ほむらちゃんの正面から手を回し、身八つ口に差し込みます。

     ぎゅっと、抱きしめるようにして……スズランにも、百合の花にも似ている、柔軟剤まじりの甘い香りが浴衣からほんのりただよいます……ほむらちゃんの背中を肩越しに覗き込みました。

     折れそうに細い腰に、半ば腕を巻きつけるようにして、背中側へまわします。腕に、ほむらちゃんのちょっとぬくまった襦袢の感触がして、私は口から心臓が出そうになります。

     後ろの線を、真ん中にして。右と左をバランスよく。

     とんとん、とんとん、と浴衣を引っ張ります。

    「こ、これで、いいと思う」
    「そのまま、腕を抜いて」
    「う、うん」

     ほむらちゃんが型取りをするように布をおさえる隙間から、そろっと腕を抜き取りました。

    「紐を巻くわ。少しだけ、ぎゅっとしていて」

     まるで恋人に甘えるみたいに、ほむらちゃんが恥ずかしそうにそう口にするものだから。

     私は顔から火がでそうな思いをこらえて、身の丈にぎゅっと抱きつきます。

    「……できたわ」

     固定がすんで、あとは帯を巻くだけになったほむらちゃんが、静かにそう言います。

     私いま、ぜったい真っ赤になっちゃってる。

     私が手を離して、おそるおそるほむらちゃんのほうを伺うと、ほむらちゃんは真っ暗な瞳で笑っていました。

     吸い込まれそうな、深い色合いの瞳です。

    「まどかの頭って、抱きしめやすい位置にあるのね」

     並んで立つと、ほむらちゃんのほうが頭半分だけ、高い位置に来ます。

    「そう、かな……」

     まどろみに誘われるように、私は何も考えられなくなってきてしまい。

     ほむらちゃんの、すこし伏せがちの横長の瞳だけが、やけにくっきりまぶたに焼き付いて、離れなくなるかのようでした。

     ……かこんっ。

     ほむらちゃんが、脱いで、踏んづけているだけの下駄の上で、少しバランスを崩しました。

    「きゃっ……」

     椅子の上に叩きつけられるほむらちゃんと、引っ張られる私。

     狭い空間に、ぴったりと寄り添い合って、まっすぐ椅子に座るほむらちゃんと、ほむらちゃんを膝で挟み込むように、対面で座り込む私。

     ほむらちゃんは、私の胸に頭をうずめていました。

     ちいさな、形のよい丸い耳が、私の胸に押し当てられて、フローラルノートのシャンプーの気配が色濃く残る髪の生え際から、ふんわりといい匂いが立ちこめました。

     浴衣からも、身体からも、髪からも。しっとりとした洗い立ての気配と、甘い香りがするほむらちゃん。
     メントールや、スズランや、フローラルや。いろんなものがまざりあった、くらくらするほど甘い香りのほむらちゃん。
     
     どうしよう、離れないと。

     分かっているのに、身体は凍ったみたいに動けなくなってしまいました。

     ほむらちゃんの手が、蛇みたいにあやしくくねります。

     するりと、どこか生き物めいた動きで、私の腰をからめとります。

    「まどかって、ちいさな仔犬みたいね」
    「ち、ちっちゃくないもん」
    「あら。気にしているの?」
    「ほ、ほむらちゃんには分かんないよ」
    「いやみじゃないの、抱きしめずにはいられないってこと。あなたってそういう不思議な魅力があるわ」

     ほむらちゃんは、ぐりぐりと、あたまやおでこやほっぺたを、私の胸にこすりつけました。

    「わっ、わっ」

     きれいにまとめた髪がほつれて、ほむらちゃんの額や、頬に散りばめられます。
     それはほむらちゃんが言うように、大好きな飼い犬をかわいがるみたいなしぐさ――というよりは、大好きなご主人様にべたべたあまえる、大きくて強くてかしこいわんこみたいでした。

    「ゆ、浴衣、くずれちゃうよぉ……」
    「あとで直してあげるわ」

     くすくすと笑う、ほむらちゃんの声。どきどきするほど清涼感があって、くらくらするほど甘ったるい。しゃらしゃらと、清浄な沢のせせらぎみたいな吐息を含んで、ひくめられた無声音が私のすぐ耳元ではじけます。

    「帯、取っちゃおうかしら」
    「だ、だめだよ、こまるよ」
    「そう? 取ったらすずしいわよ」

     ほむらちゃんは、袂からリネンの真白いハンカチを取り出しました。

    「すこし、汗ばんでるわね」

     私の首筋をとんとんとたたいていきます。

    「んっ……」

     そんなところ、ママだって触らないのに。丁寧にぬぐわれていくたび、私はくすぐったくて、身をよじりました。

     ほむらちゃんの瞳が、私を覗き込んでいます。ママからもらったトンボ玉の、アヤメの花にちょっと似てる。
     
     ずっと見ていたくなってしまう。

     こわれやすい、ガラス細工みたいだから。

     ――ひゅうぅぅ……

    「……あ……」

     遠くから、風を切る音がしました。
     花火の、はじまりです。

     ――どぉん……ぱららっ……

     火薬がはじける音。軽やかな炸裂音。一瞬だけ、暗い空が真昼の色に染まります。ほむらちゃんの水晶みたいな白目や、ぬばたまの黒髪が、ぱっと白く浮かびあがりました。

     ――どぉん……ぱちぱちぱちっ……

     音が止んだ世界で、遠くの花火が炸裂します。

     わたし、どうしたんだろう。

     心のうらっかわがうずうずして、とっても苦しくて、くすぐったい。

     むかし、まだほんの子どもだった頃。あの夏の日、ママと一緒にした線香花火が、ぽとりと落ちたときのこと。パパとママの、かなしくてさびしい横顔。怖いくらいの夜の闇。胸を刺す、祭りのあとの寂寥感。

     友達と、痛む足の指を押さえながら、下駄を引きずって帰った日のこと。せっかくきれいに和装したのに、つかれて、おもしろくなくて、ぐちゃぐちゃになってしまったこと。

     たくさんの、非日常の終焉の記憶が、香りまで伴って、私の心を串刺しにしていきます。美しいけれどもひどく寂しい、たった今だけのお祭り騒ぎ。

     この花火が終わったら、私とほむらちゃんは、おうちに帰ってぐっすり眠って。

     次の登校日には、夏はすっかり終わっていて。

     ほむらちゃんとこうして抱き合うことも、ひょっとしたらもうないのかもしれなくて。

     ほむらちゃんの、かたちのいいおでこが目の前にありました。その下のほっぺや鼻が、不自然に赤くなっています。

     どきどきして、胸が苦しい。

     終わりが、来る。

     夜が、来る。

     ――ひゅうぅぅぅ……どぉんっ……

     なのに、ほむらちゃんはこんなにもきれい。私がぎゅっと頭の後ろに手を回すと、長く伸びた袖がほむらちゃんをすっかり覆いつくしてしまって、ヴェールみたいになりました。

     ほむらちゃんは、きれい。

     きれいだけれども、かなしい。

     どうしてかは分かりません。ほむらちゃんは、いつも泣いているような、そんな気がしました。泥にまみれて、血を被って、ひたすら前に進んで、それでも努力が足りなくて、つらくて苦しくて、たくさん泣いている……そんな映像が、むかしの懐かしい記憶と一緒に、まぼろしみたいにはじけました。

     誰かが、ほむらちゃんに寄り添ってあげたらいいのに。

     ううん、私以外の誰も、ほむらちゃんには触らせたくなんて、ない。

     私のこの気持ちは、いったい、何?

     友達とは、違う。さやかちゃんや、仁美ちゃんとは、ほむらちゃんは全然違う。

     家族とも、違う。パパやママやたつやとも、ほむらちゃんは全然違う。

     変なの。ほむらちゃんは、ほむらちゃんなのに。
     他の誰でも代わりなんてきかなくて、ただそこにいるだけで特別な。

     ああ。なんだかそれって。

    「まどか」

     ほむらちゃんの声。吐息が星屑みたいに降りかかる。
     耳が熱くて、焼けてしまいそう。

    「花火を、見ないの?」
    「うん……」

     私はほむらちゃんの頭を抱えて、ずっとほむらちゃんばかりを見ていました。

    「おかしな、まどか」

     私の服を透かして、青い電灯のひかりがやわらかく、ほむらちゃんを包みます。

    「ねえ、ヘルマンヘッセの車輪の下は、読んだことあるかしら」
    「ううん、ない……」

     夢見心地の私に、ほむらちゃんの落ち着いた声がしんしんと降り積もります。

    「すこしおかしな友達に振り回されて、キスをされるの」
    「……キスを」

     私を見上げるほむらちゃん。すこし渇きがちな、つやつやの唇。どくんどくんと、自分の心臓の音がします。

    「それはね、かわいらしい、じゃれあいなんですって」
    「分かる、かも」
    「でも、キスよ。まどかは嫌じゃない?」

     すこしおかしなほむらちゃん。でも、ほむらちゃんになら、いい。

    「ううん。……そういうの、しるしみたいで、すてきだと思う」
    「しるし?」
    「仲良くなった、しるし。ひみつを持った二人って、もっと仲良くなれるって言うもん」
    「そうね。……素敵だわ」
    「わたし、もっとほむらちゃんと、仲良くなりたい」

     ほむらちゃんの頬が、急にぽうっとなりました。ペールピンクのお化粧をブラシで散らしたみたいに、白い肌があざやかに色づきます。

     うっすらと閉じたまぶたが、最大まで近く、なりました。

    「目……閉じて」

     ほむらちゃんの、かすれた色っぽいささやき声。

     いわれるままに顎を上げて、私は瞳を閉じました。

     ――ひゅうぅぅ……どぉん……

     一部をシャットアウトされた知覚に、花火の音が響きます。

     くちびるに、やわらかなものが、そっと重なりました。

     すりすりと、皮膚が薄くなった部分が、こすりあわされました。

    「……っ」

     ひそやかなため息がしました。とろけるような感触がして、私をどこかにさらっていってしまいそうでした。

     小鳥のはかないついばみのように、それはすぐに止みました。

     ほむらちゃんが、遠慮がちに私の衿元を正してくれます。

     指先まで感電してしまった私は、けれども、もっとしてほしいなんて言えなくて。

     ――ぱららららっ! どどどどぉん!

     ひときわ派手な花火の音がして、あたりを真っ白に焼き尽くします。

     それを最後に、花火はぱったり止んでしまいました。

     お祭りが、終わろうとしています。

     もっと、もっと一緒にいたいのに。

     切ない痛みが、胸の奥いっぱいに広がります。

    「……終わったわ」

     告げるほむらちゃんは、さびしい笑顔になっていました。パパやママがいつか浮かべていたような。非日常の終焉と、狂おしいまでのその余韻。

     ――お祭りのあとって、どうしていつも寂しいんだろう。

     どうしてほむらちゃんは、そんなにもかなしい笑顔を、浮かべ慣れているんだろう。
     日常に倦みきった大人がするより、ずっとずっと上手なんだろう。


     帰り道。
     ほむらちゃんがくれたしるしが、まだくちびるに残っているようで。
     私は自分のくちびるに、そっと触れてばかりいました。


    ***



    「私は、憶えているわ」

     きっと、何も覚えていないまどか。
     あの子にそれを言ったって、ただの自己満足。それは分かっていた。

     それでも。

     美しくて寂しい夢に溺れそうになったって、祭りのあとの静けさに呑まれてしまいそうになったって、私は絶対に立ち上がる。


     私は言い続ける。
     約束は、忘れない。違えたりなど、死んでもしない。




    「まどかが、忘れてしまっても。私は、けして忘れたりなんか、しない」




    2012.07.21 泥はねの確認ぐらいまで。特に先の展開を考えてないので、どう転がそうか考え中。
          ちなみに私の着物知識は半径5メートルぐらい(意訳:ネットで調べただけ)です。

    2012.07.22 クリアするって約束したから、まで。プロット立てないとぐだぐだするよね。

    2012.07.23 私いま絶対真っ赤になっちゃってる、まで。すきあらばえろくしようとする同人脳め

    2012.08.01 終わりまで。プロットなしのぐだぐだ進行ならではの行き当たりばったり感。
            結局えろくはならなかった。

    2012.08.02 そういえば「実は何度もまどかと夏祭りに来ていて、フラグを立てるために
          初めて浴衣を着たふりをしてるけれど嘘。本当は何度も着たことがある。
          だから最初に『久しぶりに着たから、帯が曲がっていないといいのだけれど』と言及した」
          という伏線を張っていたのに、回収するのをすっかり忘れていました。プロットェ……
          でも、ラストの〆でだいたい伝わったと思うんですけど、どうでしょう?
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    Date:2012/08/01
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    Thema:同人活動
    Janre:アニメ・コミック

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