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    アニメ・ラノベの同人小説倉庫

    □ 魔法少女まどか☆マギカ □

    あなたのいない世界なんて 

    Pixivに乗せてたやつ。ちょこちょこ手をいれていきます。
    完結済みの旧版はPixivにあります→ http://www.pixiv.net/series.php?id=69476 

    アニメ最終回後、まどかに作り変えられた世界で、魔獣相手に闘い続けるほむらちゃんのお話。
    原作準拠、百合要素なし、シリアス長編。
    まどマギポータブル発売前に完結させた話なので、その辺と矛盾しててもキニシナイ。


     矢をつがえた。
     魔獣が正面から迫ってきている。知能を感じさせない突進。一対多ならば散開するか、脚止めと留めを分担するぐらいはするだろう。それをしないということは、こいつらは虫と一緒だ。
     私という焔に飛んで入るだけの甲虫たち。
     正面の一頭が、滑るようにやってくる。関節や腱や筋肉に由来しない動力が魔獣を直進させている。呼吸の読みにくさにはじめはとまどったものの、スピードに緩急はなく、動きもごく直線状のものだ。狙いはさきほどからつけている。この距離ならば外さない。
     機は満ちた。矢が光のような不定形を伴って、私の両手の間にたゆたっている。弦である草の蔓が限界まで張りつめている。そして、握りの柄である美しい生木が魔力を吸って、頂点に紫黒(しこく)色の妖しい薔薇を咲かせている。撃つならば、今をおいてほかにはない。
     射(い)た。矢はあやまたず、命中した。
     先頭の魔獣を貫通した矢は、そのまま玉突きに、4頭目までを串刺しに。
     壊れた電子図形のような明滅を経て、4体とも消滅。
     その身から小さな破片がきらめきながらこぼれ落ちた。
    「ひとつ、ふたつ、みっつ……」
    「これで全部だね」
     最後のひとつはキュウべえに食われた。
    「そんなに力をつけていなかったみたいだね。ほむらの敵じゃなかった」
    「退屈だわ」
     集めた破片をハンカチにくるみ、制服風のスカートのポケットに突っ込んだ。淡い燐光がすみれ色の生地の奥を照らして光ったが、それもすぐに消えた。
    「他は? 魔獣はまだいるんでしょう」
    「今日のところはこれで全部だよ。残りはマミと杏子が狩った」
    「……そう」
     強い風になぶられて髪がざわめく。長い髪は視界を遮ることもあり、戦闘には不向きだ。それでもそのまま流しているのは、魔獣の一体一体が強くないのと――
     頭に触れる。細いサテンのリボンがしっとりと夜気を孕んでいた。
     夜の闇に溶け込むような配色の私の戦闘服のなかにあって、ただひとつこのリボンだけが、白雪の上に落ちた血のように、生命の色をしている。
     ――まどかから貰ったこのリボンに、この街を見せたいからだ。

    「ねえ、見て」
     巴マミが指したのは、300円均一のアクセサリーショップだった。
    「やっぱりレースものが流行ってるのかしら。うちのクラスでも、つけてる子が多いのよ」
    「へえ。あたしはあんまり趣味じゃないな」
    「そう? 似合うわよ、きっと」
     巴マミは首をかしげて、じゃらりと飾りのひとつを手に取った。レースとプラスチックが複雑に絡み合った髪飾りを頭に寄せられて、佐倉杏子は舌を出す。彼女の赤い髪は活発な印象を裏切らず、淑やかな髪飾りはなじまずに宙に浮いた。
    「似合うとかじゃねーの。あたしは、そういう格好はしねーんだ」
    「もったいないわねえ……一度ぜひ、編み込み頭でストールを羽織るあなたも見てみたいのだけれど。あ、今度うちにいらっしゃいよ! 変身させてあげるわ」
    「だーもー、いいっつーの! あたしにはあたしのポリシーがあんだよ」
    「でも、本当に流行ってるのよ……ほら見て、あそこの子たちも、皆でおんなじリボンをつけてるわ」
     と、そこで巴マミはわざとらしく思いついたように、付け加えた。
    「そ、そういえば、いま、仲良し同士で同じリボンをつけるのが流行ってるみたいなの」
    「だったら何だよ」
     さすがの佐倉杏子も顔を引きつらせる。
    「だ、だから、三人で、おんなじものをつけるのもいいかと思って……ダメ?」
     うなだれる巴マミ。
     佐倉杏子は頭をがしがしと掻いた。

    「315円になります」
    「あ、袋はいいです」
     佐倉杏子は店員を手で制して、リボンをひったくると、ポニーテールにすばやくくくりつけた。それはおそろしく適当なちょうちょ結びで、レースのリボンの左右の大きさは違っていたし、リボンの裏面がひっくりかえっていて、プリントの模様が台無しだった。
    「ほらよ! これでいいんだろ!」
    「佐倉さんたら! リボンが曲がっていてよ!」
     上機嫌の巴マミ。彼女も手にしたリボンをツインのロールに結びつけ、きちょうめんにリボンの腹を指で伸ばしているところだった。
    「似合うかしら?」
    「おー、イケてんじゃんよ」
     佐倉杏子は投げやりだ。やれやれといった動作で肩を竦めつつ、でも不思議と満足そうな顔をしている。
    「ね、ほら、このリボン。暁美さんにも」
    「私は……」
     握らされたのは、揃いのリボン。巴マミも佐倉杏子も、期待のまなざしでこちらを見ている。私は視線を外した。
    「……ごめんなさい」
     これは大切な人から貰ったリボンだから。
     そう断ろうとしたが、思い直した。
     まどかのことは、誰も知らない。

     魔法少女になれば、どんな願いでもひとつだけ叶う。その代わり、やがて魔女になり、グリーフシードと成り果てる。魔法少女の抱いた希望が、すべて絶望に代わる時、その感情の落差から膨大なエネルギーが生じる。これに目をつけたのがインキュベーターの一族で、以来人類は魔法少女の希望と絶望を糧に繁栄してきた。

     その因果の鎖を断ち切ったのが、まどか。
     古今東西、未来永劫のすべての魔女を発現前に消し去ることを選んだ。そして魔法少女は、かなえた希望以上の呪いを振りまくことはなくなった。
     ただまどかひとりを犠牲にして。

     すべての魔女を消し去るという途方もない願いを叶え、まどかは神とも呼ぶべき座に据えられて、ひとつ上の次元のはざまへ消えていった。人類、宇宙よりもひとつ高い次元の存在であるまどかは、「この世のどこにも存在しない」し、「この世のどこにでも偏在する」。

     だから、巴マミも佐倉杏子も、鹿目まどかを忘れてしまった。
     だから彼女からもらったリボンは、私だけの秘密。私だけの、大切な宝物。
     誰にも教えたりなんかしない。

    「そ、そんな顔しないでよ」
     巴マミがあわてて繕う。
    「やだ、こちらこそごめんなさいね。勝手に、お友達同士で同じものを、なんて……」
    「そういやお前、いっつもつけてるよな。そのリボン」
     佐倉杏子は私のリボンに手をかける――と見せかけて、頭をホールドしてきた。そして耳打ち。
    「なあ、ちょっとぐらいつけてやってもいいじゃねえか。マミのやつ、今にも泣きそうだぞ」
    「できないわ。これは、どうしても外せないの」
    「……ワケありってことかよ。話せないことなのか?」
     ぐぐぐ、と力をこめる佐倉杏子。顔は笑っているが、確実に苛々している。
    「……」
    「嘘でもいいから、『形見なんです』ぐらい言ってやれよ。それが愛とセーギの魔法少女ってもんだろ」
    「嘘なんてつけないし、つきたくもない」
     今世紀最高のしたり顔で、できるだけクールに言い放つ私。変な方向に頭を曲げられたからか、偶然ショップの鏡が目に入った。佐倉杏子の絞める力が強すぎて、おかしな顔色になっている私が見えた。笑顔で首を絞めてくる杏子と、間抜けな姿勢で格好をつけている私の組み合わせは、ひどく滑稽だ。
    「……チッ」
     佐倉杏子はひとしきり私の首を絞めると、巴マミのほうに振り向いた。
     巴マミは肩を落として、涙の溜まった瞳を懸命に上向かせていた。
     佐倉杏子は利己主義を気取っているようで、こういう分かりやすい義理人情にとても弱い。
    「あ、あー。こうしてみるとよ、ヒラヒラしたもんもいいかなって思えてきたぜ」
     巴マミが無言でこちらを見やる。恨みがましそうな目つきともいえたし、かわいらしい泣き顔ともいえた。
    「なあ、これからお前んち行ってもいいか? その髪のクルクルってやつ、あたしにもやってくれよ」
     巴マミの髪型は天然半分、セット半分といったところだ。毎朝時間をかけて入念にコテで巻いているらしい。
     手つきで"髪のクルクル"を示されて、巴マミがきょとんと目を見開く。
    「え……べ、別にかまわないけど……でもあなた、こういう格好はしないのがポリシーって」
    「気が変わったんだよ! ほら、あたしだって女の子だし? たまには悪かねえだろ」
    「わ、わ、分かったわ! じゃあ、ケーキ買ってきましょ! おいしいところ知ってるの!」
     はしゃいで走る巴マミと、それを追う佐倉杏子のその後ろから、私もついていく。

     まどかの守りたかった日常が、確かにここにある。

    「ほんとに増えたわね。リボンの女子生徒……」
    「何か言ったかい? 暁美ほむら」
    「いいえ」
     キュウべえと呼ばれる白い獣を引き連れて、闇に立つところから、魔法少女の仕事は始まる。
    「こっちだ。今夜は8体ほど出そうだよ」
    「……一撃ね。つまらないわ」
     弓の弦をたわむれに弾いて、具合を確かめる。私と私の弓に異常はない。
    「来るよ、気をつけて!」
     キュウべえがビルの一角を示す。その陰から、音もなく、不思議な白光を漏らす化け物が、のたくりながら形を成す。
     一体はまっすぐ突っ込んできた。撃ち据えた。
     もう数体、同時に殺到してきた。これも弓のひとはじきで事足りた。
     おかしいと感じたのはその瞬間。
     アスファルトに魔獣を倒した証、グリーフシードが零れるはずだったのに、それは影のように消えた。
    「……っ!」
     魔獣にデコイを使う知能はない。これまでさんざん戦ってきたのだから分かりきっている。
    「ほむら、上だ!」
     見上げた先のビルの屋上で、白い魔獣が身を投げた。
     まっすぐ私へ向けて落下してくる。ほんの一秒の余裕もなかった。夢中で床を転げた。私のいた場所に、アスファルトすら割って刺さる白い魔獣。間を置かず私にあぎとを開いてみせる。
     それはまぎれもなく、不意打ちだった。
     魔獣にも学習能力があるなんて。苦い戦慄とともに歯を食いしばる。
     彼らに精神エネルギーをひとたび吸われると、廃人のようになる。その力を使って、彼らはグリーフシードを育てているのだった。
     避けられない。とっさに私は、ハンカチをつかんで、顔をかばった。ハンカチの隙間から零れたグリーフシードが私の代わりに吸い込まれていく。
    「っの、よくも……貴重なグリーフシードを……!」
     その隙に跳ね起きた私は、ためらいなく弦を引き絞った。射抜かれ、崩れる魔獣。その身からグリーフシードがこぼれるのを確認し、左右の警戒に戻る。
    「きゅうべえ、巴マミと佐倉杏子は?」
    「別の区域で狩りに当たってるよ」
    「合流できないかしら?」
    「なぜだい? 君ひとりで十分なはずさ」
    「今日は嫌な予感がするの……今日の魔獣は、いつもと少し違うわ」
     左右、私の直角のちょうど同じ位置に、二体の魔獣が出現。
     まったく同じタイミングで迫ってくる。
     一瞬、混乱で対処が遅れた。一歩身をひいただけの私に、二手目の突撃。避けがたく、私はまたしても地面を転がった。弓を構えるという、そのワンアクションを置く暇を与えず、巨大な腕を振り回して、私に得体の知れないカード状の輝きを間断なく撃ってくる。あれに当たったらどうなるのだろうと考えかけて、私はまた背筋の凍る思いをした。
     カードの射出が早い。私が弓を打つよりはやく、的確に私のいた位置を打ってくる。常に動き続けていないとすぐに撃たれてしまいそうだ。ひゅん、ひゅん、ひゅん、と風を切る音が、私を急き立てる。
     背を向けて、ひたすら走った。200メートルは走っただろうか。路地を抜け、ビルの陰や車を盾にして。疲労と恐怖でのどがせりあがる。いつまでも走って逃げていられるわけじゃない。何か策を考えないと。
     策はある。翼を使って空にのがれれば、機動力で勝てる。あれぐらいの攻撃は避けられる。でもあれは、とてつもない魔力とグリーフシードを消費する。できれば使いたくはない。
     その時だった。
     乾いた空に、銃声が響いた。
    「お困りのようね!」
     宙に浮くマスケット銃をきっちり一周旋回させて、巴マミはウィンク。おびただしい数の白い銃握が月光をはじいて整列している。そのすべてを侍従のように従えて、巴マミは羽根つき帽子を優雅に脱ぎさり、一礼した。
    「……助かったわ」
     半身を破壊され、崩壊していく魔獣にとどめの矢を放ってから、私は巴マミに頭を下げた。
     彼女はパフスリーブから伸びる指貫グローブの手をかざし、ざああっと一斉に、銃口を敵に向けた。
    「いいえ、とんでもないわ。さあ、残りもやっつけちゃいましょ!」
     仲間の死を見てとったのか、白い魔獣がいくつもせりあがってきて、殺気をこちらにぶつけてくる。
     巴マミはぐっと何かを引き絞るような動作をした。とたん、何匹もの魔獣がサテン風の黄色いリボンでがんじがらめにされる。来る途中でばら撒いた布石から、彼女得意の魔法――バンジーリボン、と佐倉杏子が日々嘲笑してやまないそれ――を発動させたのだろう。手際のよさに、私はほっとするような、泣きたいような気持ちになった。
     さらに殺到してきた2体をも、魔力のリボンで封じ込めにして、マスケット銃で的確にとどめを打つ。
     彼女と私の違いはこの魔法にある。
     遠距離・広範囲でのみ力を発揮する私に対し、巴マミは近距離戦にも強い。
     私は迫りくる二体の魔獣のうち、片方に狙いをつけた。撃つ、命中する。
     もう片方は無傷で私にしのび寄った。音もなく、ましてや人体であれば当然あるべき予備動作もなく、魔獣の腕が振り下ろされる。
     片方の絶命を確認するが早いか、私は受身を取った。
     ほんの半身で魔獣の一撃を交わす。影のようなあいまいな輪郭から、ビュウ! と激しい風を感じた。この魔獣にも質量があり、その殴打でたやすく私の身体は砕け散るのだろう。それほどの運動力が備わっていた。髪が吹き散らされ、汗みずくの額に氷のような冷気を当てられて、恐怖で身が自然と硬くなる。
     私ひとりであれば、受身は悪手だ。続けざまに矢を撃てない。次の攻撃も避け、身を立て直せるチャンスでもない限り、殺してくれと言うようなもの。
     魔獣は私に両手を振りかぶり――そのまま動きを止めた。
     巴マミのリボンが魔獣を押さえつけていた。
    「還りなさい!」
     どこからどこへ?
     私が突っ込む暇もあらばこそ。巴マミのマスケット銃が魔獣をしとめる。
    「魔弾の射手――悪魔ガミエルの齎す七の六」
     意味ありげな言葉とともに、四方へ同時展開したマスケット銃を操って、巴マミはグリーフシードを大量発生させていく。
     巴マミは手数でも私に勝る。
     近距離、遠距離、一対多を難なくこなし、長大火力砲であるティロ・フィナーレも隠し持つ彼女にしてみれば、魔獣が少しフェイントを混ぜようが、たいした障害にはならないようだ。
     私はせめて彼女の邪魔にならないよう、遠距離の魔獣を狩っていくのみだ。
    「どうしたの? 今日はずいぶん控えめなのね」
    「少し観察させて。魔獣の様子がおかしい」
    「確かに、いつもより動きがトリッキーよ――ねっ、と!」
     死角から来る魔獣をまとめてひとつのちょうちょ結びにし、プレゼントのように床へ転がす巴マミ。
    「それじゃあそろそろ、終わりにしましょうか!」
     巴マミは首元をおさえていたリボンタイをしゅっと音をたててほどいた。とたん、魔力が虹色のメタモルフォーゼを起こし、彼女の腕の間に旧式の砲台が現れた。鉄砲と導火線からなる古式ゆかしいその武器は、冗談みたいな馬鹿でかさだった。大型の海賊船でも取り付け不可能ではないか、というほどに。
    「ティロ――」
     大きな瞳をちゃめっけたっぷりにつぶって、つややかな唇を勝利の確信にほほえませ、砲弾に爆発・推進の魔力が籠められる。
    「フィナーレ!」
     爆発。爆風。白光。雷音。
     魔獣が断末魔の雄たけびをあげた。びりびりと大気をどよもす絶叫。おおお、おおお、と、人間では出せない重低音を響かせ、魔獣が解け崩れていく。
     ――ま……ジョォ……マ……ジョオォォ……
     私は耳を疑った。魔女、と、そう、言わなかっただろうか?
     崩れてゆく魔獣のうちの一体が、まっすぐに腕を伸ばし、ぴたりと私を人差し指でポイントした。
     ――マァァァー、ジョオオォォォ!!
     私が? 魔女?
     いやな予感に胸がざわめく。
     ――災い……あれ……
     ひどくゆっくりした、でも明瞭な、意味をなす言葉が、私に向かって託宣されていく。
     ――暁の……魔女オォ……!
     ――明星の……魔アァー女オォ……!
     ――WIIIIIIIIIIIITCH、THEEEE、MOOOOOONING STARRRRRRR!


     ――明けの……明星の……魔女に……災い……あれ……!


    「暁の星の魔女……?」
     不思議そうに、巴マミ。
    「……魔女って、何……かしら」
     魔女のいない世界の巴マミが、舌のうえで何度も魔女の名前を転がす。魔女。暁の星の魔女。明星の魔女……
     その答えを知っている私は、ショックに打たれて声を出すこともできない。
    「ま、いいわ。うるさいし、片付けちゃうわね」
     気軽に言うと、巴マミはもう一度胸のリボンを解いた。革風のコルセットから、革の組みひもをしゅるりととりのぞき、ぷつ、ぷつ、と糸を引き抜いていく。

     魔獣による大合唱は、巴マミの二度目のティロ・フィナーレによって幕を閉じた。

     魔獣と魔力の尾が妖精の粉のように崩れあい、溶け合って、消えていく。
     ティロ・フィナーレは、パパからもらった絵本に出てきたイタリア語なのだと、いつかの巴マミが語ったことを、ぼんやりと思い出しながら、優雅に紅茶へ口をつけた彼女を、私は賞賛の拍手とともに出迎えた。
    「どうしたの? あなたらしくないじゃない。この程度の数に苦戦するなんて」
    「そう……なのかもね」
     巴マミのいうとおり、この程度の数、だ。多少フェイントを混ぜられたからとはいえ、取り乱すほどのことではなかった。
    「相性が悪かったとは言えるわね。私は近距離戦が弱点だけれど、それをカバーする手立てがない」
    「そうなる前にかたをつけられなかったの? あなたスナイプの腕も相当でしょう?」
    「残念ながら。私が気づいたときには近づかれていたわ。少し裏をかかれたぐらいで、みっともないとは思うけれど」
    「それはじゃあ、今後の課題にするとして」
     巴マミはねむたげな目元をぐっと細めて、言った。
    「行きましょう。あなたがそんな調子だと、佐倉さんのことも心配になってくるわ」
    「ええ」

     4車線を有する巨大な道路のはるか向こうで、煙が上がっている。
     交通事故のようだ。
     巴マミが、隣で身をすくませるのが分かった。彼女は交通事故で両親を失くし、瀕死のところをキュウべえに救われて、魔法少女になった。――フラッシュバックを起こしていなければいいのだけれど。あえて無視しながら、そんなことを考える。
     長い長い道路の先まで、どのぐらい時間がかかるだろう。
     遠目にも分かるほど鮮やかな緋色の衣装の佐倉杏子が、奮戦していた。
     ただ、魔獣を倒すペースよりも、魔獣が集まるペースのほうが速い。少しずつ間合いをつめられ、放射状、360度ぐるりを魔獣に囲まれかけている。
     私もマミも援護射撃は繰り返しているが、この数の狙撃を走りながら大量に、というわけにはなかなかいかない。
     さりとてこの距離を走り抜けるまで、彼女が無事でいるとも限らない。
     翼を出すべきだろうか?
     思案する間にも佐倉杏子の劣勢は深刻になる。
     左右の魔獣から身をかわし、飛び、跳ね、伏せて、うまく一列に誘導しては槍でたたき伏せるのを繰り返している姿は、さながら舞踏のようでもある――だが、息があがってきているのが見えた。
     槍さばきが雑になり――一匹を倒し損なった。三方向からの同時攻撃を辛くもかいくぐったが、すぐに包囲網が狭まってくる。
     すでに彼女に殺到する魔獣は6体を超えている。それを、魔術的な補強込みとはいえ、すべて避け続けていた。
     私が同じ立場であればどうか? おそらく3体は捌けまい。
     あの魔獣が繰り出す一撃の重さとスピードは、ちょうどバッドをふりかぶるのと似ている。ただの一撃を受けても、私は立ち上がれないだろう。そして、ほんの十度も立て続けに振るわれれば、わたしはたやすく恐慌に陥り、体勢を崩して――
     佐倉杏子は足を取られた。槍を振るうための軸足を置く場所すら満足に取れず、いよいよ魔獣は射程の中だ。
     私であればかわせない、私であれば、一方向を崩せても、残りの魔獣の餌食になる。
     佐倉杏子は――
    「こぉん、のォ!!」
     槍の一閃。次の瞬間には、すべての魔獣が総崩れになり、消えていく。
     ――彼女は近距離戦のエキスパートだった。佐倉杏子の槍が届く半径3メートル半にすべての敵を巻き込めれば、それは勝ったも同然だった。
    「なぁんだ。やっぱり二人とも、無事だったんじゃん」
    「あなたっ、もっ……」
    「無事……っみたいねっ……」
     全力疾走後で息をあえがせる私たちに、佐倉杏子はにかっと笑った。
    「んだよ、二人して。心配になって走ってきてくれたってわけ? あはは、ないない。アタシの得物、なんだと思ってんのさ? 槍だぜ槍。あんたらの中じゃ、いっちばん不意打ちに強いっつうの」
    「……まんがいちっていうことも、あるわ」
     淡々と、私が反論すると、巴マミは一緒になってうなずいた。
    「そうよ。いくらあなたがすぐれた闘い手だったとしても、油断したらあっという間なんだから」
    「アタシが油断? それこそないって! 自分大好き、親でも地獄に売り飛ばす、天下御免の魔法少女だぜぇー?」
    「やめなさい。冗談でも、そんなこと言わないのよ」
     不快そうに、巴マミ。
    「へーへー。マミはおかたいなぁ」
     佐倉杏子はペロリと舌を出してみせた。
    「まあ、でも、まじめな話、なんなわけ? こいつら」
     佐倉杏子は転々とグリーフシードのキューブが転がる地面を槍の穂先で指し示し、
    「最初に仕掛けてきた時から、おかしいなとは思ってたんだけど、さ。倒しても倒してもグリーフシードは落としやがらねえ、しまいに妙な動きまでしてきやがる」
     巴マミは私のほうを見た。私は黙って首を振る。うなずきあう私たちを、佐倉杏子は不思議そうに見返してきた。
    「そう。やっぱり佐倉さんのときにも、魔獣の動きが、いつもと違っていた?」
    「ああ。まるで――」
     佐倉杏子は変身を解いた。ピーターパンがふりまく魔法の粉のような魔力のきらめきが、彼女の衣服をスポーティな普段着へと変えてゆく。爆発と煙幕を背景に、背筋を伸ばして立った彼女は、さながら映画の女優のようだ。
     そして、印象的な台詞をつぶやいた。

    「人間みてぇな動きをしてやがった」


     巴マミの両親は交通事故で亡くなった。佐倉杏子の両親は父の謀った無理心中で亡くなった。
     ……私の両親は健在だけれども、心臓病の私を厭い、離婚協議と別居の果てに、私を一人暮らしのアパートへ隔離した。
     そういう出立の私たちが、一緒に暮らし始めるようになるまで、さして時間はかからなかった。
    「……ひとぉつ、ふたぁつ、みっつ……」
     私の数え歌だけがリビングに流れていく。われながら陰気な地声だ。
     ドライヤーの音がごうごうと鳴る、巴マミの広々としたアパートの床で、自動制御のお掃除ボールが黙々と床をワイプしている。
     巴マミの趣味なのだろう、華美なソファの上で、佐倉杏子は眉間に皴を寄せたまま、寝たふりを決め込んでいた。
     その佐倉杏子の背後に回って、髪にドライヤーをかけているのは、巴マミだ。
     巴マミは彼女のつや光る赤髪にブラシをたっぷりかけてやると、いいお値段がご自慢のアウトバストリートメントをすりすりともみこんでやる作業に入った。そのハニーシトラスのもったりと甘い香りは巴マミのトレードマークで、嗅ぐたびにふんわりと巴マミのやわらかな微笑を思い出させるまでになってしまった。自前の高級コスメを惜しげもなく使い、ちやほやちやほや、ていねいに身づくろいをしてやっている。
    「……よっつ、いつぅつ、むっつ……」
     佐倉杏子はフリースのパジャマを着ていた。赤地に茶色のバイカラーは、満場一致で彼女に似合うと決めたものだ。佐倉杏子がうろたえながら『あたしはこういうのしか着ねえって』と掴んだ、紺色の冴えないジャージは横にのけられ、巴マミの有形無形の圧力に屈して、現在のような装いに至る。
     佐倉杏子は少女趣味なあしらいの袖をきつく組み、過酷な精神修行もかくやという態で、眉毛を寄せている。
     巴マミは黄色地にピンクドットのパジャマを着ている。これもまた、三人で決めた服だ。シフォンのケープがついた肩をいそいそと動かしつつ、上機嫌に指先を操っていく。
    「……ななぁつ、やっつ、ここのつ……」
    「……オイ」
     ぴくん、と肩を震わせ、佐倉杏子が喉から声をしぼり出した。耐え切れなくなったようだ。
    「その数え歌、やめろ」
    「なぜ」
    「不気味なんだよ! お菊さんかあんたは。もっとふつうに数えらんねぇの?」
     心外だ。
     私は紫と黒のうさぎモチーフの腕を止め、積み上げたグリーフシードを指差した。
    「グリーフシードの集計には、この歌がいちばんだわ」
    「だから、歌とかいらないだろ? もっとまじめにやれって!」
    「私はまじめよ」
     私は髪をかきあげる。といっても服が服なので、いまいち格好をつけてもしまらない。優しい色調の毛織物から、ふわふわぴんぴんと和毛(にこげ)がはみ出ていて、物理的にも精神的にもかゆいったらない。(私としてはもう少し大人の香りただよう、ヴィクトリアンなスリープ・ウエアでもよかったのだが、女三人の暮らしでそんなものを身に着けてもイタいだけだと早々に悟った。ちなみに、はじめてこのラブリーガールなパジャマを着たとき、佐倉杏子は『似合わねー! アンタ! なにそれ!』と大爆笑し、笑いすぎてついにお掃除ボールに小指をぶつけて悶絶した。)
    「――あん、ちょっと、動かないでくれるかしら?」
     巴マミは佐倉杏子の頭を無理やり押さえつけ、髪にカーラーをまきつけていく。
    「こうして数えると、気が引き締まるの。いつでも『ひとつ足りない』という気持ちを忘れずにいられるわ」
    「あーそーかい」
     イライラと、佐倉杏子。何でもいいからフラストレーションをぶつけたいようだ。無理もない、巴マミのかわいがり方には、何かこう、少し疲れるものがある。
    「だいたい、そんなにグリーフシードばっかり溜め込んでどうする気だよ。無駄玉撃つのが賢いとは言わねえけどさ、あんたのセコセコドケチっぷりにはあたしも恐れ入るよ」
    「あら、ありがとう」
    「褒めてねえっての」
     佐倉杏子はいーっと歯をむいた。口調こそ汚いが、やることなすこと子どもっぽい。佐倉杏子はそういう女だ。
    「まあ、とにかく。とくに理由もなくケチりすぎるのは考えもんじゃねえの? 火力不足で死んじまったら、元も子もねえじゃん」
     そして舌ったらずで頭の悪そうなしゃべり方に似合わず、苛烈で無慈悲な思考を併せ持つのも、この女だ。
    「理由なんて。そんなの決まってるでしょう」
     私はグリーフシードを積む手を再開させつつ、

    「千年を生きるのよ」

    「はぁ?」
    「――もう、動かないでったら」
     巴マミの手際は見事なものだ。すこし釣り目ぎみの佐倉杏子のこめかみに丸い髪の流れを作って、柔らかい印象に変えている。
    「これは私たち魔法少女の命の源よ。集めれば集めるほど長生きできるのが道理だわ」
    「ははん、望みは永遠の命ってわけだ」
     佐倉杏子はその答えが気に入ったのか、口笛を吹いた。
    「あん? ……でもよ、それじゃ魔法"少女"じゃなくなっちまうじゃねえか」
    「そんなことないわ。たとえ30歳になろうが80歳になろうが、私は魔法"少女"であり続ける」
    「妖怪じゃねえか、そんなもん」
     佐倉杏子は鼻を鳴らす。
    「魔女だろ、魔女」
    「違うわ」
     私はきっぱりと否定する。
    「魔女なんかじゃない。そもそも、佐倉杏子、あなたは魔女がなんであるか知らないのよ」
    「そりゃ、魔法"少女"の次は魔"女"だろ」
    「それだけはありえない」
    「……人間誰しも年は取るもんだぞ?」
    「私は魔女にはならない」
    「永遠の魔法少女でーっす☆ ってか」
     アホらし、と佐倉杏子は肩をすくめる。

     ――佐倉杏子は根本的に勘違いをしているが、まどかが作り変えたこの世界の彼女には、魔女の知識などないのだから、仕方がない。おそらく説明しても信じてはもらえないだろうし、私だって話したくはない。それを信じ込ませるまでに私と佐倉杏子の間でかわされるすれ違いや誤解を考えると、めまいがする。たいせつな記憶の宝物を、好き好んでそのようなやすりにかける必要はないのだから。
     それでも何か、ひとこと言ってやらなければ気がすまなかった。
     私はふふんと不敵に笑った。謎かけでもするように、スピリチュアルなたわごとめかして、ひみつの勝ち鬨をあげてやる。

    「魔女は誰かを呪うだけの存在。絶望の主体格を言うの。私は決して絶望しないわ。だから、魔女にはならない。いいえ――」

     私は確信をこめて言う。

    「この世のすべての魔法少女は、決して魔女にはならないの」

     佐倉杏子はしばらく目をしばたたかせていた。
     巴マミがもくもくと指を動かす。
    「……あんたさ、ときどき、怖いよな」
     佐倉杏子は少し声を上ずらせた。
     話の理屈は伝わらなくても、私の気迫と思いは伝わったらしかった。ただ口先だけででまかせを言ったのであれば、佐倉杏子は即座に見抜く。それだけ彼女は人の言葉に聡い。
     その彼女が、感動に目を潤ませて、いくばくかの尊敬込みで、私を見つめ返した。
    「意味はわかんないんだけどさ、胸にぐっと来ること言うんだよ。そうだよ、あたしはあんたのそういうとこが怖い。……そうだよな、あたしらは魔法少女なんだ」
     佐倉杏子はフェミニンなカールのきいた髪を揺らして、微笑んだ。
    「あたしらは、絶対絶望なんかしないんだ」

     私たち三人の魔法少女の礼装が、ビーズのように細かなきらめきを発しながら、夜空を舞う。
    「私が足止めをするわ」
     巴マミが中空にいくつものリボンを躍らせる。闇夜でうごめくそれは、獲物を狙う蛇のようでもあり、風に揺れる花びらのようでもある。
    「あなたは留めを」
    「了解」
     リボンが魔獣の胴に巻きつき、別の魔獣の足をからめた。弓を構えるにはその一瞬だけで事足りた。長距離・広範囲を薙ぐ私の矢が、次々と魔獣を灰に変えていく。
     私たちは魔獣の異変後、話し合い、今後は共同で狩りを行うことにした。
     おもに近接戦闘の手段を持たない私を二人が補ってくれる形になる。二人の負担にはなりたくないからと何度も固辞したが、聞き入れてはもらえなかった。
     魔獣も遅ればせながら巴マミの足止めに警戒心が出てきたようで、巴マミに集中砲火を浴びせようとする。彼女に気を取られているから、撃ち放題だ。
     魔獣の一匹が、私にも何かを飛ばしてきた。頭上高くから打ち下ろされるそれをしゃがんで避けた、つもりだった。
     ピッ――
     髪の何本かが切れ、はらはらと落ちる。思わずしかめた顔をかすめて落ちたのは。
     まどかのリボンだった。
     中央から両断され、切断面がかすかに燃えていた。
    「そんな……!」
     手でもみ消そうにも、魔力の炎はじりじりとまどかのリボンを灰に変えていく。
     地面にたたきつけ、魔力を注ぎ、なんとか全焼は免れたものの、ほんの少し短くなったリボンを両手に抱えて、私は目の前が暗くなっていくのをとめられなかった。これはこの世とあの世をつなぐ、たった一本の、アリアドネの糸なのに。
     からあんと、高い残響とともに、私の弓が地面に落ちる。はっとしてそちらを見ると、黒檀色の生きた木は、真ん中からまっぷたつに裂け、無残にもささくれだっていた。
     いけない、意識を目の前の戦闘に戻さないと。叱咤して視線を戻しても、瞬時に記憶がひらめいた。ふだんは心の底に沈めている、いやな思い出の澱がたちこめ、私の目を見えなくさせる。
    "もう……いやだよぉ……!"
     泣き叫ぶまどかの声が、強烈な血のにおいとともにぶり返す。腐った鉄の匂いの血液は、路地裏のドブとまじって、いびつなマーブル模様を描いていた。青ざめた鎖骨にかがやくクリスタルピンクの宝玉の波長。遠くで聞こえる魔女の慟哭。アルミのようにひしゃげ、折れていく鉄骨と、凶器のように散らばったガラスの破片。珊瑚の色の瞳はけがされきって、どす黒く染まっていた。
     みんなみんな覚えている。そのときかいだ自分のアドレナリンの匂いまで、のこらずみんな覚えている。
    「暁美さん!? 負傷したの? 暁美さん!?」
     巴マミの声がやけに遠くから聞こえた、気がした。
     集中しないと……! 唇をかみ締めて、手のひらに魔力をこめる。矢は暴発し、私の手袋を焦がして消えた。
     集中しないと!! ざわざわと胸が鳴り、全身から汗が噴きだす。矢を産んで――出てこない、どうして、どうしてなの?
     おぼつかない手で弓を拾う、折れた部分を繋ごうとする。
     直らなかった。めきっと、生木が音を立てて、完全に分離した。そして雲のように消えていった。
     私たちの武器は、戦う意思の具現だ。なにかを斃す強い気持ちがあれば現れ、心が折れれば消えていく。
     私はパニックを起こし始めていた。私とまどかをつなぐ唯一の希望。それがリボンであり、この記憶だった。
     助けて、まどか、まどか――! 矢をちょうだい、一切合財をなぎ払う矢を、世界を希望で満たす矢を!!
     何度試しても、矢は途中でいびつに歪み、空気中へ溶けていった。
     弓の柄をつかみ出そうと、何度も空中にそれを思い描いた。でも徒労に終わった。

     私はとうとう膝をつき、無力にリボンを握り締めた。

     リボンにすがる私自身も、ひどく遠い夢の中にあるようだった。
     膝をつき、背を丸め、手のひらにささげ持つ赤い布きれをきつく握りしめて、悲しみに唇をわななかせる。そのすべてが、舞台上の誰かが演じるお芝居みたいだった。
     分離した私の心のどこかが、目の前の死闘を無機質に観察する。
     佐倉杏子が怒声を張り、取り回した槍のレンジですべての魔獣が消滅した。グリーフシードが世にも美しい色の軌跡を描きながら床を転げる。
     巴マミは乱舞する舞台上の紙テープのように捕縛のリボンを張りめぐらせて、見渡す限りの一帯を動かぬ魔獣のオブジェで埋め尽くしていく。立ち入り禁止の区域に踏み入るかのように、器用にリボンとリボンのはざまを縫って、革のブーツがあちこちを舞う。
    「暁美さん、お願い、撃って!」
     佐倉杏子は中近距離ならどんな敵でも逃がしはしないが、大量殲滅には向いていない。
     単純な火力であれば、誰よりも私が勝る。
     その肝心の私が、からっぽだった。 
    「ほむらぁっ! 何ぼさっとしてやがんだ、この大ばかやろう!」
     佐倉杏子の怒号。うわんうわんと鼓膜の中で反響し、心と体に痺れを起こす。
    「だって……リボンが……」
     ヒステリックな嘆きが私の唇をつく。
     どんなに苦しい夜も、このリボンがあったから乗り越えてきた。『まどかなんていない』、キュウべえにそう結論づけられようと、私が鼻で笑えたのはこのリボンのおかげだった。私の頭の中にだけある出来事ならば、このリボンがこんなにも良い香りを放つわけがない。かつてまどかだった時に、あの子が身にまとっていた香り。桃のようでもあり、ひだまりのようでもある。温かさと生命にむすびつく印象の、幸福な香り。
    「ッチィ! おいマミ! こいつら分身を出して数を多く見せかけてやがるだけだ、コアさえ叩きゃ分身もまとめて消える! グリーフシードを狙って、効率よく行け!」
    「分かってるわ!」
     巴マミがマスケット銃の照準に入る。捕縛に気を取られているからか、取り出したのはたったの一本だ。
     動かない私を好機と見てとったのか。
     魔獣は私にもやってくる。
     巴マミがそれらの動きをすべて封じた。佐倉杏子は槍で屠った。
    「……っ、無理よ、数が多すぎる! 分身といえど攻撃力は変わらないみたいだし!」
     巴マミの悲鳴。
    「ほむら、おい! どういうことだよ! あんた、絶対絶望しないんじゃなかったのかよ! あんたの言葉に感動したあたしはどうなるんだ!」
     その叱責は、何より私の心に響いた。
     後ろめたさと苦痛が、私に言い訳をさせた。
     だって、弓が。リボンがないと、出てこないの。私の弓。私のリボン。
    「……ダメなの……このリボンがなかったら、私……」
    「暁美さん、お願い、力を貸して! あなたの弓が必要なの!」

    「……………まどか……!」

    「あン? おい、そりゃ一体誰だ――っととぉ!?」
     魔獣の攻撃はいまや私に集中していた。
    「なんで暁美さんばかり狙うの、こいつら!? まるで、弱い敵から狙うみたいに――」
    「実際そうなんじゃねえの!?」
    「だってこいつら、今までずっと直進しかしてこなかったじゃない! ゲームの雑魚みたいに、決まって同じ動きをしていて――」
    「ゴキブリだっておんなじ殺虫剤で殺してばっかいたら耐性つくだろ!」
    「……学習、しているとでも言うの……!?」
    「そういうこった!」
     佐倉杏子の地道な攻撃が着実に敵を減らしている。
     巴マミの捕縛の魔法は正確無比で、ここにいたって誰一人として負傷していない。
    「暁美さんお願い立ってえぇぇぇ!!」
     巴マミの絶叫。
     限界がきていたのだろう。
     捕縛の魔法が、すべて解け消えた。

    「うるあぁぁぁぁぁ!」
     佐倉杏子の斬撃が鋭く速度を増していく。
     疲労に足をついた巴マミに、今度こそ佐倉杏子は間に合わなかった。
     魔獣を狙ったマスケット銃は弾道が浅く逸れ、魔獣の腕の一振りが、巴マミの腹部を打った。
     およそ細身の女の子から発せられるとは思えないほどの汚いえづき、咳き込みと血反吐の吐瀉。
     瞬時に体を起こせたのは、巴マミの精神力と経験値の賜物だろう。
    「マミイィィっ! 傷は、なあ、おい!!」
    「だ、いじょ……ぶ、痛み、消し……」
     肺がやられているのかもしれない。呼吸がおかしい。
     口元の血をぬぐい、マミは私に手のひらを差し出した。
    「……大丈夫、大丈夫よ、暁美さん……私たち、友達じゃない……? 友達が困っていたら、いつだって助けてあげるんだから。怖いことなんて何にもないわ」
     マミは聖母のような微笑を浮かべ、
    「さあ、立ち上がって。いっしょに、たたかいましょ……?」
     私はその手を呆然と見つめるばかり。
    「……あなたの荷物、私も背負うから。お願い……今は、力を貸してちょうだい……」
     今ここで私が立ち上がらなければ、全員やられて終わる。
     お願い、力を。あとはどうなってもいい。この二人を守る力を――!
     私は弓を空中に描き出す。

     空中に光の粒子が集まりだす。細かな泡が見慣れたカーブを取り、重なりあって、漆黒の弓を現出させた。

     その柄を、今度こそ私は握りしめた。
     両の足で立つ。弓をつがえる。ひときわ巨大な矢のイメージ。近場の魔獣の一切合切をすべて焼き払うような。
     弓と一緒に握りこんだリボンが風になびいていた。そのはるか先に狙いをつけて――

     射るだけで、すべてにカタはついた。


    ----キリトリセン-----ここまでリライトした--------キリトリセン-------------------


     転がるグリーフシードをありったけかきあつめて、佐倉杏子は巴マミの腹部に押し付けた。
    「おい、骨ひんまがってやがんじゃねえか! なんだよこの血の量! 下手したら死んでたかもしんねえってのに、あんた……!」
    「大丈夫よ、痛くもかゆくもないわ……、うん、もう大丈夫」
     グリーフシードからの魔力の供給を受け、巴マミの体は傷跡ひとつ残さず完治した。
     魔法少女は魂をソウルジェムとしてマテリアライズする代わりに、肉体をいくら傷つけても死なないという特性を持つ。
     血に濡れ、大穴を開けられた魔法服から、巴マミの肋骨や、ゆるやかに盛りあがる腰骨のカーブが見えた。
    「ありがとう、佐倉さん」
     巴マミのいつもの笑顔。合歓の花のようにふんわりと甘い。陶器のようにつるりとした頬は、何の苦労も知らぬげに、おだやかなうす紅色をしている。
     それを見てほっとしたのか、佐倉杏子はしばらく肩を落として脱力していたが、やがてもう一度槍を握りなおすと、私にそれを振りかぶった。
     風を切り、バトンの演舞のように回転する槍の穂先が、私の顎の下でぴたりと静止する。ほんの少し動いただけで浅く皮膚が裂けそうなほど、それは拮抗していた。
    「佐倉さん!」
    「マミは黙っててくれ。いっぺん殴らないと気がすまねーんだ。おい、ほむら。暁美ほむら!」
     腹の底から湧き上がる佐倉杏子の声が、残響さえ伴って、びりびりと空気を震わせる。
    「あんた、何してたんだ? なんで戦わなかった」
     私は首を振る。
    「失態だったわ。弁解の余地もない」
     私に言えたのはたったそれだけだった。
    「いいのよ、佐倉さん! 暁美さんもそう言ってることだし……」
     巴マミはちらりと私の手元に目を落とした。
    「……大事なものなんでしょう? それ」
    「……」
     真ん中から裂けてしまったリボンを、私は丁寧に折りたたんで、ハンカチにくるんだ。
    「……おい、人の質問には答えろよ。そのリボンは一体なんなんだ」
    「ごめんなさい。答えられないわ」
     佐倉杏子は目を細めた。
     怒りの表出だ。
    「……『まどか』」
     私は弾かれたように彼女を見た。
     なぜ、その名前を。
     佐倉杏子は口元だけをうすく笑ませて、
    「その顔。おおかたそのリボンの持ち主ってとこか? 誰なんだよ、『まどか』ってのは」
    「あなたには関係な――」

    「――この世界の『神』の名だ、って、いうことなんだけど」

     声の主は、きゅうべえだった。
     
     私の記憶にあるなかでも最速の挙動で、矢を打った。
     きゅうべえに注目していた佐倉杏子と巴マミには、彼がとつぜん爆ぜ割れたように見えただろう。
     二人が、驚いて振り返る。その先に、瞳をぎらつかせた私の姿。
    「余計なことを言わないで……!」
     ますます表情を厳しくする佐倉杏子、話の推移に不安そうな巴マミ。
    「ちっとも余計なことじゃないよ、暁美ほむら」
     まったくの死角から、きゅうべえの声。
     二人の視線が、私を飛び越えて、はるか後ろの、新しく現れたのだろう、きゅうべえに集まった。
    「君はなぜ事実を説明しないんだい? 今の君の行動は、とても理解できるものではないよ。杏子が説明を求めるのも道理だ。君たちが感情の齟齬をきたすところをむざむざ見過ごすなんて、僕にはできないよ。ほむら、君は、きちんと質問に答えるべきだ」
     話にならない。
     私は無言で次の矢を打った。
     飽和した風船のように爆ぜるきゅうべえ。
    「だんまりかよ」
     佐倉杏子が吐き捨てる。
    「だったらこっちも腕づくで行ったっていいんだぜ」
     私は打ち終えた弓の弦をふたたび引いた。
     今度は佐倉杏子に向かって。
     私はいま、佐倉杏子の槍の射程内だ。
     打ち合えば、二人とも無事では済まない。
    「やめてちょうだい、二人とも」
     巴マミが割って入る。
    「マミの言うとおりだ。暴力の応酬では、問題は解決しない。ほむらが答えられないというのなら、僕が知っていることを話すよ」
    「だから、それが余計なことだと言っているのよ!」
    「なぜだい? 僕なりに親切のつもりなんだけどね。君のいま抱えている『感情』は、僕らには理解できないことだ。そしてマミと杏子にも。ほむら、君は言葉を尽くさなければいけない」
    「私も、暁美さんの話は聞きたいわ」
     と、巴マミ。
    「でも、その前に、帰ってお茶にしましょう。さっき負傷したせいで、服にも穴が開いちゃったし、はやく変身も解いて、傷口を見てみたいの」
     巴マミは両腕をあげて、伸びのポーズを取った。 
    「……そうね」
     私はうなずくしかなかった。
    「あなたの傷は、心配だわ」
     私は弓をおさめて、変身を解いた。
     それを見て、巴マミも変身を解く。
     変身前に着ていた服には外傷はない。これがどういう仕組みによるものかは知らないが、少しだけほっとした。
    「ほら、佐倉さんも。槍はしまってちょうだい」
    「あ、あたしは……」
     なぜかすこし、うろたえた様子の佐倉杏子。
    「いいよ。あたしはこのまま帰る」
    「だぁーめ!」
     腰に手を当てる巴マミ。
    「平和的にいきましょ? 武器を捨てるのは、その第一歩よ」
     それでも佐倉杏子はがんこに渋面を作っていたが。
     根負けしたのは彼女のほうだった。
    「……わーったよ」
     佐倉杏子も変身を解き……ふわり、と髪が宙に踊った。
     みごとな縦ロール頭の佐倉杏子がそこに立っていた。
     そういえば、ここに駆けつける直前まで、巴マミが佐倉杏子を着せ替え人形のようにしていたのだった。
     長いスカートの裾のレースを翻し、大きく開いたヘンリーネックの胸元を、いらだたしげに、恥ずかしそうに、腕を組んで隠してしまう。
    「巴マミ? じゃないよね、君は本当に杏子かい?」
     不思議そうなきゅうべえ。
    「う、うるせぇ! あたしとマミをどうやったら見間違えるんだよ!」
    「気分を害したなら謝るよ、杏子。僕らの一族には、君らの個体差は認識しづらいんだ。ただ、君が、まるでマミみたいな服を着てるから――」
    「あ、あたしがマミみたいな格好だったらなんだよ! どうせ似合わねぇっつーの!」
     顔を真っ赤にしながら、佐倉杏子。
    「僕らには似合う似合わないの概念がないんだってば――わぁ! やめてよ杏子、僕だって無駄にこの体を潰されるのは困るんだ!」
     きゅうべえの耳を際限なくひっぱりはじめた杏子を尻目に、巴マミは私にウィンクしてみせる。
     気づけば、すっかり険悪な雰囲気ではなくなっていた。
     これは巴マミの思惑に乗せられたのだろうか。
    「……礼を言うわ」
    「ん? なんのことかしら?」
     おなかすいたわねぇ、と伸びをする巴マミ。
     ひとりで歩き出す彼女のあとを、私も追って、歩きはじめた。

    ***

     紅茶の淹れ方は、巴マミに教わった。
     私はメリオールを使うのが好きだけれど、彼女はそれだと納得しない。
     すべて整えたティーポッドの湯温が65度にまで下がったのを確認してから、私はそれをみんなの待つテーブルへふるまった。

    「胡蝶の夢、という故事を知っているかい?」
    「あん? 知るかよ」
     肩をすくめる佐倉杏子。彼女はミルクチョコレートの板をばきばきと噛み砕き、ろくにかまずに飲み下している。手元には、なぜか同じメーカーの種類違いの板チョコがあと3枚置いてあった。いったいどれだけの量を食べるのだろう。
     その横できちんと正座した巴マミが、近頃お気に入りの抹茶プリンを慎重にひとすくいずつ口に運んでいる。
    「あるいは神の存在証明、と言い換えてもいい。君たちの世界での哲学だ」
    「……神の」
     そんざいしょうめい。
     佐倉杏子はいわくありげにつぶやいた。まるで、長いこと忘れていた友人の名を再び聞いたかのように。
    「知ってるの? 佐倉さん」
    「知ってるもなにも。……あたしのホームグラウンドだ」
     佐倉杏子は、父が熱心な宗教家だった。哲学、神学のたぐいは『習わぬ経』なのだろう。
    「神様ってのは、あたしらとは次元が違う存在だ。全知全能、あらゆる全ての創造者でもある。神様は、人間の目や耳なんかで捉えられる存在じゃない。
     じゃあ、あたしら人間は、どうやって神様の存在を知る?
     どうやって、『見えもしなければ聞こえもしない』神様の存在を証明するんだ?」
    「そのとおりだよ、杏子。
     もっとも、僕らに言わせれば『見えもしなければ聞こえもしない』神様なんて、
     『存在しない』のと同義だ」
     きゅうべえはしっぽを振りながら、シフォンケーキを食い荒らす。
    「ほむらの言う『まどか』というのは、かつて存在していた、
     でも今は『見えもしなければ聞こえもしない』魔法少女だった『もの』のことらしいんだよ。
     それを君たち人間は、『神』と。そう呼ぶんだろう?」
    「かつて魔法少女だった……神さまになった、魔法少女……」
    「むかしむかし、あるところに、すべての魔法少女の救済を願った少女がいた。
     その名はまどか。
     彼女の犠牲で、魔法少女が魔女になることはなくなった」
    「魔女って、何かしら?」
     と、これは、巴マミ。
    「ほむらが主張するところによると、魔法少女のソウルジェムは、絶望でいっぱいになると、はじめに抱いた希望との落差による反応で、膨大な質量エネルギーを生み出す、のだそうだよ。それに目をつけたのが僕たち一族で、その希望から絶望への相転移によるエネルギーをせっせと回収しては、宇宙の死滅を防いでいたらしい。
     どんなに気高い志を持った魔法少女でも、いちど魔女化すれば、未来永劫、すべてを呪う存在になるんだ。人々を救ってきたはずの力を使って、今度は人に現世に、仇をなし害をなす……僕らには想像の埒外にあることだけれど、人間の感情という尺度で測るに、それは耐え難いことのようだね。
     まどかは、魔法少女が魔女にならない世界を願った。
     そしてそれは実現し、『円環の理』と呼ばれる存在-もの-が作られた。絶望でいっぱいになった魔法少女のソウルジェムは、円環の理により、魔女と化す前に『破壊』され、消滅する。その『円環の理』こそ、まどか――かつて魔法少女だった女の子だ。
     まどかは、人間であることをやめた。宇宙の一員であることをやめ、すべての宇宙、すべての世界のよすがを失い、それよりもひとつ上の存在として、この宇宙の自然法則に組み込まれたのさ。
     まどかは、『円環の理』という名の神になった」
    「……どうして」
     巴マミはつぶやく。
    「どうして、その――まどかさんは、そんなに途方もない願いを叶えられたのかしら?」
    「まったくだぜ。そんなわけの分からない存在になるくらいなら、地球の女王として君臨して毎日腹いっぱいうまいもん食ったほうがまだマシじゃんか」
    「やめて」
     私はとうとう耐え切れなくなって、声を絞り出す。
    「金輪際まどかのことを侮辱しないで。よくもそんな恩知らずなことが言えたものね。
     ……あの子がどんな思いで、あなたや巴マミを救ったと思っているの」
    「そんなこと言われてもさ」
     佐倉杏子はややむっとしたように言う。
    「あたしはまどかなんて子、知らないし」
     私は苦い飴玉をまるごと飲み下したかのような不快感に苛まれた。
    「言うと思ったわ。……だから、話したくなんてなかったのに」
     自分で意図したよりも、ずっとひどい声が出た。
     血を吐くような私の呪いの言葉を受けて、さしもの佐倉杏子も口ごもる。
     大事な秘密を、よくもまあ軽々しく、わけがわからないなどと断じてくれたものだ。まどかの思いを、何も、何も知らないくせに。
    「あなたたちが知らん顔して、涼しい顔で、あの子のことをそうやって『殺す』のがわかってたから、だから私は言いたくなんてなかったのよ」
     まどかの記憶もよすがも、今は私の中にしかない。私が忘れてしまえば、あの子はそのとき、ほんとうに『死んで』しまう。――二人がそうやって無自覚に私の記憶を……あの子を……まどかを貶めることも、予想に織り込み済みだった。だから私は、慎重に秘密を守ってきた。いつか、ずっと先の未来で、二人にもまどかを分かってもらえる日が来ればいいと思いつつ。
     ……人の聖域に土足で入り込んで、あとからそこがそんなにも大事な場所だと知らなかったなんて言い逃れをして、いったいどういうつもりなのだろう。
    「それで? 他になにが聞きたいのかしら?」
     すでに私はやけになっていた。それ以上は失言を重ねるだけにしかならないと、頭のどこかで警告が鳴る。
     でももう、止まらなかった。
    「ああ、そうそう。どうしてまどかがそんなにも膨大なポテンシャルを持っていたのか、ですって?
     私よ。私が神に祭り上げてしまったの。
     彼女を助けたいと思って、私は何度も彼女との出会いをやり直した。
     そのたびに時空の因果律はこんがらがり、すべてまどかに絡まってしまった。
     魔法少女の魔力は因果律の量に比例して強くなる。
     あなたたちが強いのもそのせいよ。あなたたちは両親の因果律を背負っている。
     まどかは、すべての平行世界の、私やあなたたちの因果律を背負ってしまったの。
     そして神の御輿に座らざるを得なくなった」
     そうだ。
     すべては私のせいなのだ。
     私はそのことにずっと負い目を感じていた。
     それを、マミや杏子に指摘されるのが怖かった。
     まどかが神になったのは私のせいじゃないかと、そう誰かに責められるのが、ずっとずっと怖かったのだ。
     恐れていたことを自ら暴露して、私は痛いような、すがすがしいような、ひどい気持ちを味わっていた。自虐と自己憐憫の泥くさい異臭が私を奈落に突き落としていく。
     岩のように押し黙ってしまった私を中心に、リビングには重苦しい沈黙が落ちた。

    「……待てよ」
     佐倉杏子はふと声をあげた。何かを思いついたようだった。とがった私の視線を受け流し、
    「まあ、そう怒るなよ。あたしが今聞きたいのは、あんたが固執してるまどかのことじゃない、もっと別のことなんだ。
    この世に本当に因果律なんてもんがあったとして。
    それがすべてまどかに絡まったってんなら……
     あんたは?」
    「え?」
    「ほかの時空のまどかの因果律は、一人のまどかに収束した。
     じゃあ、すべての時空の『あんた』の因果律は?」
    「……平行世界への渡航者、時空を渡る暁美ほむらの因果律は、一体どこに収束したのか、ってことだよね」
     あとをついだのはキュウべえだった。
    「暁美ほむら。君の持つ魔法少女としてのキャパシティも桁外れだ。とくに火力は、マミや杏子の比じゃない」
     痛いところを突かれた。
     私が恐れていたのは、まさにこの事実を看破されることだったのだ。
    「言われてみれば……おかしなことだらけだ。あたしもマミも、そりゃあグリーフシードを節約しながら戦ってるよ。でも、あんたほどたくさんは集められない。
     あんたは、恐ろしく燃費がいいんだ。まるで、グリーフシードの補給なんか必要ないみたいに……」
     佐倉杏子の独白が続く。
    「あたしは、あんたがグリーフシードでソウルジェムの濁りを取るところも……ソウルジェムが濁ってるところも……一度だって見たことない……!」
    「……束ねた因果律を使って、まどかという少女は神になったんだよね」
     キュウべえがそっと口ぞえをする。
    「じゃあ、君は? 神にも等しい、天地黎明の開闢に匹敵するその力を、暁美ほむら、君はどこへやったんだい?」

     王手をかけられていた。
     でも、私は答えるわけにはいかなかった。

    「その力があれば、君は神にもなれる。なら、君はもっと途轍もない願いを叶えていてしかるべきなんだ、暁美ほむら。
     美樹さやかの復活を願うことだってできる。
     マミや杏子の家族の復活とてたやすいことだ。
     その力を、君はどこに隠しているんだい?
     こう言い換えたっていい――
     まどかはそれを、自分の愛する人たちのために使った。
     君は、なぜそうしないんだい?
     君は、なにかを企んでいるんじゃないだろうね?」

    「そういうことか」
     佐倉杏子は口元に手を当てた。目線をさらに鋭くする。
     手の内を見せずに闘うポーカーゲームの仕手さながらに、私と対峙しているのだ。

    「アンタ、そのまどかって奴を助けたいんだ?」

     佐倉杏子は洞察力に優れている。
     ここまで手の内を明かされれば、そのぐらいの推察は立てられただろう。
    「いい加減にしてちょうだい」
     私はティーカップを乱暴に置いた。かしゃん、と陶器が音を立てる。中身なんてとうに飲み干していたけれど、指が震えてうまく動かず、ずっと握り締めたままだったのだ。それを、多少わざとらしくはあったにせよ、明確な意思を持って、下げた。
     巴マミが眉をよせるのが、見なくても気配で分かった。彼女はこだわりを持って茶器を集めている。おそらく、話の推移には興味がないのだろう。プリンを食べ、板チョコのかけらを食べ、きゅうべえのしっぽをいじるのにも飽きて、今は手持ち無沙汰にこちらを見ている。
    「あなた、キュウべえに誘導されてるのよ。分からないの?」
     佐倉杏子はなにかを考え込んでいる。
     口元を隠し、目線をじっと私に固定している。本気になった、という表現がいちばんしっくりくるだろう。何事においてもてきとうな洒落と韜晦でけむに巻き、お菓子片手に場の雰囲気をくだいて話すのが流儀の彼女がそうしているのは、確実によくない傾向といえた。
     私が何を話そうとも、彼女は一言一句聞き漏らすまい。
     彼女が何を期待し、どんな言葉を待っているかは、痛いぐらいに分かった。
    「私の因果律はまどかが背負った。私が背負わせたの。
    そして私は安穏と茶を饗する卓についた。
    そのことに負い目がないわけじゃないけれど……
    私は、ただ、まどかが守ったこの世界を、私も一緒に守っていきたいだけ。
    ただそれだけだわ。
    ありもしない奇跡を持ち出して、あまつさえ美樹さやかを救えるだなんて嘯いて。
    きゅうべえはあなたを騙そうとしているのよ。忘れたの?
    魔法少女が叶える奇跡は、必ず代償を伴うということ」
    「きゅうべえが今さらあたしをどうするってんだよ?
     せっかくの願い事もやくたいもないことで潰してしまって、身よりももない魔力もないないないづくしの出がらしみたいなしょっぱい魔法少女のキョーコちゃんに今さら鞭打ったって出てくるのは血反吐と涙ぐらいのもんだせ、笑えもしねえ。
     なあ、別にあたしはあんたのハカリゴトをとがめだてようってんじゃねえんだ。
     デカいヤマを踏む、それ相応の準備が、支度金が。神とも見まがう力がアンタにあるっていうのなら――
     あたしにだって何か手伝えるんじゃねえかっつう、そりゃあ素敵でうつくしい魔法少女同士の友情話なんだよ。オーライ? メイクシュア?」
     佐倉杏子が饒舌になった。
     いよいよ本気だ。彼女はもとから、説得交渉ごとに長けている。流れるような弁舌で、私は何度してやられたことか。彼女に巻き上げられたお菓子の数などもう覚えてもいないけれど。
     一方の私は、コーヒーをドリップするときみたいに、ぽつりぽつりとしか言葉が出てこない。
    「あなたのいいたいことくらい分かるわ」
     私は苛立ち、焦り、
    「でも、美樹さやかは救われたのよ。まどかの手で」
     もっとも伏せておくべきカードを開いてしまう。
    「救われたぁ?」
     佐倉杏子は応じる。
    「どこが。どういう風に。あんた、さやかがどうなっちまったのか、もう忘れたのかよ」
    「美樹さんは、消えてしまったのよね。円環の理に導かれて」
     巴マミは冷めた紅茶を飲み干すと、そわそわしはじめた。
     目線がティーポットと、からのカップを行き来している。
     お茶のお代わりを入れるタイミングを計っているのだろう。
     おそらくは、場が一番険悪になったとき、彼女は立ち上がる。そうしてゆるやかな空気を保とうとするのだ。
    「そう。消えたわ」
    「ぜんぜん救われてねぇじゃねぇか。本当ならあいつは、あんなつまんねぇ野郎のために消える必要なんかなかった」
    「つまんない野郎。確かにそうね」
     美樹さやかは上条恭介の、不随の腕を治して、力を使い果たし、消えた。
    「言わなかったかしら? 私はまどかを救いたくて、何度も同じ時間軸をやり直した。
     当然、何度も美樹さやかが死ぬところを見てきたのよ。
     私だって手を尽くした。みすみす彼女を死なせたくはなかったから。
     でも美樹さやかは、何度だって上条恭介のために命を投げ出したのよ。
     それをつまらないなんて、あなたに決められることじゃないわ。
     それにね、彼女はただ死んだんじゃないの。
     彼女は上条恭介の治癒を願い、魔法少女になり――
     やがて魔女になった。
     ほとんどの時間軸で、かつて美樹さやかだった魔女を殺したのは。

     あなたなのよ。佐倉杏子」

    「……………はぁ?」

     佐倉杏子はテーブルをたたいて立ち上がった。
    「なんであたしがさやかを殺さねぇとなんねえんだ! そんなのおかしいだろ……!」
    「まどかが助けてくれたから、美樹さやかは魔女にならずに済んだの。
     そしてあなたも美樹さやかを殺さずに済んだ」
    「なんだよそれ、それが救済だってのか! あたしは認めねぇ! 救済ってのはもっと誰もが幸せであれるような、」
    「それはあなたが決めることじゃない」
    「アンタや、まどかって子が決めることでもねぇだろ! だいたいなんなんだよそのまどかってのは? なんでそんなこと勝手にしたんだよ! 神様だってんならもっと気を利かせてくれたっていいじゃねえか!」
    「まどかを侮辱するのはやめてと言ったはずよ」
     身を低くして見下ろしてくる佐倉杏子。いまにもつかみかかりそうな勢いに負けたくなくて、私も立ち上がった。
    「なら、あなたは何だというの? 佐倉杏子。なぜあなたは勝手に美樹さやかを救おうとするの? あなたこそ気を利かせて、もっと美樹さやかの気持ちを汲んであげるべきだわ」
    「……やろう……っ!」
     佐倉杏子のなかで、何かが弾けたのが分かった。
     彼女の憤怒の表情は、いっそ笑顔じみていた。

    「おかわり、入れてくるわね」

     しずかに告げたのは巴マミだ。
     佐倉杏子がちらりとそちらを見る。
     そのわずかな隙間に割って入ったのは。

    「三人とも、ちょっと待って。……どうやら、また魔獣が出たみたいだ」

     遠くで響いた、人々の苦悶と悲鳴の声だった。

     夜なのに騒がしい、きらびやかな大通り。大型の街灯が燦燦と道を照らすさなかで、大勢の魔獣が暴れていた。
     紺色の制服の男が、二人、地面に伏せている。警察か、付近のビルの警備員か。見ただけでは分からなかった。魂を抜かれたのだろう、生気のない顔つき。廃人のような人たちは飛び石のように転々と続いており、その先に、これまでとは比較にならないほどの数の魔獣が蠢いている。
    「……」
     佐倉杏子は無言だ。
     地を蹴ると、私や巴マミをはるか後方に置き去りにして、先頭の魔獣に切りかかった。
     何メートルの跳躍だろう。
     垂直に落下する重力をも味方につけて、力まかせに一匹を両断する。
    「突出しないで! 狙いをつけにくいわ!」
    「うるせぇ! あたし一人で十分だ!」
     頭に血が上っているようだ。さきほどの私の挑発が効いているのだろう。
     槍を引き、上半身をバネにして、大きくストローク。
     渾身の力を込めた突き。
     そこへ魔力を乗せたのか、槍本体から樹形のように軌跡が分化した。数十の光の槍が、鞭のようにしなりながら、正確に魔獣めがけて飛んでいく。
     おまけのように小規模爆発が、あちこちで起こった。
     佐倉杏子の繰り出した光線が魔獣に当たるやいなや、次々と標的を爆破していった。
     ザラァ――ッと、あられのようにグリーフシードが地面に落ちる。
     落ちたグリーフシードの四面体が次々と溶け、きらめきながら彼女のソウルジェムへ吸い込まれていく。
     そんなことを三度繰り返し、沸いた魔獣はほとんど数体を残すのみに。
     残りの魔獣は、なぜか、お互いに手に手を取った。
    「……なに?」
     嫌な予感に身をすくませたのは、私も巴マミも同時だった。
     巴マミは銃の群れを、私は一撃必殺の矢を。
     佐倉杏子をかばう形で、ぴたりと狙いを定める。
     手を取り合った魔獣は、溶けた。
     腕が変形し、つながりあった。
     ここ数日で、魔獣は闘い方を工夫するようになった。
     今この瞬間にも、何を仕掛けてくるか分かったものではない。
    「より強い何かになるつもりなの?」
     私は巴マミに目で合図した。標的がひとつなら、私の高出力の矢が効くだろう。
    「私がやるわ」
    「分かった。気をつけて」

    「――穿つ」

     必殺たれ、と願った。佐倉杏子を、巴マミを失いたくはなかった。
     この街を守りたかった。
     どこかで見守ってくれている、まどか。
     あなたのところにまで届くほどの、一撃を、この手に。

     ありったけの魔力を込めた一撃は、町中を白く染めるほどの光と指向性で、一路、魔獣の中心を正確に貫いた、はずだった。

     大気が悲鳴をあげた。
     音速で飛び来る何かに空間が焼かれ、きゅう! と断末魔のような音を立てた。

     ちょうど真正面から、

     同じだけの光量、規模の光が去来した。

    「佐倉さんっ!」
     巴マミが、ぶわあ、と大量のリボンを捻出した。すさまじい早さで互い違いに組まれ、編まれてできた分厚い布と魔力の壁が佐倉杏子を覆い、

     私の矢と、謎のカウンターが激突した。


     スポットライトを浴びたのかと思うほどのまぶしさだった。目がくらみ、脳天に痛みが突きささる。魔力で光をよりわけ、サングラスのようにフィルターをかけた。深海の底のような色合いの世界で、リボンに包まれた佐倉杏子を見つけた。無事だ。
     次いで、巴マミが隣で額に手をかざしているのが見えた。彼女がこの光の世界に対応して、動けるようになるまでもうあと数秒かかるだろう。とっさの判断と行動という点において、彼女はいつも慎重すぎた。
     私は走った。あそこには少なくとも、私と同じだけの火力を持つ何かが蠢いている。
     走りながら弓を構えるのは骨が折れた。
     狙いなんかつけなかった。ただ前方を狙い、立て続けに撃った。
     最大火力で、頭の悪いパワーファイターのように、息継ぎが必要なぐらい撃った。
     一瞬でも気をぬけば、その場でせり負ける。
     案の定、打ち返しは強烈だった。私が撃った光に引きよせられるかのように彗星が発生し、いまや巨大な肉塊のような魔獣から立てつづけに飛来する。
     何かがおかしい――
     魔獣のカウンターは、私の射撃に完璧なタイミングで合わせ、くり出してきている。
     それだけの技量があるならば、なぜ私以上の火力で圧倒してこない?
     魔獣が光を操るしくみも謎のままだ。
     魔獣の前面にガラスのような空間の壁が見える。そこから、まるでシルクハットから鳩が飛びだすように、荒唐無稽な光の玉が発生しては消えていく。光の玉は長く尾を引き、やがて音速で飛びくる矢の軌跡になる。

     鏡だ。

     なぜだか私はそう思った。前面の空間に、今ある空間を反転させて複写するような、なにがしかの罠がしかけてあるのだ。
     鏡の大きさはそうでもない。10メートルほどの長方形といったところか。
    「二人とも、協力して!」
     張り上げた声は、テレパシーにして、送った。
    「おい、マミ、早くこれ解けよ!」
    「ダメよ、まだ油断しないほうがいい」
    「いいえ、早く佐倉杏子を開放して。あの魔獣はこちらが攻撃しないかぎり安全よ」
     巴マミの返事は、解けるリボンから顔を出す佐倉杏子にとって代わった。
    「どういうこと?」
    「巴マミ、あなたは500メートルほど後退したあと、左から回りこんで! 魔獣の側面を、長距離砲で撃って!」
    「わたし、長距離狙撃は――」
    「いいから行って! 失敗しても次の手は考えてあるから!」
     もはや説明をする手間すら惜しい。
     巴マミが後方へ跳んだのを確認したのち、私は続けざまに矢を撃った。
     すべてに打ち返しがきて、私の矢は魔力の火花を散らして消えた。
    「見てのとおりよ、空間が鏡のようにねじれているわ! 佐倉杏子、あなたは空間の破壊を!」
    「言われなくても!」
     佐倉杏子はすぐさま前面へ跳ぶ。常世と異界の分け目は、まさに前面の「鏡」だろう。これを破壊するのが手っ取り早い。
     佐倉杏子の打撃が加わり、しかし「鏡」はびくともしない。
     眉をひそめた佐倉杏子が、すぐさま手数に変化を加える。一極集中した魔力による一点突破を狙ってだろう、槍を大きく構える。槍の穂先におびただしい量の魔力が集中し、渦を巻く。その渦が「鏡」の向こうでも現れ、佐倉杏子の突きにあわせて動き、そして激突。
     「鏡」は破れなかった。佐倉杏子は大きくバランスを崩し、足を踏みかえる。と見せかけて、すさまじい早さで突き。槍をバラバラに分解し、三節棍のようにたたきつける。棍は途中で魔力を注がれ、蛇のようにうねり、人外の動きで数十もの打撃を繰り出す。
    「ダメだこりゃ。ききゃしねぇ」
    「そのようね。巴マミ、準備はできた?」
    「ええ、90度左側面まで回り込んだわ。射程距離500メートル。……当てる自信はちょっとないわね」
     その間に、私も反対側まで回り込んでいる。
    「いいわ。佐倉杏子のガードに合わせて発火して。では3カウント後に」
    「オッケー。あたしがカウントする。そんじゃ、さーんにーいいーち、ずどーん!」
     巴マミの射撃は当たった、というべきなのだろうか、10メートル四方の隅のほうの「鏡」に当たり、「鏡」に映った瞬間生じた魔力で相殺された。
    「……長方形というより、直方体ね。上下左右全部こうなのかしら。地面や地上も?」
    「試してみろよ、大天使サマ」
     と、これは佐倉杏子。翼を使う私の魔術を揶揄して、佐倉杏子はよくこんなことを言う。
    「言われなくても」
     翼を出すつもりでいた私に。
    「わっ! ちょっと、何だよコレ!」
    「うるさいわよ、佐倉杏子」
    「だって、だって……! …………さやかが……!」
     美樹さやか?
    「おいっ、これも魔獣の仕業なのか?」
     嫌な予感がした。翼を生むよりも、視力の調節を優先した。――佐倉杏子が鏡の前に呆然と立っている。
     鏡に映る自分に魅入っている?
     そんなはずがなかった。あの鏡には人は映らない。ただ魔力だけが打ち返される。
     ――鏡に映っていたのは、青い魔法服に身を包んだ、美樹さやかだった。
    「偽者よ! 魅入られれば魂まで引っ張られるわ!」
     叫んだのは巴マミだった。
    「分かってるよ、分かってるけど……!」
     佐倉杏子が、悔しそうに鏡を殴打。ガラスには同じく拳を打った美樹さやかの姿。
     佐倉杏子の動きをそっくり模倣しているようだった。
     ――と。
     「鏡」の表面が波立った。ざあっ、と水滴を落としたようにさざなみが立ち、その中心点から、白い手袋の、ほっそりした手首が現れた。
     美樹さやかの、手だった。
     佐倉杏子は動けない。ふだんの彼女なら、反射的に後ろへ跳ぶぐらいのことはするはずだ。だが今は、美樹さやかに目を奪われて、そこから一歩も動けないでいる。
     美樹さやかは鏡から手首だけを現出させ、佐倉杏子の腕をつかみ、にたり、と笑んだ。
    「さや、か……」
     佐倉杏子の腕が引かれ、大きくバランスを崩す。その体がずぶずぶと「鏡」に引きずり込まれていく。
     ほとんど抵抗らしい抵抗もないまま。

     佐倉杏子は「鏡」の「向こう側」へ、引き込まれた。

    「暁美さん! ねえ、これって――!」
     巴マミの声。ひどくうろたえている。無駄弾を撃ちまくってもなお「鏡」がびくともしないことに、刻一刻と焦りを深めているようだ。
    「暁美さんの矢は? あなたと私で同時に撃てば、あるいは――」
    「同じことを考えていたわ。では3カウント後に」
     落ち着いてカウントを合わせて、
    「スリー、ツー、ワン……ファイア!」
     同時に撃っても、「鏡」はびくともしない。
    「佐倉さん! ねえ、テレパシーも通じないのかしら? 佐倉さん!?」
     佐倉杏子は「鏡」の向こう側で、ただ呆然と座り込んだまま、美樹さやかを見つめていた。
     相対する美樹さやかは、きらきらとした瞳で佐倉杏子に手を差し出している。
     佐倉杏子がなにかをつぶやいた。
     美樹さやかがなにかをこたえた。
     口の動きや表情で察するに、敵の罠と知りつつも、佐倉杏子はまともな判断を失うほどの喜びでいっぱいのようだ。槍を握りしめていた指すらいつしかほどいていて、佐倉杏子が生み出した、戦う意思の具現たるその長柄は、あっという間に消えうせた。
    「ダメよ、佐倉さん! それは美樹さんじゃないのよ!?」
     巴マミの絶叫。
     足に魔力を履き、あっという間に「鏡」まで跳んでくる。
    「槍を取って! 外側から壊せないなら、内側から壊すしかないじゃない! そのぐらい、いつものあなたならすぐ見破るでしょ!? ねえ――!」
     「鏡」の「向こう側」の佐倉杏子に、せいいっぱい手ぶりを使って言葉を伝えようとする。でも、佐倉杏子の目は巴マミを見ていなかった。最初から見えていないのかもしれない。
     佐倉杏子は、美樹さやかの体を抱きとめた。
     それを、ただ、「鏡」の「こちら側」で見つめる、巴マミ。
    「ねえ、どうして? 私に約束してくれたじゃない、もう死者の亡霊に惑わされるのはなしにするって! あなたのお父様も妹さんも、魔獣にかかわって死んでいった人たちも、もう過去のことだから忘れたんだって!」
     私は顔を伏せた。悲しすぎて、聞いていられなかった。
    「いま生きてる自分と、わたしと、暁美さんと――三人で助け合っていくのが最後の願いだって、あなた私にそう言ったじゃない――!」
     泣きじゃくる巴マミの、肩に手をかけた。
    「……分かっていたのよ……」
     いつしか巴マミは、テレパシーではなく、唇を動かしてしゃべっていた。
    「佐倉さんには、美樹さんを殺して、私たちのところへ帰ってくることなんて、できやしないのよ」
    「そんなことはないわ」
     佐倉杏子が、そこまで愚かだとは思えなかった。
    「暁美さんだって、まどかさんっていう子のためなら、私のことなんてどうでもいいんでしょう? 私がどんなに二人のことを大切に思っていても、二人とも、本当の意味では私のことなんて必要ともしてくれないんだわ」

     ――だったら私は、誰のために。何のために、戦えばいいの。

     かすれた吐息だらけの嘆きは、ある意味予想どおりだった。
     だから私は、巴マミの手のひらに矢を刺した。苦痛にあえぐ巴マミの髪から、ソウルジェムをうばいとる。
    「取り乱しすぎよ。少し眠るといいわ」
     本体から切り離されて、眠るように横たわる体を抱きかかえた。

     「鏡」の「向こう側」で、佐倉杏子は美樹さやかと並んで座っていた。たわいもないおしゃべりを楽しんでいるようだ。
     佐倉杏子が顔いっぱいで笑いながら、美樹さやかを笑わせている。
     いつか、どこかの時間軸ではありえたかもしれない姿だった。でも、この時間軸では、けっして叶うことのなかった日常。
     しばらく見つめていたが、佐倉杏子が気づく気配もない。
     この「鏡」は魔力を一切通そうとしないし、こちらから打てる手はもう尽きた。
     今日のところは退散するしかない。

     巴マミはずっと口を開かなかった。
    「出来たわ」
     しつらえた料理にも見向きもしない。彼女の好きなデミグラスソースのオムライスに、わざわざ絞り型を使ってハートマークまで書いてあげたというのに。
     紅茶とポトフはあつあつで湯気を立てているし、水菜とリンゴのサラダにはクルトンをたっぷりかけてあげた。彼女の愛するこだわりを、私はいつも忠実に守ってきた。そんなことで喜ぶのなら、わけはない。
     私にだって好きな食べ物や嫌いな食べ物はあったけれど、佐倉杏子と巴マミに合わせているうちに、どうでもよくなった。心臓が弱かったころは食べられなかった塩からいポテトチップスや、カフェインのたっぷり入った紅茶、血糖値を急上昇させる甘いケーキに、たっぷりとバターを使った、高コレステロールの卵料理。
     こうした楽しみを教えてくれたのは、違う時間軸の魔法少女であり、巴マミだったのだ。私の好みは、ほとんど彼女たちが作ったようなものだ。
    「いらないなら、私が食べるけど」
     彼女の皿に手を伸ばす。すると彼女は、無言でフォークを取った。いただきますを宣言することもなく、勝手に口をつけていく。
    「ねえ。作ってもらってありがとうとか、なにか言ったらどう。巴マミ」
    「……また、呼んだ」
    「え?」
     声が小さくて聞き取れなかった。
    「暁美さんはいつも私のこと、フルネームで呼ぶのよね」
     心底不満そうに、巴マミ。

    「私、暁美さんのこと、何も知らなかったのね……」
     ため息を、スープ皿のうえにそっと乗せる、巴マミ。
    「ねえ、私たちが初めて会ったときのこと、覚えてる?」
    「ええ。……でも」
     それは『何度目の』巴マミだろう。
     私が、最初の時間軸で、初めて巴マミに会ったことは覚えている。
     まどかと一緒に私を助けてくれた、先輩の、格好いい魔法少女。
     でもそれは、目の前の巴マミとは違う人物なのだ。
    「そうね。覚えてなくて当然よね。あなたは『何度も私と出会っている』んだもの。
     でも私は、暁美さんと初めて出会った日のこと、よーく憶えてる。
     初めはね、孤独な子だと思っていたのよ。誰とも仲良くなれない、なる方法が分からないから、冷たい態度を取ってしまう子で、わるぎは、ないのかもしれないって。勝手に決め付けていたわ。だったら、私が守ってあげなくちゃって。あなたや美樹さんっていう後輩ができて、私、無敵になれた気分だったの。
     佐倉さんも、美樹さんを通してだけど、少しずつ私と打ち解けてくれるようになって」
    「……ええ」
     愚痴なのか、何なのか。先の見えない話に、私は相槌を打つことしかできない。
    「でもそれは、勘違いだったのね。暁美さんはずっと、まどかさんに義理立てをしていただけだった。
     いつか私のことも、マミさんって呼んでくれるようになるって、なんとなくだけど信じてたのよ。
     でも、今日のことでやっと分かったの。もう、絶対に呼んでくれはしないって」
     ――ぐしゃぐしゃぐしゃっ。
     オムライスに描かれた、生クリームのハートを、デミグラスソースで茶色く汚す巴マミ。
    「あなたはいわば聖戦の参列者ね。信じた神様の為に、身命を賭して戦っているのでしょう? まっすぐに情熱を傾けられるところ、すごく素敵だとは思うけれど――
     私は、なんだか寂しいわ」
     巴マミの言い分はよく分かった。
     でも、私のこの気持ちは、どう説明すれば伝わるのだろう。
    「……私は……」
     真実は説明すればいいとは限らない。
     巴マミは繊細な感受性の持ち主だ、へたに心を惑わせるぐらいなら、取り繕ってあげたほうが優しさになる。 
    「私は……」
     私は忘れたりなんかしないわ。
     巴マミが私と一緒にすごしてくれた時間。
     何度もリボンで窮地を救ってくれたこと。休みの日にはまどかと三人で遊びに行ったこと。自宅に招いてくれたこと。友達ができたらやってみたかったことを、たくさん叶えてくれた。
     心臓病の私のために、わざわざ米粉でつくった、砂糖の入ってないケーキを焼いてくれた。私の好きなグレープフルーツやキウイのジュレを一緒に食べて、こんにゃくのそうめんや鳥のささみばかり食べる私に、そんなだから痩せすぎるのよって笑ってくれて。
     そして、ノンカフェインのハーブティーを何種類も集めてくれた。ハイビスカスを煮出した、すきとおったルビーレッドのハーブティーがあなたのお気に入りだった。

     始まりの時間軸での巴マミの声を、私は忘れない。

    『暁美さんって、明け方のうつくしいほのお、っていう意味のお名前なのよね。燃える炎を溶かし込んだら、きっとこのハイビスカスティーみたいな色になるわよ。暁美さんのイメージにぴったりだわ』
     私は気づかれないようまぶたを伏せて、声を殺して泣いた。そう言ってもらえたのはまどかに次いで二度目だった。
     つんと澄ましてて、すこしキザで、やさしくて温かい、私の先輩。
     私はほんとうにあなたのことを大切だと思っているのよ。でも、あなたにはそのことはけっして分からない。あなたと私では、共有している時間が違いすぎて。
     知らないでしょう? 私がどんなにあなたに憧れたか。
     知らないでしょう? 私がどんなにあなたの優しさに打たれたか。
     そしてごめんなさい、私はあなたの中に、あなた以外の人を見ている。あの巴マミは、あなたではないと頭で分かってはいるの。でもけっして切り離せない。
    「……っ」
     涙がのどまでせりあがってきた。でも耐えた。
     恨みも愛情も、深すぎた。
     まどかを魔法少女の道へ引きずり込んだことだって、私は決して忘れないだろう。
     気持ちばかりがあふれて、うまく言葉にすることができない。
     こんな時だというのにふいに思い出す、ほんのさきほどまで目の前にいた佐倉杏子の瞳。
     怒りに満ちた強い双眸。
     私はどうして、彼女に嘘を突き通せなかったのだろう。
     私さえ黙っていれば、知らなくて済んだことだったのに。大事な友達を手にかけたという事実とその苦悩は、きっと佐倉杏子を傷つけた。
    「……助け出すわ」
     けっきょく私がえらんだのは、未来に向けて誓うことだった。
    「佐倉杏子はきっと助け出す。あなたのことも、死なせはしない。
    私たちは、友達だから」
     まどかのために、ではない。友達だから、だ。
     ――刻を止める砂時計を失ってから、私の時間は動き出した。
    「だから、協力してほしいの」
     私自身も、変わり始めているのかもしれない。

    「……巴さん」

    「と、巴さんって……わ、わたしのなまえ……!」
     気恥ずかしくなって、私は髪をかきあげつつ、からっぽになった食器を掴んだ。
    「片付けるわよ」
    「ね、ねえっ! もっと呼び方を変えてくれてもいいのよ? マミちゃんとか、マミりんとか、マミっぺとか!」
    「絶対嫌よ」

    ***

     アロマオイルを炊きましょう、と巴さんは言った。
     砂漠の国の拵えの、金ぴかのふちどりがついたガラスケースに、だいだい色の火を灯す。
    アルコールランプなんて実用で使っているのは、理科の実験の生徒か、かっこつけたがりの巴さんぐらいのものだろう。火事になるからやめなさいと何度も忠告しているのに、巴さんはがんこに使い続けている。
     淡い光の中で、巴さんの瞳が猫のように大きく見開かれていた。照り返しを受けて、虹彩が金色にかがやいている。
    「そうは言っても、空間のねじれなんて、どうすればいいのかしらね」
    「……」
     かつて、魔女は結界を生みだして隠れひそんでいた。呪い――巴さん風に言うなら魔女のくちづけ――をふりまき、人や、人の生み出す感情を食いちらかしていた。
     魔獣が結界を生みだしたとしても、なんら不思議ではない。
     だが、魔獣にはそこまでの力がないはずだ。そしてその必要もない。
     魔獣は人から感情の力を抜き取り、グリーフシードを育てている。それは非効率的な活動で、結界を生み出すようなムダづかいをしている余裕はない。
    「結界そのものを壊すことは難しくない。魔獣を破ればいいだけのこと。ただ、その魔獣が結界に篭って出てこないとなると……少し手間ね」
    「どうして佐倉さんは招かれて、私たちは弾かれたのかしら。はじめから彼女が狙いだったの?」
    「さあ――それは分からないわ。あのとき、佐倉きょ――佐倉さんのソウルジェムは、激しい魔力の消耗と、精神の荒れによって、かなり穢れていたはずだから、おいしい餌だとは感じたかもしれない。でも、それならなぜすぐに――佐倉さん、を殺さないのかしら」
    「あの美樹さんの幻は――?」
    「それも分からない。佐倉さんの動揺を狙ったのかもしれない。少なくとも、人を誘い込むための罠として、意図的に仕掛けてきたのは明らかね」
     問題はその結界の強度だ。
     なにしろ、私の矢が効かなかった。あれには相当量の力を籠めたはずなのに。
    「今までに、私の矢を受けて壊れなかったものはないわ」
    「外側からの破壊は考えないほうがいい、ということよね」

    「二人とも、大変だ!」

     窓枠から躍り出る、巨大な影。アルコールランプに下から照らされて、ちいさなきゅうべえの体が魔獣の闇をまとったようになる。壁に、天井に。揺れる影絵が、尻尾を警報のようにせわしなく振った。
    「見滝原に、魔獣の結界が三つも出現した」
     しっぽの影絵に阻まれて、影が落ちては、また淡く照らされる、巴さんの頬。昼と夜がめまぐるしく入れ替わり、巴さんの表情も、泣いているのか、微笑んでいるのか、判然とはしなくなる。
    「……そしてそのひとつに佐倉さんが囚われた?」
    「なんだ、もう知ってたのかい。なら、話は早い」
    「それだけじゃない、世界中に同じものが現れているんだ。そして次々に魔法少女が囚われてるんだよ」
     なぜ――?
     魔獣にそこまでの力はないはずだ。なぜ今になってそんなものが現れるのだろう。
     巴さんが無表情に質問をしつづける。
    「中の魔法少女は無事なの?」
    「残念ながら――すでに23名が、ソウルジェムが濁りきって、円環の理に導かれた。これは甚大な被害だよ……!」
    「破壊できたケースはないの!?」
     いらだたしげに、巴さん。彼女だって決して暗愚というわけではない。ふだんは空気を悪くするのを嫌ってこういう態度は取らないが、今は余裕がないのだろう。
    「残念ながら、ないんだ。だから困ってる」
     巴さんは目を閉じ、顔を背けた。巻き髪が揺れ、顔の大半が陰に入って、体が半分ほども小さくなってしまったようだ。
    「つかまった魔法少女は、ソウルジェムがにごりきるまでとらわれたままだ。
    その後、円環の理に導かれるまで、結界は決して破ることができない。
    魔法少女を捕らえて効率よく消滅させる、冴えた手だと思うよ。
    いわばあれは、毒餌の罠箱だ」
    「ふ……」
     私は髪をかきあげた。自然と笑みがこぼれそうになる。
    「なにを笑っているんだい? 暁美ほむら」
    「暁美さん……!? あなた……!」
     巴さんの、怒りの瞳だけが金色の尾を引いた。
    「いいえ。そういえば、二人とも知らなかったわね。私には武器があるのよ」
     私はアルコールランプのまぶしさに目を細めながら、二人の視線をまっすぐに受け止めた。
    「私には、武器があるの。かつてはそれ一本ですべての敵を退けてきた。弓矢でもなく、重火器でも、まして時間操作でもない私の、最大最強の武器。それは――」

    「――統計よ」

     …………
     からっぽの「鏡」を含め、全世界に「鏡」は7631。全世界の魔法少女と完全に同数。
     魔法少女により攻撃された「鏡」は全部で5772。すべて無傷で現存している。そのうち71個に魔法少女が囚われている。現在進行形でさまざまな魔法少女が破壊を試みているが、いまだ傷をつける段階にも至っていない。
     「鏡」を目視した魔法少女は3905名。そのうち94名が囚われた。
     39名の魔法少女がその様子を目撃、ないし阻止を試みたが、失敗。私たちを含む28名が証言――彼女たちは、「鏡」のなかへ、自ら進んで行った。
     「鏡」の撒き餌は、確認できただけで87例が「死んだ人」「想い人」だった。
     「鏡」に囚われた94名のうち、23名が死亡。残りの71名は依然囚われたまま。
     死亡した23名のうち、23名全員が、ソウルジェムがにごりきるまで、その場からけっして動こうとしなかった。脱出の意思すら見せなかった……
     死亡した23名の魔法少女。その23個の「鏡」のうち、破壊原因は23個ともが「円環の理」である……
     ……「円環の理」は、23回とも、天空から降ってきた。光の矢にも似たその流れは、まず「鏡」を破壊し、ついでソウルジェム砕きの一撃で、囚われていた魔法少女を「導いた」。
     とある魔法少女の証言――
     「鏡」は、いくつもの光を受けてひび割れ、ついには破壊された。
     「鏡」は、平均0.28秒で完全に破壊されている。
     …………

    「バラつきが……ある?」
     長いときで1秒以上ある。おかしい――円環の理による「ソウルジェム砕き」には、物理法則はあてはまらない。
    距離も時間も関係なく、どこにでも現れるまどかの一撃が効果を及ぼすまで、なぜラグがあるのだろう。円環の理が観測されてから、完全に魔法少女が消滅するまで時間が空くのはなぜだろう。
    彼女の理はすべての時空に優先する。つまり彼女の一撃は、光のようでありながら、何もない虚空に「突然出現する」のだ。空から降る光のようでいて、それはベクトルもなければ光速の概念も持ち得ない……
     ヒビが入った。つまり、あの鏡は円環の理の、宇宙法則を無視したソウルジェム砕きの一撃を防いだのだ。
     いまのところは円環の理の力が勝っている。だが、少しずつ「鏡」の硬度も増しているようだ。破壊までにかかる時間が、少しずつ長くなっている。はじめはコンマゼロゼロ以下の短い光だったものが、長いもので1秒を超えるようになっている。
     それ以前に。そもそもソウルジェムを砕くのに、「鏡」を割る必要はない。
     いきなり結界の奥に「ソウルジェム砕き」の一撃を現出するぐらいのことはできて当たり前なのだ。
     これではっきりした。「鏡」は、円環の理に抗する力を持っている。
     もしも、このまま、硬くなれば――
     円環の理の力が及ばないところで、魔法少女のソウルジェムは濁りきり――

    「……魔女が、生まれるわね」

     巴さんが顔を上げた。きゅうべえからもたらされる情報を正の字でかきつけ、数え、検分する作業を、さきほどからずっと繰り返していた。目の下にはうっすらとくまをたたえている。
     私はふたたび、誰でもない自分のためにつぶやいた。
    「……魔女を、うみだそうとしているのね」
     そうなればまずい。たった一体でも魔女の存在を許せば、まどかの及ぼす力の法則、絶対揺らがなかった万物の法則が、あいまいで不確かなものとして否定されてしまう。
     魔獣の目的は、魔女を生み出すことだ。そうすることで、円環の理を壊すつもりなのだ。
    「……させないわ。絶対に」

    ***
     
     巴さんが、片足を軸に、体を反転させた。回転するからだの腕に、足に、魔力のきらめきが舞う。洋服が魔法少女の衣装に転化し、髪にソウルジェムの輝きが宿る。ベレー帽と羽飾りをゆらし、マスケット銃をその手に。
     魔法少女の戦闘服に変身を遂げて、巴マミは唇を真一文字に引き結んだ。
    「この先に、あの『鏡』があるのよね」
    「ええ」
    「……約束よ?」
    「ええ。……私は、絶対にあなたの手を離さない」
    「私も、暁美さんの手を離さない」
     真剣な表情で、巴さんが手のひらを差し出してくる。
    「そう気負うことはないわ。あの「鏡」に囚われたのは、約四千の魔法少女のうちたったの百人そこら。私たちがむざむざ引っかかる道理もないわ」
     口ではそういいながらも、自信がない。
     「鏡」は、心に想う人を餌に、「魔法少女」を罠にかける。
     もし。もしもあの「鏡」の向こうに、まどかが立っていたならば――
     私も唇を引き結んだ。心に波風を立ててはいけない。すでに胸には針が何本もつき立てられたかのようだけれど、今ここで「鏡」に立ち向かわなければ、佐倉さんは助けられない。
     もし、そこにまどかが立っていたら。
     私は、彼女を打てるだろうか。
     彼女を殺すことができるだろうか。

     ……私は、ポケットを探った。
     指先に、まどかのリボンがあった。
     あの日以来、失うのを恐れて、身につけることができないリボン。
     そのリボンを頭のてっぺんを通して、耳の横でちょうちょに結んだ。
     新しく出来た結び目のこぶが、後ろ首にぽっこりと当たる。
     それをひとなでし、髪をかきあげてから、私は巴さんの手のひらを、しっかりと握り返した。

     巴さんが油断なく銃口を向ける先に、私も弓の先端を向けた。
     片手は巴さんに預けてしまったから、弓は扱うことができない。それ以外の技が使えない私は、ほとんどそこにいるだけの『邪魔者』だ。いざとなれば弓のリムの部分で殴るぐらいはしてみるつもりで出しているが、私の不安を投影してか、てっぺんの花はつぼみもつけぬままだ。
     つないだ巴さんの手を離さないように、私は歩幅を合わせて進む。
    「ねえ、なんだかこれ――ちょっと恥ずかしいわね」
     巴さんがもじもじしながらそんなことを言う。
    「……巴さんが言い出したことよ」
     「鏡」の幻に引きずられて独断専行することがないように、話し合った結果がこれだった。
    『手をつないでいればいいんじゃないかしら』
     リボンで結ぶよりも、それはずっとシンプルで効果がありそうに見えた。
    「で、で、でもっ! なんだか恋人同士のお散歩みたいじゃない?」
     巴さんが妙に照れているので、つられて私も赤くなってしまう。緊張を悟られまいと、少し早口に切り返す。
    「お散歩だとしたら、私が飼い主で、巴さんが犬ってところね。犬種で言えばゴールデンレトリバーかしら」
    「ぎゃ、逆よ、逆! もちろん私が飼い主で、暁美さんは……そうね、黒猫かしら?」
    「猫の散歩なんて聞いたことがないのだけれど」
    「あら、暁美さんはきっと家猫なのよ。外に出るときは絶対首輪をさせるんだわ。そうでないとどこかに行ってしまったきり、帰ってきそうにないものね」
    「……巴さんって、将来男ができても縛り付けるタイプなのかしら」
    「そういう暁美さんは、つかみどころがなさすぎて男が寄り付かないタイプなんじゃなくって?」
    「結構よ。男になんて興味がないわ」
     私は片手だけで器用に髪をかきあげる。
    「あらあら。かっこいいわねぇ」
     私の真似をして、ロールのきいた髪をかきあげる巴さん。
     巴さんはくすくす満足そうに笑いながら、「鏡」のほうに向き直った。
     ここはもう、「鏡」の正面だった。
     横顔を窺い見る。さきほどまでふざけていた巴さんとは、別人の顔をしていた。
     ビルとビルの間にひっそりとたたずむ「鏡」。街灯も届かない街の裏のその奥で、硝子のような四面体が、か細い星明りをほんのりと照り返している。その中身はまっくらで伺い知れない。
    「……」
     巴さんが光を生み出す。こちら側からの光を受け、「鏡」に、手をつないで立つ私たちの姿が、不完全ながらも映った。
    「よく見えないわね」
    「ええ。でも、気をつけて。不用意に覗き込まないで」
    「『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない』――」
     巴さんが諳んじる。別の時間軸の巴さんが、その昔、まったく同じ文言を引用したことを思い出して、私はあとを継いだ。
    「『深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを覗いているのだ』――」
    「へえ。暁美さんもニーチェとか読むほうなのかしら?」
    「いいえ。でも、あなたが好きなものはたいてい知っているわ」
     不意を打ったつもりはなかった。されど巴さんが少し言葉をつまらせ、結局その話題はそこで終わった。
    「もう少し、奥まで照らすような光を出してみるわね」
     巴さんがそう言葉を投げ、懐中電灯のようにまっすぐ伸びる光を放った。
     しかしその光は、「鏡」に反射して、こちら側にかえってきただけだった。
    「……これが魔力の光だから通らないの? それとも物理現象そのものが……?」
    「さあ。……暁美さん、なにか光るものを持っていて?」
    「携帯ぐらいかしら」
     ポケットから携帯電話を取り出し、アプリを呼び出して、ディスプレイを強制的に光らせる。
     その光は、まっすぐに中を照らし出した。ただし、鏡はどこかに消え、その奥にある、さびれた裏通りの壁面や地面だけが明かりを受けて煌々と輝いている。
    「……通さないのは魔法の力だけなのね」
    「今朝様子を見たとおりね。佐倉さんを捕らえた鏡も、大きな環状線の真上を横切っていたのに、人や車は何事もなく通過していった」
    「魔力にだけ反応するってことよね?」
     と、巴さんはマスケット銃を自分の周囲に5本つきたてた。扇状に打たれた楔の中央で、手袋につつまれた優雅な腕が銃の握りを電光石火で引き抜いて、あっという間もなく5本すべてを撃ち尽くした。
     「鏡」は割れなかった。
     跳ね返った弾をリボンでなんなく受け止めてから、巴さんは片手で器用に肩をすくめてみせる。
    「魔力を出さない、無抵抗状態なら「鏡」の真ん中に立てる。けれども、それは「鏡」の『向こう側』ではない……薄皮一枚隔てた『こちら側』なのよね」
    「……つまり、『招かれない限りは鏡の向こうに立てない』」
     自分から罠にかかったのち、内側から壊すしかないということだ。
    「じゃあ、少し待ちましょうか」
     巴さんは目の前に小さなテーブルと茶器を出した。
    「魔力のムダづかいね」
    「ムダじゃなくて、余裕、って言ってほしいわね」
     手をかたくむすびあった二人が、それぞれ片手で紅茶を飲む姿というのはずいぶん滑稽だ。
    「……あつっ」
     ソーサーから持ち上げるとき、いらない力が入ってしまった。こぼれた紅茶を指にうけ、熱さに顔をしかめる。
    「もう、危ないわね」
    「ごめんなさい」
     私はざわざわと高鳴る胸をおさえきれずに、深呼吸をした。どんなに心を落ち着けようとしても、ティーカップをソーサーから持ち上げる作業さえきちんとこなせる気がしなかった。
     巴さんは私の所作をさりげなく見抜いたようだ。
    「……怖い?」
     私は首を振った。
    「どうってことないわ」
     嘘だった。本当は苦しかった。それでも、なんでもないふりをするのは得意だった。心臓を患っていたときから、いつもしていたことだったから。
    「頼もしいわね」
     巴さんはくすりと笑って、カップを目の前の鏡にたたきつけた。
     魔力で生み出されたカップは粉々に砕け散り、鏡に残った紅茶がぶちまけられる。ぬれてきらりと光った「鏡」だが、それもしばらくしないうちに、カップの破片ごと消えてなくなった。
    「大丈夫よ。いざってときには、私が特大ティロ・フィナーレをお見舞いしちゃうんだから。だから、大丈夫」
    「ええ」
     夜目に慣れさせるため、目を閉じる。わずかな光でも網膜が像を結ぶように、視力を調整した。暗視スコープをのぞいたときのような、つくりものじみた色合いの世界の奥に、冗談のように「鏡」が立っている。
     「鏡」の向こうに、魔獣のなれの果てがあった。
     見つめているうちに、魔獣の姿が揺らいでくる。
    「……見える? 暁美さん」
    「……ええ……でも」

     中年の夫婦だった。仲良く寄り添い合うふたりは、顔のそこここが、ほんのりと巴さんに似ていた。
    「パパ……ママ……」
    「ひょっとして、巴さんのご両親?」
    「見えるの?」
    「巴さんに、よく似てらっしゃるわ」
    「そう……」
     巴さんは顔を伏せた。
    「……もう7年も前になるのにね。もう忘れたと思ってたのに。いざ目の前につきつけられると、なんだか心臓を握りつぶされたみたい」
     私は何も言えなかった。
     ただ彼女の手のひらだけ握りしめた。
    「……大丈夫よ。とっとと乗り込んで、やっつけちゃいましょ」
     巴さんはわざと大きな声を出すと、「鏡」に手のひらを置いた。
     波立つ「鏡」の表面から、ご両親の手のひらが出現する。ここまで佐倉さんのときと同じだった。
     手を引かれてつんのめる巴さんの後を追って、私も「鏡」に手を置いた。
     ずぶり、と飲み込まれる感触。

     内側は、幸福な家庭のダイニングそのものだった。
     暖炉があり、飾られた家族写真があり、観葉植物があり、どっしりとしたローテーブルとソファと、大画面のテレビがある。
     巴さんの部屋に、趣味はよく似ているかもしれない。
    「マミ……!」
     顔をくしゃくしゃに歪めて、ご夫婦は泣いていた。広げた手は、しかし油断なく銃を構えた巴さんの前で悄然と下げられる。
    「出たわね、偽者ども。人心を移ろわせるその手管、外道のものと知りなさい!」
     大音声で述べる巴さん。
    「これ以上、死せる魂への冒涜は許さない!」
     スカートを翻す巴さん。その裾から銃が五本落ちてきて、巴さんはそのすべてを宙に浮かせた。
     夜よりも暗い銃口すべてに覗き込まれて、二人は恐怖に身を竦ませる。
    「マミ、わたしたちよ、分からないの?」
     巴さんは頭を振ると、目をきつく閉じ、耳を手でふさいだ。
    「……ねえ、暁美さん。お願いがあるのだけれど。私の右耳、少しふさいでいてくれないかしら?」
    「それはいいけれど……」
     もっと根本的な解決法がある。
    「私が代わりに打ちましょうか。あなたは座っているといい」
    「いいえ。いいの。これは、私の問題だから」
    「……そう」
     片方の耳は、私がふさいであげた。私が手をそえてあげたほうへ、少し首を傾けて、甘えるようなしぐさをする。
     巴さんは、そのまま、無抵抗の二人へ、発砲した。
     耳をつんざく絶叫があった。そして、世界そのものが崩落した。

     巴さんは泣かなかった。燃えた瞳で、いきましょう、と告げた。
    「鏡はあとひとつあったわね」
    「それはそうだけれど……休まなくて平気なの?」
    「全然大丈夫! ……と、いいたいところだけれど……」
     巴さんはぐっと唇をかみしめて、
    「今はとにかく、動いていたいの。何も考えられないぐらい」

     二つ目の「鏡」の前に立つ。
     巴さんと佐倉さんはすでに『招かれた』。残るは、私のみだ。
     睨みすえる「鏡」の奥には、いつまで経っても何も現れない。
    「……ねえ、暁美さん」
    「なに?」
    「まどかさんって人のことなのだけれど」
    「……ええ」
     その名前を聞いただけで、肺が締め上げられたかのようだ。
    「その人は、ピンク色の魔法服を着ていて、薔薇の弓を使っていたの?」
    「……ええ。……え?」
     そこまでのことは教えていないはずだ。
    「どうしてまどかのことを?」
    「どうして、って……その、見えてないの?」
    「なにも」
    「……手を振ってるわ。すごく必死に」
    「うそ。私には、何も……」
     言いながら、手をついた先で、「鏡」がさざなみを発した。
    「……『招かれた』わね」
     しかしそこには、ただがらんどうの「鏡」があるだけだった。
     巴さんが一歩前に出る。なかば手を引かれるようにして、私も入っていった。

     内部の空間は、金属のような光沢が、液体のようにうねりを発していた。

    「ねえ、暁美さん、本当になにも見えていないの?」
    「ええ。……もしまどかが見えていたら、私はこんなに冷静ではいられないでしょうし」
     巴さんは、大きな瞳をゆがめて、ぽろり、と涙をこぼした。
    「ちょっ……どうして泣くの」
    「だってっ……まどかさん、ずっとずっとあなたを呼び続けているのよ……? 本当に何も聞こえないの? 何も見えないの?」
     私は首を振った。
     その責めは少なからず心にきた。私はもう二度とまどかを感じ取れない。まどかに申し訳ないと思う気持ちと、寂しくてやりきれない気持ちとが、堰をきってあふれ出そうだった。
     私は髪をかきあげた。こうすることで、平静を保とうとした。
    「残念ながら。でも、かえって好都合だったわ。私はきっとまどかを撃てないから。悪いのだけど、巴さん、あなたがやってくれる?」
    「……分かったわ」
     巴さんはさきほどと同じ動きで、マスケット銃を宙に浮かべ、すべての銃口を虚空へ向けた。そこには何もなかった。風も土も花も光も冷たい空気も、何もなかった。
    「……ねえ、暁美さん。まどかさんが、あなたに伝言だそうよ。……聞きたい?」
     巴さんは次から次へと頬をぬらしながら、喉からしぼりだすように、やっとそれだけを言った。
     私ははいともいいえとも答えられない。所詮まぼろしの言うことであれば、聞かないでいても困ったことにはならないだろうけれど、聞いてしまって取り乱しても、もう遅い。
     それらの計算をのぞけば、聞いてみたいのが本音だった。
     巴さんの銃口はもう照準を合わせているし、魔獣からの抵抗もない。ここで私がリタイアしても、脱出は容易だろう。
    「聞かせて」
     巴さんは何もない方向を見つめていたが、やがて口を開いた。
    「『私ね、魔獣の力を借りてきたんだよ、ほむらちゃん』……『ほむらちゃんには見えなくても、聞こえなくても、私はずっとそばにいるよ』『ときどき、たつやと遊んでくれてるのも知ってるんだよ』。『もうすぐ本当に会えるから』。『それまで、がんばって』。『リボン使ってくれてありがとう』。『それとね……』」

    「『願い事は、もう決まった?』」

     願い事は、決まったか。

     



    「……うそでしょう?」
     私はついに呼びかけてしまっていた。
     ほんの2,3メートル先にいるという触れ込みの透明人間に。それは魔獣の作り出した幻で、そいつが言うことも、私をここに閉じ込めておくための甘言にすぎないはずだった。
     巴さんは立つのもやっとといったぐらいに、ぼろぼろと涙を流し、しゃくりあげている。
     そして私も、足元からゆがみひずんで、世界のすべてが崩れていくような錯覚を味わった。
     二人を立たせていたのは、約束だけだった。何があっても決して離さないと誓った手を支えるためだけに、私はようやく立てていた。
    「まどかさんはこう言ってるわ……魔獣だって、自分が創造した子どものようなものだ、って」
     なにもかも道理の通った言い分だった。
     本物のまどかしか知りえないはずの、まどかのことを、どうして幻なんかが。
     これはひょっとして、本物の。
     いいえ。
    「……信じないわ。信じない! 姿も見せない幻の言うことなんか!」
    「『ごめんなさい』って。『それはできないみたい』『ほむらちゃんのこころが、無意識のうちにバリアを張っているから。折れて、くだけてしまわないように』」
    「そんな……そんなの……!」
     どうして私があなたを拒むというの。
     まぼろしでもいいから会いたいとずっとずっと願っているのに。
     おねがい、姿を見せて、声をきかせて、なまえをよんで、あの日みたいに!
    「『ごめんなさい、もう行かないと』」
    「……嫌……」
    「『杏子ちゃんを助ける方法は、』」
    「いやあぁっ! 行かないでまどかあぁっ!」
     駆け出す瞬間、巴さんに手を引っ張られた。
     私は、その手を強引に振りほどいた。
    「行かないで、いかないで、ねぇっ、ひどいじゃない、こんなの敵の罠よりひどいよ! 私はあなたに会いたくて会いたくて、それだけを頼りにずっと今まで戦ってきたのに! でももうこの世界には望みがないって分かってたからあきらめてたのに! ずっと考えないようにしてたのよ!? ねえ、望みはあるの!? あなたにまた会うにはどうすればいいの!? 出てきてよ、ねえお願い、まぼろしでもいいから、ほんのすこしでいいからぁっ! まどかあぁぁぁっ!」
     ぱぁん、と乾いた銃声が聞こえた。
     なじみの、巴さんのマスケット銃の発砲音だった。

     何もない――
    ベッドに盛られたぬいぐるみの山も、
    あわせ鏡と硝子のすてきなインテリアも、
    ひらひらのかわいいお洋服も、
    美樹さんや仁美さんと通った河原の通学路も、
    一緒に授業を受けた硝子張りの教室も、
    まどからしいものはなにひとつない無の空間は、たったそれだけで崩れ落ちた。


     自分の荒い呼吸と鼓動とずきずきするこめかみの痛み以外、ほとんど何も感じられなかった。

     目が覚めたときには、私は巴さんのベッドの上だった。
     制服の――戦闘服に着替える前まで着ていた――ジャケットとリボンは、きちんと畳まれて、ベッドサイドのテーブルに置いてあった。
     シャツとスカートとタイツの姿でベッドに押し込まれたらしい。
     その横に、巴さんが寝ていた。自分はしっかりパジャマに着替えている。
     ベッドから抜け出そうとして、諦めた。壁側に追いやられている私は、どうがんばっても巴さんを起こすか踏んづけるかしないと降りられない。

     巴さんはおさない子どものような顔で眠っていた。心や体になんのわだかまりもない、幸せな寝顔だった。ながめていたら、すこしだけホッとした。
     夢を見ていた、ような気がする。
     歩けど歩けど茨の道だった。まどかの後ろ姿は遠く、影法師は長く、私はその片鱗にも追いつけない。一歩ごとに棘が皮にささり、血はとめどなくあふれ出る。
     まぶたが重かった。眠りながら泣いていたらしい。身を起こしても、まだ酔いが覚めなかった。三半規管が狂っているのか、頭がぐらぐらするし、手のひらの握力もあまり戻ってこない。
     時計を確認すると、草木も眠る丑三つ時だった。明日の学校のことを考えれば、ここは朝までもう一度寝るべきだろう。寝苦しいのはタイツの締め付けのせいもあるだろうと考えて、せめてタイツだけでも脱ぐことにした。
     ごそごそと動く私の気配を感じてか、巴さんはけわしい顔で『うーん』と唸った。
    「……起こしてしまったかしら?」
     小声で聞くと、巴さんはうっすら目をあけ、
    「まだおきてたの? らめよぅ、ちゃんとねないとぉ……」
     もごもごと寝言のようにつぶやき、私の手を握った。
     どきりとした。
     瞬時にフラッシュバックする、昨日の約束。私はこの手を離さないと、そう、何があっても離さないと約束したのに、まどかを名乗るものの前で振りほどいてしまった。
     固まる私。その手をつかみ、巴さんは、完全に制御のきいていない動きで引っ張った。
     思いのほか強い力だったせいもある。
     それ以上に罪悪感のせいで、私はされるがままだった。
     私を布団の間に押し込むと、巴さんは私の体をぎゅーっと抱いた。
     自宅の抱き枕でも扱うかのように、頬をすりよせ、頭を私の肩の上に載せて落ち着かせると、そのまま満足そうに眠ってしまう。
    「と、巴さん? 私、その、タイツを、脱いでしまいたいのだけれど……巴さん?」
     私はタイツを中途半端にひざのあたりまで下げたままだった。
     タイツと巴さんと、両方に拘束されたまま、私はつぶやく。
    「まさか……私、朝までこのままなの?」

     タイツでうっ血した足は、ベッドから降りるなり、膝から崩れ落ちた。
     完全にしびれている。しばらくは歩けそうにもない。
    「もう朝よ? 暁美さんてずいぶんお寝坊さんなのね」
     ほがらかに、巴さん。かえすことばもない。
    「ふふっ」
     巴さんはなぜだか一人で笑っている。
    「……なに?」
    「べっつにー。ただ、佐倉さんには内緒にしておいてあげようと思って」
     巴さんはトーストにジャムを塗りつける手を機嫌よく操りながら、
    「暁美さんたら、ゆうべ、泣きながら私にしがみついてきたのよ」
    「な……逆よ、逆。あなたが私を抱き枕にしていたんじゃない」
    「覚えてないのね? 無理もないわ。暁美さん、私に『いかないで』『いかないで』っていって、ずっと泣いてたのよ。びっくりして『どうしたの?』って聞いたのに、暁美さんったら、寝てるんですもの! 寝言だったのよ。暁美さんは眠りながら泣きながら私にしがみついてたってわけ」
    「……」
     どうやら私は、かなりの醜態をさらしていたみたいだった。決まりが悪くなって、つい髪をかきあげる。
    「そんなに怒らないでちょうだい。嬉しかったのよ? 私」
     巴さんはひよこの鳴き声の紅茶用のストップウォッチを止めながら、
    「覚えているかしら? 私、言ったわよね。あなたの荷物も半分背負うから、って。私たちはお友達だもの、もっと弱音を吐いてくれてもいいじゃない? なのに暁美さんはいつまで経っても一人で戦っているつもりでいるし」
     白磁のミルクピッチャーにミルクを注ぎ、『さあ、できたわ』といわんばかりに、私を手招きした。
    「もう一人じゃないのよ、私たち。私も、暁美さんも、佐倉さんも」
    「……そうね」
     すがすがしい朝の日差しのもとで、魅力的な朝ごはんを前に手招きする巴さんの姿を見ていたら、私は自分のこだわりも溶けていくような感じがした。私は、なにを一人で思いつめていたのだろう。
    「謝るわ」
     私はまだ、巴さんに銃口をつきつけられた時のことを忘れてはいない。けれど、あれは繰り返しの世界の巴さんだった。今目の前にいる巴さんとは、別人だ。
     時の砂時計でいじくりまわさなければ、時間は流れる。
     人も変わる。巴さんも、時が経てば、やがて大人へ成長していく。
     変わりはじめているのは、私だけではなかった。
    「ねえ、暁美さん。あなたさえよければ、なんだけれど――」
     巴さんだって、いつまでも脆いままじゃない。

    「佐倉さんを助けだせたら、まどかさんを救う方法も、探してみない?」
     
    「でも……それは」
     いけないことだと自分に言い聞かせてきた。まどかが自分の意思でそうしたことだと。まどかは、私に『信じてほしい』と言った。自分のすることを信じて。それはつまり、『邪魔をしないで』ということでもある。
    「考えちゃだめ。暁美さんの気持ちを聞かせて。あなたはいったい、どうしたいの?」
    「私は……」

     まどかに、会いたい。


    「……私は、この世界を守りたい。それが、まどかの意思だから」
     ところが、口をついて出たのは、正反対の気持ちだった。私はこの期に及んでもなお素直になれない。どうしようもない独善に、自分でも嫌気が差す。
    「……ほんとうに?」
     私を正面から見つめながら、巴さんが確かめる。
    「……とっくの昔に決めたことよ。この世界を守る、それが私の祈り」
     巴さんが私を見ている。私の中を覗き込もうとしている。
     忘れてはならないのは、同時に私も巴さんを覗いているということだ。
     巴さんの考えていることは簡単に読めた。目つきや顔つきや声の震えに、全部出ているのだから。
    「私は、あなたたちと生きたい」
     巴さんの瞳がほんの少しゆるむ。望む言葉を与えられて、はっきりと安堵の色が溶けていた。
    「今はまだ、まどかの名前を聞くと苦しいこともあるけれど」
     遠くで足音がすると、ときどき、何の根拠もなく、まどかが帰ってきたんじゃないかと思う時がある。そんなはずがないのは分かっているのに、不思議な期待が胸に湧いて、そしていつも裏切られてきた。
     安らげるはずのときにも、隣にいないまどかを思う。
     何をしていても痛みが残る日々だった。
    「……でもそれは、魔法少女じゃなくても訪れる試練だから。私だけが特別に辛いわけじゃないわ。人はいつか出会い、別れていくのよ」
    「信じていいのね?」
     巴さんが身を乗り出し――お皿やティーカップが大きな胸でよけられ、がたがたと横に退く――私の手を握る。
    「よかっ……わたし、私、もう、一人は嫌……」
     本当は誰よりも、自分の荷物を降ろしたいのは巴さんだったに違いない。
     それをこらえて、私を思いやってくれたことが、嬉しかった。
     だから今度は、私が巴さんを思いやってあげる番なのだ。
    「私、魔法少女になったときねっ、自分が助かりたいばっかりでっ……! パパもママも助けてあげられなくて……っ!」
     後半はもう言葉にもならなかった。嗚咽の合間に漏れてくる、いわれのない罪悪感に対する謝罪と後悔と、許しを乞う言葉。散逸した思いを、私は容易に組み立ててやれた。
    「あれは幻だったのよ。ご両親じゃなかった」
    「でも、まどかさんは本物だった!」
    「いいえ」
     私は首を振る。
    「幻よ。あれはまどかじゃなかった」
     巴さんは今にも魔女が孵化しそうな、ひどい顔をしていた。いま、彼女の目に私はどう映っているだろう。私が必死で取り繕ってきた、冷徹で無駄のない鉄仮面を、うまく被れているだろうか?
     私がそう見せかけようとしているほど私は機械仕掛けのようではなく、本当は嘘がバレるのを恐れて親を盗み見る子どもとおなじぐらい、不安と恐れでいっぱいだということ。はたして気づかれずに済むだろうか。
     せいいっぱいのポーカーフェイスで、私は告げる。
    「殺していないのよ。あなたはご両親を殺していない」

     泣きくずれる巴さんの背中を抱きながら、今は泣かせてあげようと思った。

     環状線の上を、時おり車が通っていく。
    「もう少し車が減るかと思っていたけれど、そうでもないわね」
     ガードレールできっちりと区切られた歩道から、佐倉さんのいるあたりを見る。ねじれた空間の上をもう何台も車が通っていったが、車にも「鏡」にも異常はない。
    「これ以上近づくと、交通事故になってしまいそうね」
    「ええ。でも、充分よ」
     この距離でも、問題なく弓は届く。
     佐倉さんの様子はさほど変わっていなかった。美樹さんの膝の上で眠る佐倉さんが、寝言のように何かをずっと美樹さんに話しかけている。穏やかで満ち足りた午睡。
     その胸に飾られたソウルジェムは、かつての血のような輝きが失せ、墨のように真っ黒だった。いまにも割れてしまいそうだ。
    「もうすぐね」
     もともと、佐倉さんはグリーフシードのストックを大量に持ち歩いていた。ほんの一週間ぐらいでは、濁りきるはずがない。その消費が予想より早いのに気づいたのが昨日。
     タイムリミットは今夜いっぱいだろうと踏んで、私たちはやってきた。
     作戦の示し合わせは済んでいる。あとは私たちがどちらもどじを踏まないよう、祈るだけだ。
     佐倉さんはほとんど動かなくなった腕を投げ、美樹さんになにかを言った。
     唇の動きが緩慢になり、まぶたが下りる。
     幸せな死に際だと思った。痛みも苦しみもなく、近しい人に看取られて意識を閉じられるのなら、これ以上のことはない。
     真っ黒だと思っていたソウルジェムに、ほんのりと白い輝きが差した――さらに黒く染まったせいで、魚の腹のようにぬめりと光ったのだった。

     ソウルジェムが、形を変えだした。魂の器が紡錘形から、真球へ。黒い輝きがあたりを侵食し、佐倉さんを包み込む。
     魔女の孵化が、始まった。

     第一撃は雷光のようだった。光がひらめき、遅れて「鏡」が音高く鳴る。二撃目は目視できたかどうかも怪しかった。あたりをつかの間照らした。三撃目からは数えることもできなくなった。無数の光の矢が曇天を割って降りそそぐ。宗教画にも似た光の帯は、美しくさえあった。
     私は、弓を撃った。出来うる限りの魔力を込めた矢が、先端から樹形のように分化する――佐倉さんが得意とする、ホーミングの技だ。
     すべてが無数の光の矢と衝突し、相殺され、消滅した。でもそれもなしのつぶてだ。光は間隙も与えず、次から次に「鏡」へ降りそそいでいく。
     その横で、千丁のマスケット銃を構えた巴さんが、続けざまに弾幕をはる。弾丸と私の矢と光がコンマ以下の単位で無数に衝突と消滅を繰り返し、空間に異常な熱気が満ちる。

     まどかによって世界が『魔女の不在世界』へ書き換えられた時。
     私は最初から魔法少女だった。
     きゅうべえに聞いても、私がどんな願い事をかなえて魔法少女になったのか、全く分からないという。
    「それどころか、君の武器はかなり異質だ。時空すら切り裂く矢、とでも形容すればいいのかな?」
     きゅうべえが不思議がるのも当然だった。
     だって私の弓は、まどかから貰い受けたものなのだから。

     私には、はじめの契約が生きている。

     もはやまどかとの出会いをやり直すことはかなわず、時間を操る魔術は失われても、それでも。

    「彼女を守れる私になりたい――それが私の最初の願い」

     巴さんの銃は充分以上に効いていた。まどかの「光の矢」に対抗できるのは、私の弓だけかと思っていた。でも、違った。まどかの「弓」も、もとは魔法少女と同じ力に根ざしたものだ。もし効かなかったとしても、私一人でかたをつけるつもりだったが、強力なサポートが得られて、知らず知らずのうちに安堵のため息が漏れる。
     弾け散る火花に、顔が、手足が、ただ居るだけでやけどしそうになる。熱く焼けた大気を吸い込みながら、私は自分の髪をほどいた。
     まどかのリボンを握りしめる。
     佐倉さんの孵化は進んでいる――時間にしてほんのゼロコンマ数秒のことだけれど、私はつぶさに観察することができた。
     佐倉さんが孵化すれば、それはそのまま円環の理――まどかの消滅を意味する。すべての魔女を消し去るための概念体は、たったの一体でも魔女の存在を許せば、矛盾を織り込めず、万物の法則から外される。

     円環の理を――まどかを守るためになら。
    「私はどこまででも、強くなれる」

     もともと時空間の流れを操るすべに長けていた私の体感速度は、ここに来てさらに精巧になり、光が流れるさまも一本一本がゆっくりと見える。
     まどかのリボンに、私はそっと口づけた。
     リボンの先端には、あらかじめ結わえておいた、グリーフシード。
     光の矢の一本が、とうとう「鏡」を割った――その流れすらももはやスローモーションのようにのろい――光が降る先には佐倉さんのソウルジェム。
     私はリボンを矢につがえた。弓にかつてないほどの魔力が充填され、可憐な花を咲かす。
     撃った――重い手ごたえ。衝撃で花びらが、ひらり、と舞った。
     私の撃った矢は佐倉さんのソウルジェムへ――グリーフシードが穢れを吸い取った。そのまま、溶けるように消滅する。
     佐倉さんの孵化は止まり、ソウルジェムは本来の輝きを取り戻す。

     すべては、花びらが地面に落ちるより早く終わった。

     佐倉さんは朝には完全に回復した。
    「魔女になってくれって、言われたんだ」
     佐倉さんがそっと独り言をもらす。
    「さやかが、そうすれば復活できるんだって――あたしが魔女になれば、さやかが戻ってこれるんだって、そう繰り返し頼まれたんだ」
     すっかり憔悴した頬を手で覆う。 
    「二人とも、ごめん。あんなのただの目くらましって、わかってたんだよ。こいつは本物のさやかじゃないって。それでもあたし――」
     佐倉さんが言いよどむなんて、珍しいことだった。
    「本物にしか見えない偽者の世界と、本物すらいないこの世界と、どっちがいいんだろうって考えてたら、分からなくなっちまったんだ」
     
    「いいのよ。全部、悪い夢だったのよ」
     巴さんが佐倉さんを抱きしめながら言う。
    「ほら、朝よ。なんて綺麗なのかしら」
     夜明けだった。ビルの隙間から朝日が昇ってくる。赤く大きく美しく、まるで炎のようだった。
    「孤独を抱えて眠る夜も、泥のように退屈な昼下がりも、いつかはこのあかつきの空のように燃えて輝くこともあるのよ。私はそれを信じているわ。だから、くじけないで。一緒にがんばっていきましょう?」
     佐倉さんはなにがなんだか分からないという顔をしていたが、やがてはそれが自分に対する不器用な慰めだというこに気づいて、赤面した。
    「な、なんだよ、そのポエム」
    「素敵でしょ? 暁美さんも佐倉さんも、燃える炎が似合うから。二人に捧げる詩ってところね」
    「い、意味わかんねーよ!」
     佐倉さんがそっぽを向く。その表情は、怒ったようにも、頬がなんとなくにやけているようにも見えた。

    ***

     月がきれいな夜だった。藍色の影が窓枠を長く伸ばしている。
     ベランダの外には赤い髪のポニーテールが揺れていた。黄味がかった射光を浴びて、猫のように瞳を大きくしている。

     飲み物を取りに台所へ来ただけだったが、失敗だったかもしれない。
     今はまだ、気まずい。大喧嘩して、その直後にあんなことがあったのだから。どんな顔をすればいいのか、何を言われるのか、ちっとも見当がつかない。
     気づかれないように立ち去ろうと思った。でも遅かった。
     佐倉さんはベランダの窓をコンコン、と叩いて、知らん振りをする私の注意をひきつけた。にかっと八重歯を出して笑い、手招きをする。傍らには紅茶のポットがティーコゼーつきで置いてあり、ひらひらと白磁のティーカップを振ってみせる。
     佐倉さんの唇が無音で動いた。こっち、来いって。つきあえよ、なあ。

     






    ねえ、キュウべえ。前にあなた言ったわよね。
    私はまだ、神々にすら届き得る、途方もない力を隠しているって。
    その力を使って、何かを企んでいるのか、って。

    大正解よ。

    私は、まどかを救いたい。
    それだけを希望に、今まで闘ってきたの。
    ……佐倉さんや巴さんと一緒の日常が楽しすぎて、ずっと先延ばしにしていただけ。
    一瞬だけ、ほんとに一瞬だけ、ずっとこのままでもいいと思うこともあったわ。
    でももう、限界。
    わたしはもう、まどかのいない世界なんて、耐えられない。

    ***

    「うっ……」
     輝白色のプリズムが私の脳天を割った。痛み放熱するこめかみを押さえ、視線を遠くに投げる。どこまでも青い空がまたたきするまぶたの裏にまでやけつきを起こし、私の意識を強制的に覚醒させる。
    「いい天気だな」
     完全にひとごとの様子で呟いたのは、佐倉さん。赤い髪を後ろでひとつにまとめているので、ちいさなあごと形のよい頭、鼻の稜線がひときわ目立つ。コバルトブルーを背景にして立つ姿は、赤い額縁で飾られた繊細なイラストのようだ。
    「佐倉さんの髪は、日光に透かすと真っ赤なのね」
    「そうなんだよなー。これのせいでよく間違われたもんさ。教会に外人の子がいても不思議じゃないのは分かるけどさ、たいていみんな、あたしの髪を見て、ちょっと考えるんだ。この子は日本人かな、それとも外国の子かな。「Oh」とか「Ah」、なんて時間稼ぎしながら外国語の挨拶なんか探してやがるやつに、マシンガントークをかましてやるのが面白くってさ」
    「佐倉さんのおしゃべり好きはその頃からなのね」
     ホットカーラー製の完璧な巻き毛を揺らしながら、巴さん。丁寧に染められた金色の髪が、こちらも日光を受けて蜂蜜のように輝いている。日光を避けて眠たげに細められたまぶたや、あまい笑顔を形作る頬は、レタッチを入れたつくりものの写真のようにつややかだ。
    「三つ子の魂百までとはよく言ったもんさ。その人となりを知りたければ生育史ってのは重要な意味を持つってのがあたしの見解。マミがティーカップみたいな背格好を好き好んでしてるのも、おおかたパパかママから受け継いだ品の良いゴシュミってやつだろ? そんでほむらがマダム・シンプルイズベストなのは、父親も母親も苛烈なところのある人たちだからだろ。人は誰しも出会った人に影響されてアイデンティティー、今日の私も昨日の私もたしかに私らしいと感じられるが、一年前の私とは違うと認めるに足る自我同一性、ってのを得るのさ。あたしが嫌いだったハーブティーを飲むようになったのはマミのおかげだし、マミが敬遠してたこのマジカル・スティック、うんめぇ棒もお茶請けに悪くないなんていうようになったのもまたあたしのおかげ。そしてほむらが最近よく笑うようになったのも、あたしとマミのおかげってやつじゃん?」
     佐倉さんの機関銃で掃討するようなおしゃべりを右に左に聞き流し、私はげんなりと言う。
    「……ふたりとも元気ね」
    「一度や二度の完徹ぐらいで音をあげるなよ、だらしねぇなあ。ほれ、食うかい?」
     差し出されたのはうんめぇ棒のたらこ味だった。
    「いらないわ……とてもじゃないけど、何かを食べる気にはならないの」
    「おっと、そうだった。流動食マニアのほむらにはこっちがいいんだったっけ?」
     次に差し出されたのが、こんにゃくジュレのりんご味。
    「……あ、まだ食べられそうよ」
    「ほらほら、しっかりしろよ。学校に行くって決めたのは自分だろ? だったらちゃんとやり遂げろよ」
    「……佐倉さんは? あなただって学校に籍はあるのでしょう?」
    「あたし? あたしはいいよ、ほら、制服じゃないし、今さら学校のお勉強なんてなんになる? って感じだしさ」
     意外にも、佐倉さんは私たちと同じ学園の生徒だった。ただし今は不登校児という扱いになっている。彼女も中学生である以上、民生委員と学校教員の捜索網に絡め取られることしばしばであるらしい。
    「……そう」
     何度しつこく巴さんが説き伏せても、佐倉さんはひょいひょいと言葉の煙幕を張り、逃げおおせてしまうのだった。それゆえに巴さんも近頃は何も言わなくなった。
    「私も、決して楽しくて学校に通っているわけではないのだけれど……でも、自分の居場所があるって、それだけで安心するものよ」
    「言いたいこた分かるよ。ガッコーガッコーっててんやわんやになってるあんたらさ、けっこうまんざらでもなさそうだもん。ほら、学校が見えてきた。杏子ちゃんのお見送りもここまでだぜ? ひとりぼっちでお弁当食べるのがつらいからって逃げ帰ってくるなよ、それも学生の醍醐味なんだからな」
    「お、お、お弁当一緒に食べる友達ぐらいいるわよ!」
     顔を真っ赤にして、巴さん。私はクラスの子がなにかとよく誘ってくれるので混ぜてもらっているが、ついでに巴さんも一緒に誘う。そのときの巴さんは見るからに嬉しそうなのだが、建前上は『し、仕方ないわね』なんてポーズをとっていたりするものだから、魔法少女というのはつくづく因果な商売だ。
    「さて、杏子ちゃんはマミがおべんと作った残りのごはんでも食べて、野良猫と遊んで、ゆっくり養生するとしますかね」
    「ちゃんと寝てるのよ? つい夕べにあんなことがあったばかりなんだから」
    「わーかってるってば、マミはうるさいなあ」
     二人がお別れの挨拶をする姿を、私はにこりともせず見守っている。

     ――まどか。あなたが守りたかった日常は、今もここにあるわ。

     放課後になった。お団子頭のクラスの女の子が私の肩をたたいた。愛嬌のある顔立ちと立ち居振る舞いの子だ。
    「ねえ、暁美さん。これから、予定ある?」
    「中野さん。……どうして?」
    「じつはね、今日弓道部で、公開練習をするの。暁美さん、前に弓道に興味あるって言ってたでしょ? よかったら見学していかない?」
    「面白そうね」
     今日のところは佐倉さんが夕食を作ると請け負っていたし、巴さんも魔獣狩りはお休みにすると言いつつ、ケーキを買いにそそくさと帰ってしまった。
     もう1時間ほどは時間を潰して戻るのが、スマートな優しさというものだろう。夕食の支度もお茶のしたくも、これでなかなか時間がかかるものなのだから。
    「ぜひ拝見したいわ」
    「よかったぁ! 暁美さんが来てくれたらみんな喜ぶよ!」
    「へぇ、暁美さん、来るって? じゃあ私も行こうかな」
     と、これは横合いから別のクラスメイト。確かこの子も、帰宅部だったはずだ。
    「来て来て! みーんなーっ、今日は暁美さんが弓道するってさー!」
     おおおお、と、教室をどよもす大歓声。こういうことをされると、少し恥ずかしい。
    「えー見たーい! 私もいくー!」
     我も我もと名乗りを上げる暇な同級生を巻き込み誘導し、さながらハーメルンの笛吹きのように大行進をしながら、離れの弓道場へ。
     的前では、すでに部員がめいめいに弓を射ていた。
     ひとりが会の状態から、そっと弓を射る。続けて左隣の部員が頭上高く弓を構える。
    「暁美さんって、弓道の経験があるって言ってたよね」
    「ええ。弓道というより、アーチェリーね。形は西洋の弓で、打ち型もほとんど我流なの。だからこの機会に、きちんと基礎を学んでおくのも悪くないかと思って」
    「へぇ、じゃあ、これ、打てそう?」
     軽い調子で弓を預けてきたのは、運動服姿の弓道部部長。若干5名の弱小弓道部の部長として、部員を引き込めるだけ引き込みたい。そんな意図がありありと見て取れた。
    「……借りるわね」
     魔法少女としての力を借りれば、このぐらいの弓をひくのにわけはない。弓を執り、頭上からじょじょに弦を引き絞る。唇の真横で矢を構え、張り詰めた弦から、そっと手を離す。
    「中り……!」
    「うそ、中ったの!?」
     意識の遠くで、観衆が沸き立つのを感じる。意識をおのれの心の底に深く沈めながら、差し出される矢を掴んだ。次は魔法少女の力を借りず、弓を高々と掲げる。
     腕が悲鳴をあげそうになった。ぎり、ぎり、とぎこちなく弦を引き絞っていき、ぶるぶると震える弓矢を強引に力で押し付けて、ばつん! と唐突な弓ひきを行う。
     今度の矢は、あさっての方向に飛んでいった。
    「外れた……!?」
    「やっぱり素人だもん、さっきのはまぐれだよ」
     私は目を閉じる。私のこの身体も、力も、すべては借り物にすぎない。魔法少女にならなければ、遅かれ早かれ心臓の病が進行し、死に至っていただろう。まどかに出会った当初の私は、手術に成功はしていたものの、10年後に死ぬ確率のほうがはるかに高かった。入退院と手術を繰り返していた頃とは比べようもないぐらい頑健な足腰とクリアな思考を持ってすれば、こうして人並み以上にうまくやることも可能だ。
     三射目、四射目も中てた。魔獣との戦いを考えれば、止まっている的に当てる作業ぐらいどうということはない。巴さんも佐倉さんも、下手したら飲食の隙間に適当な姿勢で放った矢ですら中ててみせるだろう。
     ざわざわざわ。がやがやがや。海岸で寝枕に聞くさざなみのように、人が発するどよめきが耳に染みる。そのどれもが意味のある言葉のようには思われなかった。賛辞も賞賛も、いんちきをベースに組み立てた力に端を発するものだ。すごいのは暁美ほむらではない。暁美ほむらという少女の希望と絶望により齎されるエネルギーを担保に前貸しされた『魔法少女』としての力だ。
     今の私は、膨大な借金を抱えながらお金をばら撒く考えなしの債務者なのだ。
     潤沢な資金を持つ暁美ほむらという魔法少女は、願いどおりに弓を中てる。ただ、矢を中てたいと願うだけで、鍛錬と克己の積み重ねによってしか到達し得ない人体制御の妙を成す。法外な『絶望』という名の金利を、大切な友人に肩代わりさせながら。
    「4中……!」
    「すごい、うちの部長だってめったに中らないのに……!」
    「中野さん、ありがとう。楽しかったわ。もう行かないと」
    「あ、うん……」
     あっけにとられるクラスメイトを置いて、私はひとり家路についた。

     ――でも。これは私が守りたかった日常とは別のものよ。

    「今日は、自宅で寝るわ」
    「そう? 気をつけてね。帰り道で魔獣に会ったら、すぐに呼ぶのよ」
     名残惜しそうな巴さんと佐倉さんを振り切って、ふう、とため息をつく。私は車のヘッドライトを避けつつ、河川敷沿いの道を行っていた。街灯が薄く私の影を延ばし、夜風にたなびく濡れ烏色の髪を地面に躍らせている。このまま闇に溶けてしまえたら、どんなに楽だろう。今日も明日も明後日も、緩慢な自殺のように、幸福な日常は行きすぎゆく。
     ふと、車線のはるか先で、歩いている少女の後姿を見つけた。私と同じ、見滝原中学の制服を着ていて、髪を二つに結っていた。ぎざぎざの分け目と、耳より高い位置でくくられた、二つ結いの毛束。真っ白なニーハイソックス。なで肩気味の、力の抜けた姿勢。
     赤い、そろいのリボン。
     どくん、と強く鼓動がした。心臓の病が再発したのかと危惧するほどだった。無意識のうちにポケットの常備薬を探りつつ、これが循環器系のトラブルではないことを悟った。心因性のものだ。
    「……まどか……?」
     そんなはずはなかった。けれど、歩く動作やあたりに注意を配る仕草、目線の動かし方。その人の持つ、気配と呼ぶべきものが、こんなに遠くからでもはっきりと分かるほど、まどかのそれに酷似していた。
     魔獣の罠だろうか。だとすればますます放ってはおけない。明らかに自分を誘い出すために仕掛けてきているのだから、正面からこれを打ち破るのが筋だ。
     妙な理屈をつけながら、私は早足で距離をつめる。女子生徒の背がどんどん近づいてきて、ついには手を伸ばせば届く位置へ。
     近くで見れば見るほど、その後ろ姿はまどかそのものだった。白い首筋と、のりのきいた白い制服の襟。
    「……まどか……!」
     名前を呼び、その肩に手をかける。果たして、それは人の身体のぬくもりを持っていた。魔獣でもない。生きた人の気配だった。
    「わっ……!」
     しかし振り返った顔は、まどかとは似ても似つかない。
    「……えっと……なんですか?」
     警戒しとがった声を出す彼女へ、私は言葉をかえすこともできなかった。違う。ぜんぜん違う。きつねのように面長のつくりの、どちらかというときつい顔立ちの女の子。
    「あ……ごめん、なさい……ちょっと、知り合いと間違えてしまったの」
    「……」
     彼女は声もなく、足早に、私から遠ざかっていく。私は取り残されて、ただ立ち尽くしていた。
     何を期待していたのだろう。最初から分かっていたことじゃないの。あの子はもうどこにもいない。いるわけがない。この世のすべての因果から解き放たれて、髪の毛一本残らず消えてしまった。知っていたのにどうして『まどかかもしれない』なんて思ったの? それがもっともありえないことを、自分自身が一番よく知っていたじゃない。
     一体私は何度ここでつまずくのだろう。何度繰り返せば済むのだろう。時を操ってなどいないのに、私だけが永遠に同じところを堂々巡りの繰り返し。
     きっと私は、生きながら円環の理に導かれてしまったのだ。
     たまらなくなった。声を大にして叫びたくなった。

    「……キュウべえ! いるわよね」
     はるか外宇宙からやってきた自称人類の益獣は、足音もなく私に忍び寄った。
    「……いるよ。……おや。泣いているのかい?」
    「……泣いて、なんか」
     心が砕けて血が滴っているかのようだった。引きつるように苦しい胸を鎮痛せしめんと、涙があとからあとから頬を伝わって落ちていく。のどが焼かれ、言葉にもならない悲鳴、絶叫が、ぐう、と音を立てて漏れ出してくる。
     足元から魔法がほとばしる。魔法少女の衣装に一瞬にして転装し、私は自分の喉へナイフを差し込むぐらいのつもりで、告げた。実際に、自暴自棄だった。
    「取引よ、キュウべえ。……私は、鹿目まどかを……神の座から引きずり落とす!」
     キュウべえは、表情も声色も変えずに『いいよ』と答えた。
    「前に言ったこと、覚えていたってわけかい? 暁美ほむら」
     キュウべえはいつだったか、私にこう話しかけてきたことがある。

     ――もしかしたら、円環の理を、もとの人へ戻すことだってできるかもしれないね。

     佐倉さんは、円環の理を破壊するために魔女になろうとした。同様に、もしキュウべえの感情エネルギー運用技術を借りられるのなら、魔女に堕ちたときの莫大なエネルギーを元に、宇宙の次元へ干渉する程度のことはできるかもしれない、のだそうだ。
    「私が、世界ではじめての魔女になればいいのね?」
    「そうだよ。君のいう『まどか』、円環の理を壊すのは並大抵のことじゃない。ひとつ上の次元の存在に干渉するには、まどかと同様、上位の宇宙法則を創造する必要がある。
     その突破口が、君の魔女化エネルギーさ。君が晴れて魔女になれば、魔女消滅システムは矛盾を起こす。その重大なエラーを取り除くために、より高度にマテリアル化した『魔法少女』に近い存在をこの世界に生み出すはずだ。その対魔女の『魔法少女』は、高い確率で『まどか』、円環の理と繋がっているか、もしくは『まどか』そのものだ。そこで僕たちは、君の魔女化エネルギーを元手にして『まどか』の次元へ穴を穿つ。信じられない位大量のエネルギーを消費するだろうけど、これから生まれる無数の魔女が生み出す利益を考えれば、けっして悪い投資じゃない」
    「約束したわよ。たがえないでね」
    「君こそ。自殺する覚悟はできたのかい? 魔女になるっていうことは、君はもう――ああ。野暮な質問だったかな。だって君の目は、僕が持つデータの「絶望」という感情に、きわめて近い色をしている。すべてに意味を見出せなくなった者の目だ」
    「分かったような口をきかないで。不愉快だわ」
    「他者への際限のない無関心と憎悪。暁美ほむら、おめでとうを言うべきかな。今日を限りに、君は魔法少女ではなくなった。夢や希望の実現可能性を知り、限界を知り、世の中の汚濁を知り、実利とエネルギーの単純なギブアンドテイクでしか世の中を図れなくなったとき、魔法少女は魔女になる。叶えた希望に見合う莫大な借金の前に傷つき、倒れ、潰れたその後に、僕たち取立て屋はやってくるのさ」
     私にはもう、キュウべえの不快なおしゃべりを止める気力もない。
     ソウルジェムは、すでに黒く濁りきっていた。そこへ、画龍が目を得たように、邪悪な輝きが宿る。
     その瞬間だった。音すら追いつかない速度で、光の矢が来た。
     世界の果てから飛来するその一撃を、私は正確に打ち返した。真横には積み上げたグリーフシードがある。比喩ですらなく、私が千年の時を永らえるために、亜空間へ溜め込み続けた代物だ。そのすべてを賭けて、私は笑う。おかしくもないのに、自分をあざ笑うもうひとりの自分の存在が、不吉な笑いをもらし続ける。
    「ふ、ふふふ、ふ。さあ、闘いましょう、まどか!」
     声すらすでに自分のものではないように聞こえた。魔女の放つような、不気味で甲高い邪悪な高笑いは、本当に自分のものなのだろうか。
    「私のグリーフシードが絶望でいっぱいになるまで。時間にして、ほんの数秒の、闘いを」
     無数に、時空を超えて穿たれるエネルギーの矢。グリーフシードをかばいながら、まったく同数の絶望のエネルギーを穿つ私。
     時間の概念はすでに超越していた。無数の、まどかによく似た影法師が、私のグリーフシードを打とうときらめき、流れていく。宇宙の創世にも等しい光量のレイが、光陰が、私を貫こうと360度取り囲む。
     その360度に、ありったけの黒い矢を張り巡らせた。ハリネズミのように黒く膨れ上がる魔力の塊。そのとげつきの殻の中で、私の孵化が始まる。
     腕が腐り落ちた。断面から、黒い翼が生えてくる。
     左目が疼く。あらゆる光を奪う黒い渦がそこから芽生えたかのように、目の前が暗く落ちていく。世界がかみ合わない左右の3Dフィルムのように二重になり、一致し、遠くはなれて、まただんだんとぼやけていく。自我の認識すら曖昧になってきているのか、あたりの色彩が極彩色の様相を呈してくる。
     あれだけ積み上げたというのに、グリーフシードはすでにつきかけていた。でももうかまわない。私のグリーフシードはすでに黒く濁って――
     パァン。
     乾いた銃声がした。巴マミ、こんなときまで邪魔をするというの! まどかを魔法少女にしようだなんて、許せない、許せない許せない。時空間の認識がゆがみ、私はお下げ頭の冴えない病み上がりに戻っていく。
     同時に鞭のような槍の一撃。佐倉杏子、あなたは自分の利益にならない戦いはしないんじゃなかったかしら? 邪魔をしないで、私はもう、疲れてしまったの……永遠にめぐる時の輪の中で、私は牛になり水になり太陽になり一本の木になり……小さな動物になり……鼻先を上げてどんなに希おうとも、その魂はいつまで経っても神に触れられず……ああ、神さま……私はあなたに恋をしていた……
     私の殻にはヒビが入り、そして――
     そこから、まどかの一撃が来た。

     光り輝く世界で、私は見た。
     圧倒的な白さのなかで、輪郭だけをほんのりと、かつてのまどかそっくりに浮かび上がらせた『彼女』を。
    「また、会えたね。ほむらちゃん」
     まどかは笑う。どこか寂しげに、遷ろうように。
    「といっても、私には最初から分かっていたことなんだけど、ね。今日ここで、ほむらちゃんに会えること、私には分かってたの。いつか私、言ったよね? ほんのちょっとの間だけお別れだって」
    「……きゅうべえは……インキュベーターは?」
    「少しの間だけ、活動停止してもらったの。悪巧みはもうおしまいだよ」
     えへへ、ばーん。手をピストルに形作って、私を撃つ真似。
    「分かっていたの? 私がまどかを取り戻そうとしていたこと」
    「うん。そして、失敗することも。――私ね、もううれしいとか悲しいって気持ちとは遠い存在になっちゃったのに、なんだろう、すっごく、嬉しかったの」
    「まどか……」
    「変だよね? ほむらちゃんがたくさん泣いて苦しんでいるのに、それが嬉しいなんて。神様失格だよ」
    「やめて!」
     私は涙があふれてくるのを止めることができない。
    「私は、あなたをそんな存在に祭り上げたかったんじゃない! あなたと同じときを過ごすことができたら、それでよかったのに――」
    「ほむらちゃん……」
    「どうせなら、私も連れていってくれたらよかったのに! 二人で未来永劫魔女を滅ぼしていくなら、どんなによかったか……私、私一人が世界に取り残されて……」
    「ごめんなさい」
     困ったように笑うまどか。
     私はもう、自分で自分を止められずにいる。これではまるっきり、恋人の不実をなじるバカな女みたいだと知りながら、涙はとめどなくながれ、怨嗟の声は嗚咽になって果てしなく漏れる。
    「私、もう……あなたがいない世界なんて……!」
    「違うんだよ、ほむらちゃん」
     まどかはきっぱりと首を振る。
    「私は、いるの。世界の、すべてに。私は、いつもほむらちゃんのそばにいるよ。闘っているときも、眠っているときも。マミさんのおいしいケーキを食べているときも、誰かのことを思って泣いているときも……ずっと、ずっとだよ? ほむらちゃんは一人じゃないんだよ」
     私は泣きながら首を振る。
     一緒に晩御飯を食べたい、テレビを見て、お風呂に入って、一緒に眠って、たまのお休みにはお出かけをして。
     私は、まどかとそういう日常を生きたかったのに!
     声にならなかった。責めてもムダだった。
    「リボン……」
     搾り出した声は震えていて、情けなくて、負け犬同然だった。
    「友達と同じリボンをつけるのが流行っているの……」
    「うん?」
    「……私は、あなたと同じリボンをつけたいのに……! あなたがいないの……! もう、どこにもいないの……!
     せっかくもらったリボンも、擦り切れて、燃えてしまって……!」
     まどかは首を振った。
    「えへへ。困ったな。あんなのはただのリボンだよ。それでほむらちゃんと私の絆が消えてなくなるわけじゃないよ」
    「まどか……」
    「私はすべての魔法少女の救済を願ったけれど――
     誤解しないで、ほむらちゃん。私はなにも、大勢の人を救いたかったんじゃないの。
     これはぜんぶ、ほむらちゃんのためなんだよ。
     すべての宇宙、すべての世界のほむらちゃんを救ってあげるには、
     こうするしかなかっただけなんだよ……」
     まどかは私の手を握った。
     その手は冷たくもあり、温かくもあった。手を握られただけなのに、魂ごと抱きすくめられたかのようだった。
    「私を救うなんて……! そんなの、もっと簡単だったのよ……!
     ただあなたが隣にいてくれれば……! 神でも、魔女でもかまわない、ただあなたと共にいられれば、それで……!」
    「わたしは、ほむらちゃんには、生きててほしい、かな」
     えへへ。まどかは困ったように笑う。
    「たとえ離れ離れになって、わたしのことなんて忘れちゃったとしても。わたしは、ほむらちゃんが生きていてくれれば、それでいい」
    「私は、まどかに生きていてほしかったのよ! どうしてなの、私たち、お互いにお互いを大事にしたいだけなのに、どうしてこうなってしまうの!?」
    「いいんだよ、ほむらちゃん。もう私に縛られるのはやめて」
     まどかはまるで遺言でも残すかのように、私を諭す。 
    「マミさんはね、わたしに言ってくれたの。
     わたしが、すべての魔法少女の希望になるんだ、って。
     私はね、ほむらちゃんの希望でありつづけたいの。
     ほむらちゃんが絶望したら、わたしはそのたびにかけつけるから。
     そのたびに、ほむらちゃんを希望で満たしてあげるから。
     だから絶対、ほむらちゃんは二度と絶望したりしないんだよ?」
     言葉にできなかった。
     私は決して、そんな世界を望んだわけじゃなかった。
    「大丈夫。私は何度だってほむらちゃんを絶望から救ってあげる。だから、もう二度と、こんな危ないまねしちゃだめだよ?」
     ふいに体が浮いた。お別れが近づいていた。もとの世界へ帰るためのチャンネルが開く。
     私は今、この瞬間を待っていたのだった。
     あなたがいない世界なんて、私が変えてみせる。
     たとえその代償に死よりも過酷な道を歩まされたとしても。
    「契約よ! インキュベーター!」
     はたして、その白い獣はやってきた。宇宙の大規模改竄のときですら、時間を超越して、まどかと世界の行く末を見守った獣なのだから、この程度の所業は当然だった。
     さあ、まどか。あなたは、これも予想していたかしら?

    「私は、鹿目まどかと共に生きたい!」

     まどかが作り変え、ぐねぐねの世界になってしまったあとも、私は最初から魔法少女だった。
     私はまだ、ぐねぐねの世界で『契約をしていない』。
     まどかを名乗る幻は、私に『願い事は決まったか』と聞いた。
     そう、私は、『もう一度契約できる』。
     私の持つソウルジェムは改変前の『物質化された私の魂』。
     今の私は、魂を『二つ持っている』。
     そのことを教えてくれたのはまどかだった。きっと、私が本当に叶えたい願い事を見つけたときのために、その仕組みを残しておいてくれたのだろう。
     契約しなくても戦えるように、まどかの弓を私に与えて。

    「彼女の因果がすべて絶たれ、始まりと終わりがなくなったのだとしたら、私が最初の因果になる! 今日このときから、鹿目まどかは概念ではなくなり、神の御座から引きずりおろされる! 彼女は見滝原でその魂を始め、永劫終わりなく私と共にあることを約束された! 人間らしく笑い、泣き、幸福を享受し、されど円環の理は常世すべての祝詞として変わらぬ業となる!」
    「ムダだよ、ほむらちゃん……」
     まどかはただ、子どものイタズラを見守るように、微笑んでいるだけ。
    「今この時より、円環の理は、まどかを示すものではなくなった――」

    「円環の理は、まどかとわたしを示すものになる!」

    「契約は、成立だ。暁美ほむら。君の願いは、宇宙のエントロピーを凌駕し、常世すべての不可逆性に、遡行する力と権利を得た」
     インキュベーターの白い触手が私の魂をわしづかみにする。魂をソウルジェムへ変換するときの、すべてが焼き尽くされるような真っ白い絶頂。
     そうして、まどかに変化が訪れた。
    「……うそ……」
     純白のドレスをまとった美しい女性は、その手袋が風化し崩壊していく様を、呆然と見守った。
    「書き換えられていく……! わたしが……わたしという概念に……例外規則が加えられていく……!」
     長く伸びた髪は、成長フィルムを逆回しにしたかのように高速で縮んでいき、おとなびた体のあちこちが少女のようになだらかになっていく。
    「無茶だよ、ほむらちゃん! その願いは、揺り戻しのゼツボウに耐えられない! かなえた祈りに見合う絶望を受け止めて、ほむらちゃんが消えちゃう、壊れちゃうよ! どうして、わたしはこんな未来、知らない、認めない! わたしが、わたしが壊してみせる――!」
     急速に枯れていくまどかの弓の薔薇に手をかざし、ふたたび赤く色づかせ、まどかが弓を一閃。まばゆい光に、まどかも、インキュベーターも、私も、すべてが消えていく。

     そして光に何もかも飲み込まれ――

     目覚めたのはベッドの上だった。
    「はぁ……はぁ……はぁ……」
     頬にたくさん泣いた跡があった。目鼻が腫れあがり、まぶたも頭も内部で大砲を打っているように熱くて重かった。
    「目ぇ覚めたみたいじゃん」
     横にはポッキー片手に携帯ゲームに興じる佐倉さんの姿。
    「私は――まどかは!?」
    「お、おい。落ち着けって」
     私には目もくれず、佐倉さん。
    「あたしはただ、あんたが倒れているのを見つけて、ここまで運んできただけだよ」
     言いながら佐倉杏子のゲームを操る指は止まない。
    「そう……失敗、したのね……」
     深く深く、ベッドの上に沈んでいくような錯覚。
     これが私の、最後の切り札だったのに。まどかを助けることは、叶わなかった。
    「なんにしろ、無事でよかったよ。つーかあんた、あんなとこで何してたのさ?」
    「今は、言いたくないわ……」
    「ふうん? ま、あたしはどっちでもいいけど。あの二人にはちゃんと説明してやんなよ」
     佐倉さんは『よっしゃクリア!』とガッツポーズを作ってから、なんでもないように続ける。
    「いやーもう、すげー心配してたんだからさー。さやかなんて、『転校生が死んじゃったらあたしの責任だー!』とか言っちゃってさあ」
     佐倉さんは何を言っているのだろう。
     美樹さやかはもう死んだ。狂言でこんなことを言うタイプでもないのに。
    「……さやかって、念のため確認したいのだけど……美樹、さやかさん?」
    「そ、そうだけど?」
     よっぽどの剣幕だったのだろう、さすがに佐倉さんが顔を上げた。
    「どういうことなの?」

    「杏子ちゃーん」
     ドア越しに、懐かしい声がした。

    「ねえ、ほむらちゃんの具合どうー?」

     ゆっくりと、ドアが開いていく。

     そこにはまどかが立っていた。夢にまで見た、何度も諦念の涙を流した、失われた大切な友人が、そこに立っていた。
    「ぷっ。なにさ、鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔しちゃって」
     まぜっかえしたのは美樹さやか。
    「もう、心配したんだよ、ほむらちゃん。あんなところで行き倒れててさ、しかも半分魔女になっちゃってたんだよ。私がいなかったら、とっても危なかったんだからね」
     ゆるゆると心を解きほぐすような、まどかの甘い声。
    「まどか……!」
    「鹿目さんがどうしたの?」
     さらに顔を出したのは、巴さんだった。巴さんはまどかの苗字を知らないはずだ。一度も教えてこなかったのだから。
    「いいえ。いいえ……!」
     私はよろけながらも立ち上がり、まどかの小さな肩と背中に手を回して、思い切り抱きしめた。
    「きゃ! ほむら、ちゃ……!」
     ひゅう、と口笛を吹いたのは佐倉さんだった。
    「なんだよーっ、まどかは私の嫁だぞ!?」
     負けじと私とまどかに抱きつく、美樹さん。さらさらのショートカットも、健康的な笑顔も、なにもかもが美樹さんだった。
    「ちょっと、泣いてるの……!?」
    「泣いて、泣いてないわ……これは、違うの……!」
    「……やっぱりなんかあったの? ほむらちゃん」
    「そうだよ。魔女になりかかるなんて、よっぽどのことがあったんですかねー? いっちょこのさやかちゃんにどーんと話してみなさいよ」 
    「……いいえ。ごめんなさい、心配かけたわね」
     私は涙をぬぐって、いつものように髪をかきあげた。
    「でももう、大丈夫よ」


    「私は、もう二度と絶望したりしないのだから」


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    * 傑作

    感動しました。素晴らしいSSをありがとうございました。またまどほむで書いてください
    2012/07/20 【eniver】 URL #JalddpaA [編集] 

    * Re: 傑作

    > 感動しました。素晴らしいSSをありがとうございました。またまどほむで書いてください
    ありがとうございます、なんだか恐縮です。近々まどほむ夏祭りSSをうp予定です。そちらもよろしければ是非。
    2012/07/21 【kumasan1】 URL #- 

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